道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

キラキラネームとかDQNネームとかいうことについてのなにか

子供の名前、というかもう、人の名前については数年前からネット上で話題になっている。いわゆるDQNネームとかキラキラネームとか。

いやキラキラさせりゃいいってもんじゃねえけどよ。というね。

ただま、こんなのは昔から今に至るまで流行があるわけで、日本語そのものが変わっていく中で、名前だって変化していくだろうと。

 

少し前までは俺もキラキラネームけしからん的なことを想っていたけれど、若い両親が子供のためや自分たちのためになんとかいい名前を、可愛い名前を、かっこいい名前をと考えてつけた名前であれば尊重しなければならないな、と思った。

 

しかしながら一方で、この急激な流れはなんだという思いもあって、それはおそらく「名付け」親がいなくなったということだろう。

それまで、子供の名前というのは、誰かにつけてもらうものだったと思う。

たとえばお坊さんとか、長老とか、家庭内であれば父親、子供にとってのおじいさんであったりとか、そういう人たちに願って、子供のために良い名前をつけて下さいとしていたのだと思う。

そういう文化があったし風潮があったと思う。

だから、新生児の名前を考えるのはいつも60年も70年も前に産まれた人たちで、若い人たちが口出しできるスペースはあまりなかったんだと思う。それによって、名前というのはゆるやかな変化をとげてきたのではないか。

参考までにうちの長男は今年高校1年生になったのだが、産まれたのは2001年、そのときには俺の父親に名付けを頼んだものだ。二人目の時は俺たち夫婦で考えた。この時俺は33歳ほどになっていた。

 

それが、今は、他でもない若いパパママが誰にも相談せずに、画数どころか漢字の意味さえも気にせずに、言葉の意味と字面と響きだけで名前をつけることができるようになった。だからこそ、ここまで急激な変化が起きているのだと思う。

ついこないだまで60歳の見識ある男性が一生懸命頑張って考えていたものが、一気に20歳前後の人生経験も浅い男女がその時の雰囲気で名前を考えられるようになったのだ。

人間の歴史において40年の文化の差とはかなり大きく感じるだろう。

それが、今の名付けの現状なのではなかろうか。

 

それが良いとか悪いとかは別の問題であるし、俺の意見としてはもう少し名前をつけるときに多角的に物事を考えたり、年配者の意見も参考にしたりすることが望ましいとは思っているが、とはいえ、今はそういうものなのだ。

そしてなにより、繰り返しになるけれども、親は子供のためにと思って一生懸命「良い名前」を授けているのだ。「変な名前だな」と思ったとしても、子供にもなんの罪もないし、その親だって変な名前をつけようとしたわけではない。

 

だからとにかく、どんな名前であってもそれがその人の名前であれば、それを尊重すべきだし、少なくとも無関係の人間が笑ったり揶揄したり「ネタ」にすべきではない。

というのが俺の結論だ。

 

名前はとても大切なものだ。

大人として、子供の名前は尊重してあげたいと思う。

今の若い人たちはその昔自分の子供に「悪魔」と名付けようとした親のことが全国ニュースになり大きな話題となったことを知らないのかもしれない。

今の世の中なら、悪魔ちゃんという人がこの世に存在しているかもしれない、と少し思う