道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

妊娠、出産にかかわるおたすけをさせてもらった

 ようやく一段落といったところなので、覚え書き程度に書いておこうと思います。

発端

 2月の終わりのある日、父親から「おたすけに行ってきなさい」と言われた。おたすけなんて恥ずかしながら初めてのことである。お相手は、俺も古くから知ってる敦子さん(仮名)だ。俺と同年代で、去年結婚したばかりだった。
 敦子さんが妊娠したのは俺も聞いていて、3月の終わりには、天理教を全く知らない旦那さんと一緒にをびや許しをいただきにおぢばがえりをする予定だった。
 その敦子さんが、入院したと聞いた。出血があるらしく、あまり良い状態ではないらしい。ほとんど自宅で動けない状態だと聞いた。
 
 そんな紙一重の状態の人のおたすけなんて、できるんかいな?と我ながら思ったものの、そこは「はい」とだけ返事をして、色々と考えることにした。

子宮筋腫

 聞けば、子宮に筋腫があって、あまりよくない状態だという。子宮筋腫とは、名前ぐらいは聞いたことはあっても、どんなものなのかは知らなかったので、なんとなく調べたり、出産経験のある人に聞いたりしながら、色々と思案をしてみた。情報が少なくて、本人に聞いてみなければならなかったけど、夜も遅かったので次の日にすることにした。
 敦子さんの姉、優子さん(仮名)が、ある医師にきいてみたところ「その状態でよく妊娠できたねえ。」と驚いていたような状態だったということは聞いていて、つまり、危険な状態であることはわかった。

 「子宮筋腫子宮筋腫、しきゅう筋腫、しきゅうきんしゅ、、、、、至急、きんしゅ、至急、、、?
 至急禁酒か?」

 はた、と思いついて驚いた。お酒をやめる? 確かに飲みすぎなところがあって、やめたり減らしたりしたいとは思っていて、それでもなかなか出来なかったりしていたそのお酒を、やめる?
 神様は「人を助けて我が身助かる」とも教えられた。敦子さんのおかげで俺と嫁さんがお酒をやめることができたら、淳子さんが俺たちを助けたことになるんだから、そうすれば、敦子さんも助けてもらう道がつくんじゃないか?
 そんなことを思いながら、嫁さんにメールをしてみた
 「至急、禁酒、か?」
 驚いたことにすぐ返事が帰ってきて
 「なるほど! おもしろい。やりたいね。禁酒」
 快諾だった。俺たちは、お酒をしばらくやめることにした。

たすかりを願う心

 敦子さんは結婚して東京に住んでいる。東京にいくくらいはまあ、なんともないことなのだけれど、ただ俺たち夫婦が出かけて行っておさづけを取り次いで、というのもなにか足りないながら時間を過ごしていて、それはおそらくうちの大教会長の話を聞いていたからだったりするんだろうけど、そこは、家族の身上事情を願うのはそのご家族が願って通らなければならないよ、みたいな話で、なるほどそうだなと思っていた。
 敦子さんのご夫婦はその状態だから、3月のおぢばがえりはできないだろけど、おそらく赤ちゃんが落ち着いたら家族3人でおぢばがえりをするだろう。それがひとつ。そしてもうひとつ。それは敦子さんのお母さんによるおたすけ、おさづけの取り次ぎだ。
 教会の人間というのは、もちろん信者さんに代わってお願いをさせてもらったりおたすけに出させてもらったりすることはする。が、やはり一番の基本は、ご家族による願いだと思う。単純に、自分の家族の助かりを願う心の方が、強いだろうから。そう思っている。
 かくして、俺たち夫婦の禁酒、敦子さん夫婦のおぢばがえり、敦子さんの母によるおさづけ、という、三つの目標が定まった。

最初の連絡

 30代後半の初めての妊娠であって、子宮筋腫があって、しかもそれがあまり良くない状態、危険な状態であるということは、敦子さんが心配しているう状況というのは容易に想像ができるし、気の強い人だから、なぜか自分を責めていたり、周りに当たっていたり、とにかく神経質になってしまっているのではないかと思っていて、最初に電話をするまでにかなり勇気が要った。
 たまに顔は合わすものの、もう何年もゆっくり話したことなどなくて、仲が良いとはいえ、突然おたすけに行きたいんだけど、なんて行ったところで、よくて遠慮され、悪くて気を悪くされてしまうだろうな、と思ったから。なんて言って行っていいのか、今の状況を聞き出せばいいのか、すごく悩んだ。
 敦子さんのお母さんに聞いてみても詳しいことは聞いていないし、「ナーバスになってるからねー」と言われるだけだった。
 ここで情報が足りないということがこんなに心もとないのか、ということを知った。
 おたすけに行くとかいかないとか言う以前に、受け入れてもらえるだろうか、という不安がものすごく大きかった。しかも、状況が状況だから、最初のコンタクトに失敗してしまえば、結果は悪いものになってしまう。一度断られてものをまたお願いするには少し時間は必要だし、悪い関係を元に戻すにはそれだけでかなりの労力を使う。なにより、敦子さんの状況は差し迫っていたし、俺たちには時間がなかった。
 意を決して電話をしたのは、3月に入ってから数日経っていた。次の休みにたまたまそっちに行く用事があるんだけど、ちょっとよっていいかな? そういうことにして、電話をかけた。
 
 電話に出た敦子さんは意外にも元気な声だった。俺は一気に安心して、いつもどおりの会話をすることができた。実はそっちに行くんだけど、寄らせてもらっていいかね?
 すると敦子さんは
 「え。そうなの? いいよ。ありがとう。ありがたいです。お願いします。」
 そう答えた。

 敦子さんに状況を聞いた。通院していた病院では筋腫のことは言われなかった。仕事中に出血したので違う病院で見てもらったら、即入院になった。退院はしたが安静にしていないとすぐ出血してしまう。
 胎児が1000グラムにまで成長することができたら、手術をして取り出しましょうと言われた。
 仕事は幸い休職扱いにしてもらえていること、旦那さんのお母さんがお世話をしてくれていること。

 一通りの話を聞いて電話を切った。
 次の休みに、嫁さんと二人、電車で東京を目指すことにした。

 それにしても、1000グラムって、、、 小さい、と思った。そして、おそらくその表現は、1000グラムまで成長する前になにかあれば、あきらめなければならないという意味も含まれていたと、俺は感じていた。
 初めて行くおたすけは、薄氷を踏むような思いだった。

初訪問

 3月上旬の寒い日。嫁さんと電車に乗り、新宿で乗り換えて20分ほどの駅を目指していた。
 新宿駅に着いたところで、敦子さんから電話があったことに気づき、折り返し電話をかけた。すると、
 「急に具合が悪くなっちゃって、病院に急に診てもらうことにしたんで、ごめん。今日は、ごめんね。」
 と言われた。
 俺は、お大事に、と言いながら電話を切った。
 さて困った。何が困ったって、最悪の事態が想像できる状況だからだ。
 色々なケースを想像しながら、父親に連絡をする。とりあえず情報もつかめないので一旦帰ってまた出かけたらどうかということになった。仕方ないと思いながら、それでも、なにか足りないと思い、敦子さんのお母さんには報告をした。
 自宅の住所はわかるけど、自宅にもどるかもわからないし、病院もどこだかわからないし、危険な状態であれば病院がわかったところで俺が行ってどうなるもんでもないし、今の病院は個人情報保護でうるさいので、とくに東京の病院なんて、家族以外では会わせてすらもらえないんじゃないかとか、いろんなことを考えながら電話をかけた。
 お母さんは、おさづけ取り次いでほしかったんだけど、、と残念そうに言いながら「あ。病院、わかるよ。」と言って、通院している病院を教えてくれた。

 嫁さんと相談し、「病院まで行って会えなかったら諦めて今日は帰ろう」と、再び電車に乗った。

 小雨の降る中、知らない街を二人で歩き、教えてもらった病院にたどり着いた。
 時間外のため人もまばらで、おそるおそる受付に聞いてみた。いるのか、いないのか、そもそも、教えてくれるのか、間柄を聞かれたらなんと答えるのか、、、 心配してみたものの、すんなり教えてくれた。敦子さんは、いた。病室に入ったところだと言われ、病棟へ行くように言われた。
 入院。それが、いい入院なのか悪い入院なのかわからなかった。悪い入院だったら、久しぶりの再会でどんな顔をして、何を話せばいいのか、ちょっとわからなかった。でも、敦子さんが確かにそこにいるわけで、どういう状況にしても、俺は会わなければならなかった。

 病棟の受付に言うと看護師さんが病室を案内してくれて、病室の中から敦子さんの笑い声が聞こえた。
 俺はまあ、なんというかすごい脱力して、その場に座り込みたくなったりもしたけど、なんとか歩いて病室に入った。

 病室には旦那さんのお母さんもいて、初めてお会いしたのに、俺は何か汚い格好とかしていて、恐縮しながらご挨拶をした。
 少しだけ敦子さんと話をして、おさづけを取り次いだ。
 おさづけを取り次ぐ段になって、なにをどう願うものか、と悩んでしまった。筋腫をなくしてくださいともお願いするわけにいかないし、無事に出産できますようにってのも違うし、なんだろなーと悩んで、大体俺にそんな、大それたことをお願いするなんて無理無理と思いつつ、をびや許しをいただくまで、だからつまり、3月末まで一ヶ月、とにかく、お腹の中に赤ちゃんを入れておいてください。それまで、なんとかつないでください。そういうお願いをすることにした。
 をびや許しさえいただけば「もう大丈夫、安心していいよ。」と言えるけれど、をびや前というのは、大丈夫でも安心でも、まだないってことでもあるから、とにかくをびやをいただけるようにお願いする、それが俺の仕事だろう、と思ったから。
 病室でおさづけを取り次いで、元気そうで?安心したよ、なんて言いながら、病院を後にした。

 敦子さんは、検査の結果待ちということだったけど、お腹がすごく痛くなって、仕方なくて病院で診てもらったと言っていた。お腹の赤ちゃんは今のところ無事だということだった。

 帰りは夕方になってしまっていて、群馬県民にはきつい都会のラッシュにもまれて帰った。
 
 翌日、敦子さんのお母さんから電話があった。お礼を言われて、「お騒がせしたけど、今日改めて検査したら今までで一番いい状態だって言われたんですって。なんだったんだろうねえ。」と言われた。



     出産のおたすけの続き に続きます