道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

前田敦子さんは本当にAKB48を卒業してしまうのか

 というより、前田さんがいなくなった後のAKB48というものを想像できないというか、なんというか。。。
 いくつかのAKB動画を観ていたりして気づくのは、やっぱり前田さんを探してしまうということだった。前田さんがどんな表情で歌っているのか、どれだけ踊れているのか、どれだけ入り込んでいるのか、そういうのがすごく気になる。前田さんが好きだと言えばそれまでだけど、メンバーとして好きだっていうのなら、他にもたくさんいるし、前田さんのことだけを突出して好きだというわけではないと思う。それでも、探してしまうし、目で追ってしまう。
 
 そうそう。最近ようやく多田さんがどの人か理解しましたよ。

 なんていうかこう、メンバーの中にもすごく惹きつけてくれる人と、そうでもない人がいて、前者のことっていうのはいわゆる「好き」になるし、実力や人気が高くても、後者の人は好きにはならない。嫌いな人っていうのもいないけど。みんなすげー頑張ってると思うし。
 俺はそれ、雰囲気のある人って言ってるんですが。どこで言ってるって、心の中でつぶやいたりネットで書いたりですよ。リアルでAKBのこと深く話し合える人なんて周りにいませんがな。いくつだと思ってるんですか。

 そういうふうに考えていくと、いくつかのジャンルに分けることもできるなーと思って。
 
 ただでも、それをやろうとするとできない。つまづく。ってのは俺なんかがすぐ思いつくような、選抜やそれに近いメンバーってのはもう、高いバランスで複数の能力を兼ね備えた人ばかりになってしまったから。
 ただまあ、ひいきで言うなら、高城さんは一般の人ジャンルで苦しんでる感じがあるし、指原さんは「迷い込んだ一般の人」というカテゴリがしっくりきすぎるし、じゅりなはもう、何も言えねえ状態だし。

 で、ですね。前田さんて、その「雰囲気のある人」の中でもトップクラスですよ。アイドル枠に限らず、芸能界広く見渡しても、ここまで雰囲気だけで存在してる人ってあんまり見ないです。
 前田敦子という人をセンターに置いた時にどういう意図だったのか知る由はありませんけど、その後実力の高い大島優子さんが加入して一時期はセンターを譲ります。また、松井珠理奈さんや柏木由紀さんといういつでもセンターを張れるメンバーを追加してもなお、前田さんがセンターでありつづけたそれはもう、今の俺には「その雰囲気で」としか説明のしようがないです。

 おそらく一緒にやってるメンバーにしてみると、やりずらい相手だと思います。前田さんて。おそらくきっと、練習ではふにゃふにゃだろうから。これ、どっかで秋元さんのコメントがあったと思うんですが、「本番で化ける」みたいな、そういう能力に長けてると思うんですよ。
 俺たちが目にする多くはテレビ映像なんですが、テレビの収録ってのは一曲撮るだけだし、最悪やり直しも聞くので、言ってみれば本番であって本番でないみたいなところがあるんです。つまり、コンサートなどの舞台に比べるとあきらかに「軽い」。AKB48は「劇場型アイドル」ですから、テレビという仕事場は二の次なんですよ。
 そういう風にテレビ映像を見ていると、前田さんのパフォーマンスには明らかにムラがあるんです。ほかのメンバー、特にテレビに出演するような選抜メンバーはそつなくムラなくパフォーマンスをこなします。その差は特にここ2年くらいの映像だと顕著だと思います。
 「入ってるな」と思うときと「入ってないな」と思うとき、です。集中してる、というか、そういう感じ。本人の言葉を借りると

私は昔から感情の起伏がすごく激しくて、メンバーにもたくさん迷惑をかけてしまいました

 この辺は、そういうことも含めてだと思ってます。

 これね、あるんですよ。いるんですよ。こういう人。本番の舞台の上になると、大げさじゃなく神が降りたのかと思うくらいに大きな芝居をする人。役者さんなんかだと少なくないです。俺はそれ空間支配能力って呼んでるんですが、どこで呼んでるって(略)、とにかくいます。
 人気があるとか芝居がうまいとかそういうことじゃなくて、袖から舞台に入った瞬間に「全部もってく」人。
 なんで俺がそんなこと言うかっていうと、そーいう人とやってたことがあるからです。芝居を。
 その人は劇団代表であって、脚本書いて演出してっていう立場だから練習量が少ないとかセリフ覚えが悪いとかそういう言い訳はあるにせよ、なくてもセリフ覚えは悪いけど、それでも、本番になると明らかに違う。ずるいくらいに全部持っていく。
 ただ、そういう人とやるのを嫌う人も少なくないですよね。きちんと練習して少しでも完成型に近づけて本番を迎えたいという、役者の鏡のような俳優さんにとっては、練習しにくいし本番で何し出すかわからなくて、嫌だと思います。つーか、本来舞台を作る作業というのはこういうもののはずですね。

 でも俺は、その代表と絡むシーンは好きだった。練習は嫌いだったけど。
 だって練習するっつってんのにセリフは覚えてないわやる気ないわ素のままだわ、やりにくうてやりにくうて。
 でも、本番を迎えるのは楽しみだった。お客さんも待ってるほどのその人の芝居を、一番近くで見れるから。「肌があう」っていう言い方をしていいのかどうなのかわからないんですが、彼の雰囲気に飲み込まれるのが好きでした。それまでの芝居をぶち壊すようなその雰囲気に飲まれて自由に動かせてもらうのが好きだった。
 なんていうかですねー、芝居ってこう、同じものを何回かやるわけじゃないですか。でもまあ、当然何回目を見るかによって見えてくるものは違うんですけど、それでも基本的には役者がやることってのは毎回同じはずなんです。いや、同じであって正解なんです。でも、彼は違う。何が違うのかなー。言ってみれば「間」ですかね。間が、毎回違うんですよ。間が違うということはもう違う芝居になっちゃうわけなんですが、それでも違うものは違うんです。まあそれはつまり練習量が少ないとか練習しないとかそういうことの結果とも言えるわけなんですけどね。
 一緒に舞台にいる人間としてみれば、相手の間が違うってのはこりゃもう芝居になりませんがな。つーことを思い出してみると、セリフを待つことを許されなかったということか、なんて今思いましたけどね。セリフを待つことを許されなかったといううことは、セリフを待たせてもいけなかったんです。意味わかるかなこれ。流れに乗らなければいけなかった。そんでもってその流れというのは、俺にとって心地よいものだったんです。リズムっていうか、そういうもの。そういうのが作り上げる雰囲気、それが、好きだったんですよね。
 まあもう大昔の話なんで、その人は今でもお芝居してます。20年を超えるキャリアですからもうしっかり役作りして稽古してきっちりした芝居を舞台に上げる役者になっていると信じて疑っていませんが、その彼にもそういう時代があったということですな。なにが?

 で、ですね、そういうことを思い出しながら、前田敦子さんの持つ「雰囲気」それが、あまりにも突出しすぎていて、その彼女が抜けたあとのAKB48がどうなるのか、想像もできないという、そう言う話ですね。今日は。
 これは見ている我々にも影響が大きい以上に、メンバーにとっても影響があるでしょう。
 当然、一人のメンバーが卒業するというありふれた出来事であることにも違いないです。ですが、やはり、これは、存在が大きすぎるです。

 こういう人って、一緒にやってる側からすると、好きとか嫌いとかは置いといて、精神的支柱になってくれてるんですよね。大黒柱っつーか。なんだかんだ言ってもあの人が雰囲気作ってくれてペース作ってくれるって頼ってる部分がある。調子がいい時は気にもならないんですが、苦しい時なんかはもう、真っ先にどこにいるか探してしまうみたいな、もっとも目立つ存在でありながら縁の下の力持ち的な役割も無意識に期待してしまったり。
 それが抜けるってのは、すげーことだと思います。

 それでも、AKBは走り続けるでしょう。俺なんかの想像などはるか斜め下に見下ろして鼻で笑いながら走っていくでしょうから、もうしばらく見続けていきたいと思います。