道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

ネットでマジレスをしていこうと思う

 特にはてな界隈にいると、マジレスかっこ悪い的な空気が漂っていて、つい大喜利に参加してしまいがちになる。

 はてなブックマークコメントを見れば、ああなるほどこういうことかとわかってもらえると思うんだが、と書きながら、いやはてブ未経験の人にはカオス過ぎて意味がわからんわな、と思う。

 はてブだけでなくてツイッター大喜利大会が日夜開催されている。

 ネットのゆるい空気感はとても好き俺もそういう雰囲気で馴れ合っていたいのだけれど、同時に、まじめに書いていることもある。

 そして、ネットの魅力の一つに「身分を伏せて言いたいことが言える」という点がある。それはもちろん、犯罪予告とか誹謗中傷をして人を傷つけるという危険もあるのだが、誰にもいえない悩みや苦しみを抱えている人にとっては、救いでもある。

 

 はてなの有名なサービスに「増田」がある。アノニマスダイアリー、「匿名日記」だ。ごめんカギ括弧を二回登場させたけど、正式名は「アノニマスダイアリー」のほうだと思う。

 増田には本当にたくさんの投稿がされて、俺なんかは人気になったエントリーを読む程度なんだけど、大体はネタだし釣りでしかない。しかし、切実な投稿もあるのだ。

 最近も旦那のDVに悩む奥さんの投稿があった。会社の仕事の悩みを打ち明ける人もいる。パワハラ案件。恋愛相談もあるし、告発めいたものもある。

 さっきも言ったけどほとんどがネタだし釣りだ。まともに取り合うのかどうか、増田だけに意見が分かれますだ。

 だがしかし、100に一つも本当に悩んでいる人がいるのなら、そこにきちんと声をかけてあげたいと思うのだ。

 最近はメディアクリエイターとかプロブロガーとか、第何次かのはてな全面戦争の空気だが、そんな時だからこそ、ネットの持つ魅力を再確認して、おっさんとしてネットの利点を保持していきたいと思うのだ。

 悩みを打ち明けている人がいるのなら、釣りかどうかを探る前に、「話を聞いてるよ」と伝えたいし、耳を傾けたい。たとえそれが釣りであっても、同じような悩みを持つ人がいつか見るかもしれない。そういう人たちにとっては笑えない話なのだ。だから、きちんと答えたい。答えられない問題には手を出さない。そういうことをしていきたいと思っているのでその決意表明だ。

 

 事実、マジレスのブコメにいくつかのスターがつくことは珍しくない。

 ネタを繰り広げるもネット、釣るのも釣りを見破るのもネット。

 真剣に悩みを打ち明けるのもネットなら、真剣に悩みを聞くのもネットなのである

高橋みなみに熱愛報道

 今年の4月8日に卒業したらしい知らなかった。

 高橋みなみはAKB総選挙で毎回10位以内に入り込んでくる超人気メンバーの一人だったし、一期生として前田敦子と二人でながらくAKB48を支えてきた、超一級の功労者だ。

 それが、卒業するや否やスキャンダルによる炎上商法をしかけてきた。

 先日NHKの歌番組で彼女の雄姿を見たが、それはもうひどい有様であった。

 日本のトップアイドルグループの中心の中心を10年間勤めてきたのがこれか、思うと、そりゃCD売れないわけだわ、と納得できるほどだ。

 実はたかみなはAKBの中では歌うまポジションなのだ。実際まあ、うまいんだと思う。そこそこ。だがしかし、進歩がないというか、ただでっかい声でそれっぽく歌うことしかできないのかこいつは、というところだ。

 どこかの合唱部にでも入ってやり直して来いと思う。

 

 で、そのたかみなの熱愛報道なんだけど、まったく盛り上がっていない。

 今年は不倫イヤーだ。デビルイヤーは地獄耳なんだが、不倫イヤーは泥沼耳である。

 それなのにたかみなは不倫じゃなかった。なにやってんだ。不倫だろここは。

 なんかそれっぽいビジュアルバンドのチャラい奴とかと不倫しといて謝罪会見ひらいてこそだろう。

 ただの彼氏ってなんだよ。お前の彼氏なんか誰も興味ねえよ。そんなの炎上しねえから。

 という感想しかない。がんばれたかみな。

 

 それより驚いたのが先日、車でラジオを聴いていたら、NHKラジオで篠田真理子が人生相談を受け付けていた。アラサー女性からの悩みを受け付けてそれに回答していた。あいつももう30らしい。ちょっとウケタ。

 それにしても二人とも、声にまったく魅力がないのは相変わらずだ。

 とくに篠田。君は声がまったくアイドルではないのだから、話し方をちゃんとして、もう30なんだから、若い女性があこがれる存在になってほしいと思います。

おれは邦画のほうが好きだよ

 テラフォーマーズが大コケしてるらしい。

 そもそも俺は映画に興味がない。ほとんど見ない。映画館に足を運ぶのはクレヨンしんちゃんドラえもんくらいだ。

 家にいても映画は見ない。DVDをレンタルするのも子供のアニメだけだ。

 そんな俺が映画について語ることなどないんだけど、俺は洋画より邦画のほうが好きだよということ。

 

 理由は、日本語しかわからないからです。

 英語をはじめ外国語はしゃべれないし聞いても意味がわからないからです。

 だから、邦画のほうが好き。俳優がどんなセリフをどう発しているかがわからないって、芝居を見る上で重要だと思うんですよ。

 つまり、演技がわからないんです。邦画じゃないと。

 

 映画って言うのは創られた映像と、脚本と、俳優のお芝居を楽しむものだと思うんですけど、洋画はそのお芝居がわからない。から、魅力が半減しちゃうんですよねー。

 

 そういう理由で俺は邦画のほうが好き。

 テラフォーマーズは見たいと思わない。

はてなブログに引っ越してみました 2016/5/17

 なんとなく今年はブログを書こうと意気込んだ新年だったんですが、案の定書かなくなり5月。このままではいけないと心機一転、とはいえこのままではまた書かなくなるだけ。

 ということではてなブログへお引越ししました。

 ダイアリー好きだったんだけど、はてダのトップページとか見てるとほんとにやる気でなくて、はてなブログは「楽しそう」だし、単純にはてなブログのほうが読んでもらえる機会が多くなりそうだしということで、はてなブログ今後ともよろしくお願いいたします。

 

 だからといって書くことが決まっているわけではなく、内容は今までと変わる予定はありません。

お客様は神様


 今は本業はサービスではなくなっていますおはようございます。
 いや待てよ本業がサービスってなんだろう。サービス業っていう職業があるわけではなさそうなんだけど。どんな職種であれそれぞれサービスしているとは思うんだけどね。
 まあ、「直接お客と接する職業」とでも言えばいいのか。まあいいや。なんでも。

 んでさ。俺はサービス業であった頃から「お客様は神様ではない」と言っていたわけなんだけど、こないだふと「お客様が神様だったらどうだろう」と考えてしまった。
 お客が神様だったら。店員はどうなるか。販売員はどうなるのだろうか。カスタマーに何が起きるのか。

 んでさ、神様ってなに。

 「こっちは客だよ? お客様は神様だろ?」
 なんて言う人平成も30年近くなった現代にどれくらい存在しているのかわからないけどおそらく多い。特にそういうタイプの人達が言う「神様」ってなに。どんなの。
 神社さんにいるあの神様? なんだよあの神様って雑な単語。自分で言ってて意味わかんねえ。神様に対して「あの」とか。なんだこの「あの神様」という言葉から噴き出してくる雑な感じ。破壊力。
 神様だから精一杯おもてなしをすべきなのか。ハレの日にお迎えをしてご利益を授かるべく奉納を行うべきなのか。

 ところで俺の思うというか知っている神様は、我々人類の「親」である。
 この世界を創造され、人間をお創りくださった、親である。「我が子かわいい」その一心で世界万物、一瞬の隙も切れ目もなくお働きご守護くださる、それが神である。
 神は常に人間に対し最大限の愛を注ぎ、お守りくださっているのだ。

 それが神だ。

「お客様が神様」であるならば、客は店員に対し、まず無条件に愛を注ぐべきだ。
 親が我が子を愛し慈しむように、職員に、スタッフに接するのだ。全てをお許しになる存在であるべきなのだ。

 それこそが「お客様は神様です」の正しい姿であろう。
 私はそう思うが、それぞれの信仰によって考え方は異なるであろう

今週のお題「私がブログを書く理由」

 俺がブログを書く理由は「テキスト文章を書くのが好きだから」でしかないなー。
 文章を書くのが好きで、それをするにはデジタルとqwertyキーボードがすごく優れているという点が大きい。
 別にそれがブログである必要は感じない。今のところブログが一番適しているとは思っている。

 まず、インターネットに簡単に公開できるのが大きい。やはり書くからには誰かに見てもらいたいという思いは少なからずある。そういう意味でブログはすでに枠組みが出来上がっていて入力するだけになっているので非常に簡単だ。
 SNSでもいいだろうと今の人は思うだろうが、SNSという限定的な場所に書くような内容を持ちあわせていない。
 あくまでも「自分専用の場所」であることが重要だ。
 ネット風に言うなれば「過去ログ倉庫」である。時系列で過去の記事が並び、カテゴリでの管理もでき、検索もできるというのはこれほど倉庫として優れているものもそうない。SNSだと他の人の投稿と自分の投稿が入り乱れるでしょ? それからつぶやき的なものと記事とか色々混じる。それがよくない。
 それともう一つは、好きなブロガーさんがたくさんいるからだ。
 有名なブログが閉じられたり更新が止まったりというのも何度も目にしてきたけど、その管理者たちはおそらくどこかで書き続けているし、それがブログなのかオフラインなのかはわからないけど、何かを書き続けていることは間違いないと思う。
 そういう感覚に俺もなりたい。

 俺はブログを書くことを目的としていない。文章を書くことに対して最も適しているのがパソコンという機材であって、保存したり公開したりすることに最も適しているのがブログサービスである、ということ。それが「ブログを書く理由」だ。
 俺にとってブログを書くというのは文章を書くことだけれど、写真を掲載したり絵や動画を掲載したりするブログも今は多い。それもブログの使い方だと思う。
 好きなものを好きに表現でき、お互いに見合って励まし合って続けていくことができたら、趣味としてこれ以上ないのではないかと思うのだがどうだろう。

 

芸能人に対する不謹慎狩りがテレビで報道される

 朝はテレビ朝日をつけています。その中で報道されてました。報道ちゃうな、こんなん。
 ネタにされてたってだけ。
 熊本や大分の震災に対する芸能人のコメントに対して、心ないコメントが寄せられてそれに対して謝罪や取り消しをする事態が相次いでいるとか。

 それに対してはまあ、ほっとけというコメントしか持ちあわせていないんですけどそれはなぜかといえば別に今始まったことじゃないし、そんなん相手にしたらよけい調子乗るだけじゃないっすか。

 それと全然関係ないんですけど今タイトルに「不謹慎狩り」って書きましたけど、そしたら「付近殿」って変換されてなんのこっちゃですわ。「しんがり」なんていう言葉は風の谷のナウシカの原作漫画を読んでいなかったら知らなかった言葉ですわ。

 そもそも災害時であってそれはもう、被災地の人もいれば全く影響のない遠方の人間もいるわけで、被害を受けた人もいれば無傷の人もいて、そんなん一律に語ることができるわけないじゃないですか。
 平常時じゃない非常時なわけで、何が正解かどうかなんてわからなくて。
 そもそも芸能人というのはファンや視聴者のおかげで普段生活しているわけです。お給料もらってるわけですよ。
 ミュージシャンならCD買ってくれたり売れない時代から応援してくれるコアなファンだったり、そういう人たちのお陰で商売して生きてこられてわけです。俳優さんやアイドルだって同じ。会ったこともない話したこともない、大勢の人たちに支えられている、という意識はあるはずです。
 常にその人達に感謝している「はず」なんです。
 大きな災害時にはその、「いつも支えてくれている誰か」が、大勢被害にあわれていて、それに対してせめてもの恩返しがしたい、という思いがあるんです。だからせめても、自分が皆さんに支えてもらったおかげでこの「拡散力」があるのでそれを役立てたい。ということからの、コメントだと思うんですよ。
 だから、それを受けて不快に思う人がいたとしても、それを表明するのは筋違いだと思います。少なくとも被災地の役に立ちたいという思いから発せられたと読めるコメントであれば、見逃すべきです。
 あれは被災者に向けたメッセージなので、その他大勢である、ネットで芸能人のコメント眺めながら皮肉を書き込んでいるような暇人に向けたものではないんです。

 そもそも第一、そんな普通のコメント晒しあげて叩いていたら、デマ広めてる奴とか「原発ガー」とかいまだに騒ぎ立ててるような「本来叩くべき存在」が希薄になっちゃうじゃないですか。ネットは何のためにあると思っているんですか。

 というわけで、不快に思う人がいることは非難しませんけど、それを世界中に公開された場所で表明することは、同意できません。「ほっとけ」の一言です。

映画クレヨンしんちゃん「爆睡!ユメミーワールド大突撃」見てきた


 おもしろかった。俺はそんなにクレしん好きじゃないんだけど。嫌いでもないかな。まず絵が好きじゃなくて。
 というより大人なのでアニメとか全般まったく見ません。子供の付き添いで行ってきただけ。

 もともと映画館に足を運ぶなんて独身時代も数年に一度程度だし、結婚してもこの10年で一度アンパンマン行ったくらい。
 それがここ数年はやれ妖怪ウォッチだのドラえもんだのクレヨンしんちゃんだのと頻繁に出かけている。
 家でもDVDを借りて子供がドラえもんやらクレしんやらをいつも見ているので、クレしん映画は何本か見たことある。しかも繰り返し見ている。
 以前どこかのレビューでクレしん映画の魅力は家族愛とアクション(追いかけっこ)にある、と書いてあってなるほどと思ったことはある。確かに去年の引っ越し物語とか、ロボとーちゃんとかあとなんか猿の王様みたいなアフロの人のやつとか、派手はアクションシーンが見どころだったと思う。

 今回の作品はそうではなかった。ような気がする。
 つまり今までのクレしん映画とは少し違うな、と思って見ていた。最後まで寝なかったから。

 脚本に劇団ひとりの名前が入っていたのでその影響なのかな、とも思った。
 すごくストレートプレイだなあ、と思ってみていた。優しい物語だった。

 クレしんの代名詞とも言えるお下品や、言い間違いからの訂正突っ込みを見た記憶が無い。あったのだろうけどしつこくなくくどくなかった。おしりもあまり見ていない。
 だからすごく見やすかった。
 ギャグというか笑いのテンポもよくて、けっこうニヤニヤしながら見ることができた。
 隣の若いパパは声を出して子供と一緒に笑っていて、ああこういうお父さんいいなあ息子羨ましいなあと思った。

 物語はけっこう重たい話なんだけど、軽くあっさり流しているのは子供向けだからだろうし、ターゲットを大人に絞っているんじゃないかと思えるクライマックスなのはいつものことか。大人が子供に伝えたいこと、という感じ。
 これ子供にわかるんかなあ、と思って心配していたところ、ウチの次男(小3)の感想は

「安村めっちゃおもしろかった」

 だった。ああそういうもんだろうな、と思った。

熊本で大地震が発生した。

 インターネットコンテンツにコメントする気力がない。
 
 SNSでつながってる人とか、別にSNSを通じて話すような人たちじゃないし。
 web上のみのつながりの人と真面目に話し合うようなこともない。
 ネットで盛り上がっている話題ってテレビのワイドショー並のものしかなくて興味すらわかない。
 俺が何かを言ったところで誰かになにか届くわけでもない。

 というわけでブログに書くわけだ。
 4月14日夜〜15日未明にかけて巨大な地震熊本県を中心に発生した。直下型の地震。被害は甚大。

 群馬県という遠方にあってできることはまず何もない。
 現地の状況を知りたくてテレビをつける。当然何も分からない。
 時間が経つにつれ段々情報が集まってくる。

 俺はテレビというものが嫌いだからなのだろうけど、民放の番組を見ていて、この人達は、震度7というインパクトに比べて被害が比較的小さく思えることが残念でならないのではないか、と思えてきた。
 巨大地震! 被害甚大! 救援! 支援! 復興! みたいなドラマを描きたかったのだろうけど、イマイチだなあ、みたいな肩すかしを食らったような空気を見ていて感じてしまった。
 報道の重要性はもちろん感じる。しかし、速報性がどこまで求められているかというと、それは、テレビ局側が自負しているよりはずっと低いと思う。正確な情報をきちんと集約したり整理したりして伝えて欲しい、というのが、情報化社会である現在の、俺達の、いや俺の希望だ。

 今朝のワイドショーで、被災地への物流が滞っている問題で、コンビニはうまいことやってる、という話題を取り上げて、こういうところで行政が民間に協力してもらう体制はとれないものか、とかコメントしてたけど、じゃあ災害時に情報の共有を行政とメディアはどれだけ協力できてるんですかね、と思う。
 混乱しています、というリポートは結構だが、そんな「当たり前」のことをドヤ顔で言われても困る。
 取材し、残すことは非常に重要だしその使命は崇高だと思う。だけど、現地から中継をいちいち飛ばしてリポートさせるまでもないんじゃないか。少なくとも全国ネットで。ローカルでやりゃ十分だろ。

 それと、瓦礫の中から救助される映像も流れていたけど、消防やレスキューの人たちが大勢でブルーシートを広げて目隠しを作るのね。それを中継しながら
「今ブルーシートが広げられて、その向こうで、動きがあります」
 みたいなリポートしてるけどさ。あんたらが取材をやめればその目隠し必要なくなるんじゃないの? って思うんだけど。
 悲惨な被災地の中での明るい話題? 希望? そういうのもすごく大事なのもわかるんだけど、そういうドラマを欲しがる姿勢がさ、救助の邪魔してるじゃん。

「こちらの避難所では食料、水、赤ちゃん用の紙おむつなどが不足しているようです」

 っていかにも現場のナマの声みたいに全国放送で流してるけど、それほんとに被災地として不足してるものなの。
 あるけど現場に届けられてないだけじゃないの。そういうの調べてから放送に乗せてもいいんじゃないの。
 全国放送としてさ、災害後すぐに「遠方からの被災地への電話はできるだけ控えて下さい」とか「情報が落ち着くまで現地市役所などへの電話問い合わせはご遠慮ください」とか繰り返しアナウンスしたかね。「ボランティアの協力は現地行政からの要請が発表になってから手続きをしてください」ってアナウンスしたかね。
 そういうのがさ、見て取れないと思ったんだよね。

 俺は群馬にいて、何もできないと思ってる。現地に駆けつけたっておそらく何も出来やしない。
 救援物資を買って送ることも、今の時点では流通への負担をかけることを考えたら、してよいのかどうかわからない。おそらくしないほうがいい。物資はあると思う。それだけの備えはしているはずだし、色々な行政から送られると思うので。
 今生きるか死ぬか、明日の暮らしをどうするかと苦しんでいる人たちに、俺ができることは、ない。
 これから長い復興の道のりが始まる。その時に必要になってくるのは予算だ。お金だと思う。それは現実。だったら、なにかしたいという気持ちを義援金や寄付という形で現すのが一番良いのだと思う。
 大切なのはその、寄付をする先だ。
 日頃から自分の帰属する組織なりの、もしもの時の窓口は抑えておくべきだ。それが、災害への備えになると思う。
 それを確認しておくことが、支援の一つだと思う。

 あと、地震のあとすぐに「原発は」とか言い出した人は反省したほうがいいと思うし、なんでオスプレイ?とか反応しちゃった人も落ち着け、と思った

マイナンバーカード発行手続きに市役所に行ってきたら個人情報大丈夫かととても不安になった

 12月にネットで申し込んだ。マイナンバーカード?

 3ヶ月経ってようやく、できましたよー、っていう葉書が来た。市役所まで取りに来いとかなめてんのか!と思いながらも行った。
 市役所に着くと、特設コーナーがあるのでそこに行けと言う。急ごしらえの見通しのいいスペースを衝立で仕切った場所に受付のテーブルと待ち合いのパイプ椅子。
 市民の姿は数人。職員が数名、何かに取り憑かれたように忙しそうに手続きを促す。

 番号札を取れ、通知カードは持ってきたか、身分証は免許証があるか。よしでは座れ、みたいな。
 待ち合いの椅子に座るとその職員がA5くらいのペラ紙を持ってきてこう言った。

「じゃあここに暗証番号を書いておいてください。4桁の数字と、6桁以上の英数字の2種類お願いします」

 は? 暗証番号? 書くの? 紙に?

 まあ、手続きを迅速に進めるためには必要な措置なのだろうから書いたよ。突っ込むの面倒だし。

 すると受付の机に案内されて書類を確認され、次の待ち合いに。すぐに発行手続きの窓口になってた。
 いかにも市役所職員ですっていう中年の不愛想な女性が受付てくれて、机にはでっけえ液晶モニターが設置されてた。
 席に座るなりマイナンバー通知カード(最初に郵送されてきた、マイナンバーが書かれたペラい紙)と免許証を渡す。免許証コピーしますと言われる。暗証番号の紙はまだ渡さない。
 
 驚愕の瞬間は静かにやってきた。
  
 落ち着かない職員の手続きを眺めていると、それは唐突だった。
「それじゃここに暗証番号を入力して下さい」
 とその職員が言ったのだ。
 え? 入力? 俺が入れるの?

 目の前に置かれた20インチはあろうかというでっけえ液晶パネルはタッチ式で、いつのまにかそこに、暗証番号を入力する欄と、テンキーが表示されていた。

「え? 俺が入れるんすか」

 と、驚きましたよ! という感情をたっぷり込めて言ったつもりが、見事なまでにスルーされ、「お願いしいます」とだけ返された。なんという能力の高さ。普段どれだけ市民の苦情に付き合わされているのか垣間見えた瞬間だ。
 俺はつい先程自分が決めて、用紙に記入した暗証番号を見ながら、タッチパネルを操作する。
 暗証番号入力欄はそれぞれ2つずつあり、入力用と確認用。つまり間違えがないように二回入力するよくあるタイプになっていた。俺は内心、マジかよやばいよやばいよ、と思いながら数字4桁の暗証番号を入力する。

 するとどうだ。画面の暗証番号欄には、ご年配の方にも見やすくくっきりと、おそらくMSゴシックで俺が入力した数字がリアルタイムで表示されているではないか。

「まじで!」

 声が出た。声が出たよ。俺が「1234」と入力したら画面に「1234」と表示された。「****」じゃなく!
 ご丁寧にくっきりはっきり大きな文字で2回表示された。暗証番号が。俺は戸惑いを隠さなかったけど、職員のスルー力はおそらく53万で、無言のまま「早く入れろよ」と訴えてくる。
 続けて下段の、英数字のパスワードを入力するもやはりくっきりはっきり文字で二回とも表示されている。
 これがいきなり丸ゴシックとかになっていたらクスッと笑うところだけど、やはりゴシックだ。
 俺は諦めの境地に立ち、暗証番号を入力し終えて職員にバトンを渡した。

 つうかさ、自分で入力するのって、職員に暗証番号を伝えなくてもできるようにだろ? そういう配慮してるからだろ?
 だけどそれ、後ろの人達から丸見えなんだよね。待合椅子がたくさんあるってことは当然、後ろに人が並ぶってことが想定されていて、その状態で、なにそれ!ッて感じ。
 ペリー並に言うよね「ナニをそれで表現しようとしてルノ!?」ってさ。
 

 その後いくつかの説明を聞かされて、無事マイナンバーカードは俺の手元にやってきた。
 手元にはマイナンバーカードと暗証番号の書かれた紙だ。
 じゃあお疲れ様でした、みたいに言う職員に「え。これ持って帰るの?」と聞いた。おもいきり驚いてみた。
 しかしスルー力はびくともしない。

「そうですね。メモとして保管しておいてください」
「いや、いやいや。じゃあシュレッダーありませんか」
「ありません」

 俺は席を立った。
 帰り際、一階の受付に立ち寄って「すみませんシュレッダーありませんか」と聞いた。有ることは知っている。暗証番号が書かれた紙をシュレッダーしてほしいのだという無言の訴えだ。しかし、市民が使用できるシュレッダーはないという返答だった。

 そうか、と自宅でシュレッダーにかけた。

 マイナンバーに関してはもうずっと管理の面が不安視されていて、運用前からトラブルも頻出していて運用してからもまあ色々出ているわけですよ。それ自体は仕方ないと思っている部分もあるんだけど、それにしても、普段個人情報の取り扱い専門店、個人情報百貨店であるはずの市役所職員、中でもマイナンバーカード発行業務に携わる人たちが、この程度のリテラシーなのかっていうと、流石に俺も叩きたくなるんですよね。叩きたいって言うと言い過ぎですけど看過できないレベルだと。

 それともう一つ、それは直接この件に関係ないんだけど、そのスルー力の高い職員のリテラシーの低さというか、そういうのがあってそれでもうほんとにこれはダメだと思って。
 市役所の職員とかってIDぶらさげてるじゃないっすか。首から名札? みたいなの。その職員もそれをぶら下げてて、そしたらその透明の名札ケースの中に何かメモ入ってるなーと思ったんですよ。別に見ようと思ったわけでもなくちょうど目の前にぶら下がっているから。
 そしたらそれ、おそらくシステムのIDとパスなんですよ。手書きで「admin:〜〜〜」とか書いてあったので。
 それがどのシステムかとかはまったくわからないけど、その状態でもう、ああ、もうこりゃダメだと。

 全力でいかりや長介的にダメだこりゃとなって俺は後にしてきたわけです。市役所を。
 どうか大きな問題が起こりませんようにと。