道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

ハロウインと日本人の信仰観とあと終活

 これまた風呂敷広げたなという感満載のタイトルを付けてみましたがいかがお過ごしですか。
 日本列島はすでに11月に突入し昨日行われたハロウィンでは各地様々な催し物で賑わったと一部報道機関が伝えております。

 「信仰観」としてみたんですよ。俺は以前から宗教という言葉をあんまり使うべきではなくて、信仰だと言ってきてるんですが、ここを「宗教観」みたいなことにしてしまうとおそらく話がおかしくなります。宗教と信仰の違いがわからない人はちょっと考えてみてください。
 というか俺も宗教ってなに? と言われると困ります。まあ、大雑把な上に大雑把な考え方として、宗教と言うと集団のことを示し、信仰というのはあくまでも一個人の持つものである、というような捉え方をしてもらうと俺としても助かります。というか俺はそう使い分けてます。
 なのでおそらく過去ログ、これ自分でも読む気がしないんですけど、読んでみるとあんまり宗教という言い方はしてないと思います。あくまで大事なのは信仰でありまして、その教団がどうであろうが個人にはあまり関係がないというスタンスです。

現在のハロウィン

 ここで画像とか紹介するまでもなくテレビでもネットでもその模様は流れてますが、とにかく現在特に今年の日本のハロウィンは「仮装パーティーである」と言えると思います。
 渋谷とか大阪とか、大都市では街中を仮装した人々がわんさか行き交っている様子が大きく報じられています。それにともなって仮装グッズの売り上げが前年比200%を超えたとか、色々な店舗では店員も仮装して盛り上げていた、だのそういうことが話題になっています。

 一方40歳の俺の観測しているSNSあたりでも、小さなお子さんと仮装して「トリック・オア・トリート」みたいな文言と共に写真をアップしているお母さんや、職場や町内でかぼちゃのお化けのグッズなどを手作りしたり、子どもたちにお菓子を上げたりパーティーしたり、などということをやったよ、みたいなことが報告されており、「いいね!」なんかがとびかっておるわけです。

 トリック・オア・トリートってさ、トリニダード・トバコみたいだよな。と思いながら俺は眺めているわけであります。
 当然のことながら俺が「ハッピーハロウィン」ととぶやいたところで誰も何も反応してくれるわけもないしイイね! どころか、ええやん!  すらないです。

それを見た俺はどう思うかと

 それはもちろん
「うわさみー」
 と。仮装ってったって、コスプレでしょ? 君らコミケコスプレイヤーとそれに群がるカメラ小僧たちを眺めてどう思うの? と。「なんだこいつらって思うんじゃないの?」とかね。そういうことも思ったりしますよね。

 でもね、いや待てよと。これ、さみーになってるのは取り上げる側、まあテレビでいいんですけど、テレビの取材する側と制作して放送する側が「さみー」と思ってるんですよ。だから俺も「さみー」と思うんですよ。見てて。可愛そうだなあと。そう思い始めるんです。そうすると次にこう思います。
 
「そっとしといてやれ」
 これですね。このとおりだと思うんです。
 大事なのはここなんですよね。あれ、仮装してる人たちは、楽しくてやってるんです。別にテレビの取材陣とか、ネットの向こうで羨ましく眺めているようなそんな奴らのために仮装して歩いてるわけじゃないんですよ。あくまでも「自分が楽しいから」または「楽しむため」にやってるわけですから、それをもって勝手に眺めて「つまんねー」とか言ってしまっては、ただでさえ負け組だというのに、更に負け惜しみを吐き続けるようなものなんですよね。
 ただ、それは同時に、コミケのレイヤーさんたちも、ハロウィンの仮装行列も、同列に語られるべきである、とも思います。もちろんです。
 そんでもって次

店員さんとかが仮装してることについてはどう思うか

 テレビでは料理店の店員とか、美容室のスタッフとか、小売店の店員とか、そういうのが色々と仮装していることも取り上げられていました。これ、「うわだせえ。そんなにまでして売上あげたいのかよ」と思ったらダメです。
 これはですね、「ようやく世間が追いついてきたね」と労って上げるところです。
 商売の世界ではハロウィンなんて数年前から10月の季節ものとしてしっかり定着しています。まあ、あそこまで仮装して盛り上がってはいませんでしたが、10月になると店内ディスプレイをかぼちゃにしたり、月末には子供にお菓子を配ったりしていました。むしろこういう方面からハロウィンを盛り上げたいという思いがあったはずです。
 10月って厳しいんですよ。とくに季節イベントないし、運動会あるし行楽シーズンだしボーナスからは遠いし、ってことで、小売は売上伸びない月だと思うんですよね。だからこそなんとかしてイベント感を創出して集客したいところなので、ハロウィンは実は商売してる者にとってはありがたいものでもあるんです。
 ただまあ、ほとんどの人間にとってどう扱っていいのかわかりにくいイベントであったことも確かだと思います。

ハロウィンはお祭りだ

 日本でのハロウィンってことなんですけど、ハロウィンの起源というか、もともとハロウィンでなんなの、ってことについては俺はよくわからないです。かぼちゃの収穫祭みたいなものが起源なのかと思ってたんですけど、なんかそれも違うみたいだし、でもまあ、もうそれはどうでもいいです。
 とにかく日本では、ディズニーランドとか、大手の企業がハロウィンを訴求してじわじわイベントとして浸透してきて、今年あたりかなり盛り上がったイベントだ、ということです。
 で、ですね。俺はこれ見てて、これはもうお祭りだなと。現代的なお祭りだと思うんですよ。各地で夏に開催されたりする地元の祭なんかより、よっぽどお祭りになってるな、と思うんですよね。

 お祭りってなにか、ってことについて抑えておいてもらいたいんですけどお祭りってのは、信仰を切り離して考えることはできないわけです。
 一般的には神社さんで行われるもので、そこには神様があるわけですよね。神社という場所には普段神様はいません。神様をお呼びして、そこにご利益をいただこうとする行事、それが祭りなわけですよ。祀りです。神社というのはお祭りの時にだけ神様が現れるところなのですから、祭りというのはそういう行事なんです。
 神様をお招きするわけですからこれはもう、単純にめでたいわけです。だからこそ晴れ着を着て、その日は普段の労働からも開放されて、賑やかに過ごすわけです。これが祭りです。
 各地の地元の祭りなども、元をたどってみれば何らかの神様をお祀りする、または祈願をする行事だったはずです。
 それが長い歴史の中で信仰が薄れたり、信仰よりも伝統が重んじられたり、あるいは観光や商売のための行事となったりして今に至ってるものがほとんどです。
 
 俺はこれ、「けしからん」と断じるつもりはないです。それが今の「日本の祭り」だ、というだけです。そういうものを皆さんが望んで行っているんだなあ、と思うだけです。ただまあ、やめちゃえばいいのに、と思う祭りもすくなくないです。

 そういう意味で見てみるとですね、ハロウィンとかいうなんだかわからないけど、10月31日にイベントがあって、その日は子供が仮装して家々を回るとお菓子をもらえるよ、とか、または街でみんなで仮装して歩くと楽しいよ、とかいうことで人々が自主的に動いてるわけですよね。これは、信仰心というものがあるわけではもちろんないんですが、信仰はないけれども、各自が楽しいからという理由で一つのことに集まる、というてんでは非常にこれは、お祭りだなあと。
 今の日本のお祭りっていうのはこういうものなんだよなあ。と。
 必ず経済効果が語られますよ。つまり、経済効果があれば正義なんですよ。ただ無駄ばかりで負担ばかりであれば叩かれるんですよ。でもこれによって街や経済が活性化しますよみたいな根拠があって初めて賞賛されるんですよね。それはなにも今風のイベントばかりでなくて、伝統的な祭りをもってしても、そうです。人々の信仰心など遥か彼方に置き去りにされて、経済効果や地域活性化の観点でしか図られることがありません。

突然なんですけど、終活の話

 これね。今俺ハロウィンみてこうやって思ったんですけど、それにはもうひとつ根拠がありまして、終活。知ってます? 終活
 人生の終焉をどう迎えるかを考えることによって今を自分らしく生きる、みたいななんかよくわからないお題目を掲げた活動です。終活
 以前にも生前葬とかがブームになりましたけど、そういう流れの一つだと思います。終活。知らない人ごめんなさい調べてください。
 実は俺それの初級カウンセラー資格とったんですよ。
 それでそれについて考えてる時も、ああ、これ、終活は現代の宗教だなあと。ここはあえて宗教と言っています。
 あ。俺宗教家ですから、宗教という単語を否定的な意味で使いませんよ。肯定的に捉えてください。
 本来、終活でやってることなんてのは宗教がやって来たことなんですよ。お寺だったり神社だったり教会だったり。それが法的な部分であっても、または司法の土俵に行くべきものであっても、そこには信仰があったんです。その根拠として。でも今はそれがない。ないですよね。
 だから「死」というものを考えるときに信仰を排除したんです。そしてその拠り所となるものとして、法的な解決法をもってきたり、ファッションを取り込んだりしてるんですよ。根拠となるべきものを無理矢理に持ってきているわけです。
 でもそれは悪いことではなくて、その人や家族のためになることであれば、大いに活用されるべきです。
「そういうもの」なんですよ。現代というのは。もう、宗教の力が及ばない部分が多くて、何とかしたいと思った時に神も仏も抜きにして、拠り所となるものを作らなきゃならないんですよね。もちろん、それすらも商売になるし、飯の種になるわけなんですけどね。だからどこかで破綻します。突き詰めていけば求められているのは良心だったりするわけですから。
 でも、それでもやるわけですよ。第一には「人のためになにか役立ちたい」という思いがある以上、それは新たな宗教を創りだしてでも、人は人のために動きたいと思うわけです。

まとめ

 死を考えてどう生きるかということを考える「終活」にまで信仰が抜きにされる時代ですから、お祭りに信仰がなくともなにも驚くことはないわけです。
 つまり、信仰がなくともお祭というものは成立するんだ、というふうに考えるほうが自然であって、そういう意味で、今年のハロウィンは、見事に現代的なお祭りでありました。

 だからそれは、あくまで参加している人たちのものであって、それを見て外野が「つまんねー」とか「さみー」とか「クオリティ低いなあ」とか「ちょww 才能の無駄遣いにも程があるwww」とかですね、騒ぐことではないんです。
 誰かに見せるための仮装ではなくて、自分が楽しむための仮装である。
 そう考えれば、非常に微笑ましくて温かいイベントではありませんか。
 来年のハロウィンを楽しみにしています。