平日の日中に男子がワンマンプレイするのなら
時間がかなりある、その時間を潰さなければならない、というのもまた、そこそこ大変でもあるなあ。
それにしても俺ならヒトカラ中心に組み立てる。
用意したいのは、最低でもマイマイク。
電気屋で安いの、2000円くらいであるので1本買う。
カラオケ屋のマイクは壊れていたりするし音も広がってしまうので、有線のマイマイクが1本あるとほんとに楽しくなる。
なお、JOYSOUNDではなくDAMだと前面にマイク端子があるので使いやすいとのこと。JOYSOUND使わんからわからん。
できれば、ICレコーダーもあるとなお良い。
自分の歌を録音して聴いてみるのは、上達への近道だと思う。
スマホの録音では、音がうまく拾えないんじゃないかなーと心配。
ヒトカラーには、カラオケサイトでの会員登録は必須だ。
無料で会員登録できるので直ちにしておく。
よく歌う曲を登録しておくと、カラオケ屋でリモコンからログインしたらマイページにずらりと並ぶ。快適。
もちろんそれぞれのキー設定なども保存されているので、1発で選曲&sing&SHOUT!
だけではなく、録音や録画ができ、後からサイトで見聞きすることができるし、それを公開して誰かに見たりしてもらうこともできる。
カラオケの基本は歌を楽しむことだ。
採点とかで一喜一憂するのではなく、楽しく歌えることをみんなにも知ってほしい。
平日なら開店からフリータイムで入れば夕方まで楽にいられると思うので、調子が良ければカラオケ屋だけで楽しめるだろう。
なお俺の利用する店舗は最近Wi-Fiも飛ばしてくれてるので、歌うだけではなくパソコン作業もできちゃう!
最近はカラオケ屋も会議や楽器練習にも使ってください!みたいなアピールをしているので、楽器を持ち込んだりただ眠ったりするだけでもいい。
またあまり知られていない機能かもしれないが、カラオケの背景映像を変えることができるので、イケメンボーイやかわいい動物やグラビアギャルなどの映像を楽しむこともできる。
食べ物はおひとり様で用メニューとかもあるので、テキトーに食えばいい。
ただ、カラオケも全身運動なので3時間もすると疲れてきたりダレてきたり、屋外に出たくなったりするかもしれない。
そしたら後はネカフェに移動してマーサージチェアに座るもよし、先程のカラオケの結果をサイトで確認したり、録音したものをスマホに転送するもよし。
静かな空間でリラックスしてカラオケによる心地よい疲労を癒すのだ。
そんな時間を過ごすのは最高に楽しい
エスカレーター片側空けない部
エスカレーターに乗る機会が少ないのは電車移動が少ない田舎民だからか。
たまに都会に出て電車に乗ると、エスカレーターを頻繁に利用するのでその度にドキドキする。
片側を空けるかどうかだ。
学生時代関西にいたので、右側に立つくせがついていた。左側を空けているわけで、関東の作法とは逆になり、よく背中にタックルされたものだ。
かつては俺も片側を空けてエスカレーターに乗るのが作法でマナーでお気持ちだと思っていたし、急ぐときは空いた右側を歩いて昇り降りしていた。
ところが最近特に、エスカレーターで片側を空けるのはやめましょうという声が大きくなってきた。
何かで見たが、エスカレーター屋さんが「どちらかに偏って重さがかかるのは故障の原因となるので望ましくない」と言っていたし、そもそもエスカレーターは歩くためのものでは無い。
ベルトに捕まり立ち止まって乗るものだ。
駅などのエスカレーターに乗れば、案内文字やアナウンスなどで、「ベルトに捕まり立ち止まってお乗り下さい」とか「歩行は思わぬ事故につながります」とか言われている。
エスカレーターは、立ち止まって乗るのだ。歩いてはいけないのだ。
だから当然、急いでいる人に配慮して片側を空けてやる必要は、ないのだ。いや、空けてはいけないのだ。
しかし、現実にはまだまだ片側空け、歩行者ガンガンなのも事実。
誰かが、立ち止まってあげなければならない。2列で立ち止まって乗る方が全体の輸送速度も同じかそれ以上になりそうな気もするし。そもそも歩くなと言われているし書かれているし、立ち止まって乗ることは何も間違えていないのだ。
誰かが、立ち止まってあげるのだ。
誰が?
それは、俺たちおっさんの使命ではないのか。
若者や女性には、困難なことも多いだろう。公共の場で、これまで慣習でされてきた事にノーを突きつけるのだ、そこには「てめーなにやってんだよ」「歩けよ」「常識だろそんなことも知らねーのかよ」という言葉が容赦なく浴びせられるだろう。主におっさん達から。
残念なことに、おっさん達は若者や女性に対しての攻撃力だけは高い。しかし、残念なくらいおっさんに対する攻撃力は低い。
もはや人口の半分が自分たちより年下になろうとする今、俺達こそがエスカレーターの流れを断ち切るべきなんだ。
俺達には武器があるじゃないか。仮に文句を言われたとしても
「そうなんですか、それはすみませんでしたぁ」
と笑顔で返せばよいのだ。磨き上げてきた謝罪のテクという武器が。
舌打ちが聞こえてきても、ああ舌打ちしかできない人がいる、と思えばいいだけのことだ。
さんざん、若い人や女性達に迷惑をかけ役に立たないと思われているおっさん達ができる社会貢献として、エスカレーター立ち止まり部の活動を、広げていきたいと思う。
みんなもっと発信しよう
はてブを眺めていてもホットエントリーや人気記事に上がってくるものが、なんというか平たく言っておもしろくなくて、やっぱりここ数年インターネット利用層が一層幅広くなってきて濃度が薄くなってるよなーと思いつつも、自分もまたネットの話題に飽きてきているのもあるしなーと。
だけどやっぱりいろんな人のいろんな話を読みたいし、いろんな議論も見ていきたいし自分も言いたいぞ、と思ったりするので、それにはタイムラインで流れてしまうSNSなんかより、ブログなんかの方がいいよなーと思うので、みんなもっと色々書こうぜ言おうぜって思って、久々にブログ更新です。
自分へのメモとしても活用していけるし、やっぱりブログいいよね!って思う。
スマホで
死刑が執行されました
昨日タイムラインに流れてきたのは、死刑囚に死刑が執行されたらしいという情報だった。複数のマスメディアを確認したところ、元オウム真理教の代表だった死刑囚の刑が執行されたことを確認した。
その後もタイムラインがざわついていて、何かと思って遡ると、どうやらオウム真理教関係者の複数の死刑囚の死刑が執行されたらしい。
結果的に7人の死刑が執行されたとか。
死刑囚というのは、日本において近年非常に重大な罪を犯した者であって、世間的な注目も高く、関心も大きいもので、死刑が執行されたことが報じられるのは珍しいことではないし、むしろ、死刑が執行されたことがきちんと報道されるのは正しい姿であるように思う。
だが、どうにも腑に落ちないのは、死刑が執行されるであろうことがTVなどに事前に漏れてしまっていたのではないかということが疑われてしまうのは、よろしくない。
それは厳密であるべきだし、その情報を掴んだTVなどは、それをスクープにしたり、速報性を重視するのではなく、そこはぜひ、ルーティンとして、第一報は冷静に慎重に取り扱ってもらいたい。
そして、「どうやら複数の刑が執行されるようだ」みたいな、未確認の情報を垂れ流してしまうようなことは、ぜひとも謹んでもらいたいものだと思う。
死刑をショウにしてもらいたくないのだ。
死刑には反対の人も多い。死刑が執行されたときは、死刑の是非について議論が盛り上がる良い機会だ。
存置派も、撤廃派も、お互いの意見を聞く良い機会だし、少なくとも現行の規則でなぜ死刑が採用されているのかを知る機会になる。そして、自分の立場としての意見を、より補強することもできる、良い機会だ。
どのような人であれ、人の死は尊厳を守られるべきだろうと思う。
まして、どのような人であれ、死刑にするのは反対だと多くの人が表明している現状で、その死を、ショウとして利用し、商売として扱うことは厳として慎むべきであると思う。
また、特集を組んで「この人はこんなにひどいことをやった」と、まるで視聴者の処罰感情を高めるかのような番組を放送することも、非常に危険だと思う。被害者に寄り添うふりをしながら、実は加害側を攻撃したいだけであろうその姿勢は、子どもたちに見せたくない放送でしかない。
TVの放送は、攻撃力が非常に高い。その武器を扱うには、謙虚さを相当高く持っていなければただの暴力でしかない。
いまだにTVの中の人たちが「社会的正義」だの「社会的制裁を加える」だのと考えているのであれば、それは大きな間違いだ。
死刑囚は、死をもってその罪を償うという、最大限の罰が国家によって与えられる。
少なくとも現行制度がそうある現在、それ以外に、強大な力を振りかざして制裁をくわえて良い理由など、存在しない。
俺はそう考える。
インターネット殺人事件?
タイトルが思いつかない。今更になって書くのか俺は。書かなくてもいいのにね。
ワールドカップサッカーの予選リーグの日だったはずだ。確か第二戦で、セネガルと引き分けた日のことじゃなかったかな。
その日俺は早く休んでいた。翌日、出張で関西まで運転していかなければならないし、一日前から風邪をひいていて身体がしんどかったからだ。
早く寝たもんだから夜中に目覚めてしまって、ケータイを眺めた。
どうやらサッカーは引き分けたらしい。すごいじゃないかと思った。
そして、タイムラインに
hagexさん以外考えられない。 - はてこはときどき外に出る
こんな記事が出てきた。リツイートは、やまもといちろうさんだったと思う。
はてこさんは、つい先日デリヘル呼んだブログを読んだばかりだったので、何事かと思った。どうにもこうにも、hagexさんになにかあったらしい。
もちろん、俺はhagexさんとはなんの関わりもない。面識ももちろんない。webで言葉を交わしたこともまったくない。
「有名なゲスいブロガー」hagex、という認識しかなかった。
でも俺はhagexさんのこと好きで、とにかくブレないしマメだし突っ込んだら倍返しじゃきかないし、キャラの設定もなんかゆるゆるだし、とにかく古き良きはてなユーザーって感じで、好意的にいつも見ていた。
続々と情報が入ってきた。
どうやら、はてこさんの言う通り、hagexさんが何者かに刺され、そして亡くなった。
とても不思議な感覚だった。
hagexさんてもっと若いのかと思ってた。若い割にしっかりしてると思っていた。仕事してるどころかちゃんとしたサラリーマンじゃねえかよと思った。
年齢が俺に近いじゃねえかと思った。
やまもといちろう氏やフミコフミオ氏と、これから仕事をしようと思っていたのかよと思った。
最初に気がついたのは、やまもといちろう氏からのリツイート。はてこさんのブログだ。それは「どうやら、おそらく、間違いなく、hagexさんが事件に巻き込まれた」というものだった。
そのときにはすでにマスコミによる報道もなされていた「被害者死亡」と書かれていた。
もちろんマスコミの報道にはhagexとか書かれていない。被害者氏名は報道されていた。そして、その報道を受けて、「年齢、氏名からhagex氏に間違いない」とwebで断定される。
hagex氏のブログはその日以来更新されていない。
犯人というか容疑者は、おそらくインターネット上でhagex氏に興味を持って、なんらかの動機で犯行に及んだものとされる。おそらくこいつだろうというのは特定されているし報道もされている。
特に個人としてブログを書いていたり、個人アカウントでSNSを利用していたりする者ではないのに、固有名詞で呼ばれるほどの、荒らしユーザーだ。
事件当日、hagex氏は福岡でのブログセミナーを主催していた。報道では「IT関連のセミナー講師」とか呼ばれていて格好いいなと思った。そうかイケダハヤト氏やはあちゅう氏が報道されるときもきっとこうやって呼ばれるのだろうかとか思った。
ブログセミナーに登壇しただけなのに(失礼)IT関連のセミナー講師とは。随分な肩書だなあと思った。
もちろん、hagex氏は(その後明らかになる彼の経歴などから)、そう呼ばれるにふさわしいと思うが、第一報当時で「それは言い過ぎやろう」と思った。
また、先日のアメフト反則事件以来、日大が炎上しているが、hagexさんはブログで、日大理事長の黒い噂を取り上げていた。その矢先、そして福岡での事件ということで、当初は容疑者についていくつかの憶測も飛び交った。
今でも、単なる単独犯なのか、という疑問は晴れない。
この日以来、インターネットの空気が少し違う。
なんというか、元気がない。ノリが悪い。いやそれは俺の側の問題なのだろうけど。
かつて隆盛を誇っていたブログの、中でもはてなダイアリーのブロガー達が、一様に筆が重いように思える。
なんていうか、こう、一つの時代の終わりを、受け入れざるを得ない長老たち、みたいな雰囲気がしているようで、俺としては辛い。
しかし、事件翌日、福岡在住の友人に「昨晩殺人事件あったろ」と聞いてみても「そうなん?」と言われてしまうし、妻に「昨日の博多の殺人事件さ、ネットの有名な人が刺されたらしい」と言ってみても「ふうん」で終わってしまうし。
職場でも、サッカーのことは話題になっても遠い九州の、しかも夜の繁華街で発生した殺人事件など、話題にすらのぼらない。
ネットの中を見てみても、はてな界隈とそれ以外での、この事件にたいする熱量が、100と0くらい違うような気がする。
ぶっちゃけ、はてなを一歩出てしまうと、「hagex?誰?」状態のように思う。
現実の世界の人たちに「はてな」と言ってインターネットサービスを連想する人は、非常に少ないと思う。
そういうものなんだな、と思った。
その日以来、界隈では色々なエントリが立ち上がり、改めてhagexさんの影響力を見せつけられているし、はてなの独特の空気を浴びせられているが、俺はそこまでのブロガーではないし、そんなにコアにはてなを利用してきていなくてよくわかっていない。
ただ、一人のブロガーが亡くなった。尊敬する、好きなブログだった。その、ブログの更新が止まった。それだけは、事実である。
「本番」のようななにか
人前で話をする時がある。
本業が宗教家なので、本業の仕事の一部も「話をすること」はもちろんあるのだけれど、それではない方のこと。
ボランティアで、小中学校や公民館で講師をさせてもらうことがある。
今年で独り立ちして3年目になるんだと思う。数えてみて年間15~20回ほど担当させてもらっている。一回30分~60分程度の講演だ。
その開始前に、極度に緊張する。
「異常なほど」と言っていいと思うのだけれど、緊張感が高まる。
その緊張感を俺は知っていて、それは、学生時代に経験した、劇団の舞台公演の本番当日の緊張感と、まるで同じだ。ということを、先日思った。
「本番」であるかどうかで言えば、おそらく本業である方の説法的な講話的なもののほうがおそらく本番なのだろうけれども、なぜかボランティアの、こっちのほうがよほど緊張してしまう。話す内容も大体決められている(学校がらみなので逆に余計なことは話すとまずい場合が多い)し、子供相手だし、なぜこんなに緊張するのか、と自分でも不思議に思う。
少し学生時代を思い出してみると、俺が舞台にかかわらせてもらったのはほんの二年足らず。所属していた劇団の本番4本と、お手伝いで数本の本番をやらせてもらっただけだ。だから、芝居人として、とかいう経験談ではもちろんないけれど、それにしてもあの瞬間は緊張したもんだ。と思い出すのだ。
あの瞬間は、「最初の出番の直前の舞台袖の数秒間」だ。
俺は基本的に人前に出ることは苦ではない。好きだと言ってもいい(好きなだけで上手ではない)。
だから、そんなに緊張する方ではない。稽古でも、本番当日でも、割と冷静に客観的に眺めていることが多いと思う。だけれども、あの、出番直前の、楽屋から袖、そしてそこから明るい舞台に出るまでのあの緊張感だけは、ほんとに「異常なほど」に高かったと思う。
そういえば自分以外の人の緊張度合いとかを聞いたことがなかったのでみんなどこでどれくらい緊張しているのかはわからないけど、俺が見た感じだと、けっこう長い時間緊張している人も多いと思う。俺は周囲からは「緊張しない人」と見られていたかもしれない。
その舞台の上は、その日の劇場の空気は何色だろう、みたいな。どんな臭いだろう、みたいな。そんな期待と不安がごちゃまぜになったような感覚なのだろうか。今になって思い返せばそんな気がする。
それは、どれだけ自分が作り上げて練り上げてきても、自分の力だけではどうにもコントロールできないものの中に飛び込んで行かなければならない恐怖と、想像を絶するようなワクワクを感じさせてもらえるかもしれない期待と、どっちに転んでも「やばい」状況に飛び込む前の緊張なのかなあ、とか、思う。
そんな、舞台袖の数秒間の緊張感を、今、講演の度に感じている。
そう、大体5分前くらい。もう聴衆は整列して着席していて、司会の先生が案内をしていて、俺は自席に着いていて、さあもう少しでチャイムが鳴りますよ、っていうそのタイミングで、俺の意識は一気に舞台袖のあの、全裸みたいな衣装で冷えた身体でロスコの臭いをかぎながらどこか違う世界から聴こえてくるかのような役者のセリフと観客の呼吸を息を殺して聞き入っている、あの時間と同化する。
司会の方から紹介され、バトンがこちらに渡される。
俺は舞台に上がったのだ。
「みなさんこんにちは」
演台ではなく、プロジェクタの邪魔にならない位置まで進みながら聴衆を眺める。そのときには俺はもう緊張していない。
やっと、ここに来れた。そんな安心感に包まれている気がする。
何度繰り返しても、何度同じ内容の講演を行っても、同じ学校に今年も出向いても、同じように緊張が高まる。
俺はそれで良いと思っていて、俺なんかは話も下手だし内容も薄いし練習もちゃんとしていないんだから、緊張感を持って真剣に話すことをしなくなったら、話し手として終わりだと思っている。
ひかり回線切り替えた
マーガリン塗ったトーストにスライスチーズを乗せて食べるのが最近のオレ流ですおはようございます。
朝から何言ってるんだと思わないで下さい悲しくなるので。
スライスチーズはとろけないやつがいいよね。とろけるチーズはマーガリンと合わないなーと思いながら生きています。
ところで4月になりましたがいかがお過ごしですか。
先日両親のケータイを俺の名義に変更してきました。
契約者本人じゃないとできないことが多くて色々面倒だったので、ずーっと俺の名義にしたかったので、やっと行ってきました。
家族間での名義変更はけっこう簡単にできるんですよね。二人揃ってショップに行けばいいという。
家族じゃなくても譲渡できるんですけど、結構面倒だったりしみあす。
そして昨日は、家の光回線がようやく切り替わりました。
今月来月が、auひかりの更新月で解除料がかからないので、昨年から話を勧めてきていてニューロ光がようやく開通です。
完全にauとお別れするつもりでいたのですが、両親がガラケーがいいと言うので、両親のケータイだけは今後もauに残すことにしました。
なんだかんだ言ってガラケー安いし。
なので、auクレカも解約せずに残すことにしました。auクレカって、ポイント率と、重要な「貯めたポイントをどう使えるか」という点において非常に優れていて、でも、au(ケータイ、固定回線など)ユーザーでなければ年会費かかるので、この度解約しようと考えていたのです。
でもしばらくは残そうかと。
そんな感じです。
電子書籍デビュー
きっかけは麻生幾「宣戦布告」が100円だったから。
「本が読みたいな」と思っていて、Amazonを見ていたら、電子書籍であった。
電子書籍もなんとなく知っていたけど、Amazonは専用の端末がいるかなとかなんとか考えていたし、なんだかんだやっぱり紙の本のほうがいいという思いがあって触手が動かなかった。そんなに本を読む人間ではないし。
でも自分のスマホでAmazonKindleアプリをインストールすれば、自分のスマホがそのまま電子書籍になることがわかったので、宣戦布告をダウンロードした。上巻。
そしたら思いの外自然な操作感と読書感で、どんどん読めてしまった。
特に2点。「いつでも、どこでもすぐ読める」点と「暗い場所でも読める」点、二点において非常に優れていると思った。
本を読まない人間にとっては、本と言うのは身近な存在ではない。読もうとしてから読むまでにはいくつかのアクションを必要とする。けれど、俺のようにスマホは四六時中手放さない人間にとっては「いつでもどこでも読める」というのは本が身近になる。
そして、暗い場所でも読める。夜布団の中、車の中、どこでも読める。特に夜の布団の中はそのまま寝落ちできるので便利だ。電気を消すというアクションを必要としない。すばらしい。
ただしAmazonKindle(本屋)には難点があった。それは支払いがポイントを強制的に使われてしまうのだ。
AmazonKindleは1クリック購入になると思うんだけど、その支払い方法が選べない。いやギフトとかは選べるのかもしれないけど、何をどうやってもポイントから使われてしまう。
一冊600円とか700円とかの本を数冊購入しただけで、それ分のポイントを消費してしまって、「ポイントが貯まったら普段購入しないような高価なものを買ってみよう」と思っているオレにとっては非常に不便だ。
そんな時に、AmazonUnlimitedを知った。
これは月額980円で、本が読み放題になるというものだ。これはいいじゃないか。
月に2冊以上本を購入すれば完全に元がとれる。読むとは言ってない。購入すればいいのだ。スマホの容量の範囲で、本を持ち歩ける。それなら普段は手が伸びないような本にも手が伸びて、つまらなかったら読まなくていいし、本を選ぶのも自宅や電車の中でゆっくり選べる。いいじゃないか。それにポイントを使われることもなく、本を身近に感じることもできる。
そんなことを思っていて、30日間の無料お試しに登録してみようかとしたら、AmazonReadingというものを発見した。
なにかと思ったら、プライム会員向けのサービスで、数百冊程度だけれど、その本が無料で読めるというものだった。おおこれは。
確かに数百冊程度というのは「読みたい本が読める」ということにはまずならないが、暇だから、ということで公民館の図書コーナーで本を選ぶとか、誰かの家の本棚を見せてもらう、程度にはなる。
とりあえずそれを試してみて、本読みとして物足りなかったらUnlimitedに移行しようと思った。いい。すごくいい。
で、誉田哲也の短編を読んで、今は横山三国志を読み始めたところ。
三国志、なかなか小説おもしろいのね。マンガしか読んだことなかった。
ところで麻生幾の宣戦布告はまじ面白くて、少し前にシンゴジラが流行った時にレビューを見ていて「それ宣戦布告やろ」と思った、そんな面白さがあります。
上巻だけでもぜひ読んで下さいお願いします。
コインチェックが一騒動
仮想通貨っていうものがなんだかいまだによくわからないんだけど、コインチェックとかいうのがハッキング? されて、数百億円相当の仮想通貨が盗まれたのか?
ということで大騒ぎしています。
どういうことなんでしょうか。
ともあれ、わりと歴史的な事件になるかもしれないので一言触れておいた