道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

嫁さんの調子が悪くて一週間くらい

 微熱が続いていたり、脚が痛んだりしてる。日常生活には支障のないらしいのだが、市販の薬飲んだりしてはいた。
 まあ、そのたび「おさづけ」の取次ぎなんかをしているわけなんだが、「病院行け」と言っても行かない。ホメオパじゃないんだから・・・  とまあ、ごまかしごまかしきたのだが、昨日相当脚が痛むということで、「治してやる。」とおさづけ取次ぎ。
 健康体の嫁さんがこうも身体に、しかも複数現れるとなるともう思案をフル回転でしなければならない。
 今月は月次祭で祭典講和をせよと父から言われているのでそれなりに日々思案を重ねているところ。ざっくり以下。

 ・今年立教173年、俺1973年生まれ。西暦ってこと目をつぶって「73」つながり。7+3=10。十全の守護。7*3=21。あしきをはろうてのおつとめの回数。7と3は素数(これは意味不明)。結婚してもうすぐ丸10年。

 ・女は台。土台。男は柱。どれだけ柱が立派でも土台がしっかりしていなければ立つことはできない。立派だと言われる男の隣には必ずそれ以上に立派な女がいる。その土台、台の足。土台の土台だ。それが悲鳴を上げているということは、「動けなくなる」かもしれない。柱が定まらずあっちへぐらぐら、こっちへぐらぐらしていると、土台も段々ひびが入ってきて崩壊してしまうだろう。「腰を据えろ」ということか。というか、そういう時期か。

 ・付け加えて今年36歳。俺18歳でよふぼくになったので、もうすでによふぼくとしての人生のほうが長い。

 まあ、そういうレベルの思案を繰り返して噛み砕いていくことによって、定まるわけなんですが、昨日のおさづけ取次ぎの際には「鮮やかご守護いただいた際には家族で教会に入り込みます。」と定めた。心の中で静かに。言い換えると「治してくれたら親と同居します。」ってことなんだけど、テンションとしてはそんな乱暴じゃない。んで、お取次ぎしてから嫁さんに「これがすっきり治っちゃったら覚悟しろよ。」といって仕事に行った。帰ってきてみるとどうやらその後、急に腫れたり熱を持ったりしたそうだが、落ち着いてきたとのこと。
 やっぱりな。そうだよな。

 「だと思った。」

 大体、そこしか今は考えられる点がない。それ以外は順調だもの。嫁さんが仕事に出るのも一発で決まったし、次男の保育園にしてもむしろウェルカムだし、サッカーも順調、俺の仕事もまあ順調。大体の方向性は今は間違ってない。だけど、どうしても一点決めなきゃいけないことがあるんだよ。それがこの問題。で、今年がおそらくそれだろうなーとは思っていたんだが、いつの間にやら10月になってしまい、こんな事態だよ。
 あともひとつ簡単に付け加えておくと、嫁さんが足動けなくなったら、何が困るって、結局まずは実家にお世話になることになるんだよ。そうしないと子供が学校行けないし、次男の送り迎えもできないから。そういう風に「そこから派生してどのように不都合が生じるか。」というような想像をしてみて、言ってみれば「そうならないように先回りして先手を打つ。」ような考え方もする。
 「なってみて初めてわかった。」という、よく聞くような話があるが、それに対して「なりそうだったけどわかったのでそうならないように先にやった。(そしたらならずに治まった)」というようなことだ。

 結果論と詭弁の集合体みたいな話だが、信仰というものはそういうものなのだ。