道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

オリンピックの楽しみ方

  女子フィギュアも終わってしまった。
 なるたけ冷静にとは思っていたものの、浅田選手が金を取れなかったのは素直に残念だ。最 高の笑顔を見せてもらいたかったと思った。
 同時に「こんなに自分が浅田選手を応援していたのか」と初めて知った。
 キムヨナ選手も好きな選手だが、さすがに憎たらしく見えたし、安藤選手はなにかこう、見ていてすべてが痛々しかった。鈴木選手は演技は素晴らしかったが、顔が怖かった。

 採点競技ってつまらない。フィギュアの採点はまあ、それこそ色々なことが言われているが、それにしてもやっぱりどっちが速かったかとか遠くまで跳んだかとか、そういうほうがシンプルでわかりやすくていい。
 ちょっとだけ文句言っておくと、フリーはちゃんと観てないのでアレなんだけど、SPを観ていて思ったのは、まあ結果論だが、キムちゃんと浅田の5点差も不満だし、対浅田で5点差なのに、3位のカナダの選手との差が7点くらいしかないってのがすでに矛盾だろう。まったく。

 さて。まだフィギュアのエキシビジョンとかも残っているので楽しめるのだが、オリンピックは観ていて楽しいというか、見方によっては楽しみ方が増す。
 というのは、スポンサーマークが出ないのだ。広告がない。ともするとスポーツ中継は広告の映り方によってカメラワークが変わってしまうし、テレビ側にもそれを「映さなくてはならない掟」があるからだ。オリンピックはそれがないので純粋に選手や競技を映してくれている。
 さらにショーとしても金を使い技術も最高のものを使うので、細かい演出一つ一つも目を向けると楽しい。
 たとえばショートトラックを見ていると、リンクの真ん中にカメラマンがいるのがわかるのだが、頭からつま先まで真っ白なコートをまとっている。氷の色と同化させて極力目立たないようにしている。そこを注視してみると不思議なことにケーブルがない。氷の下から這わせているのか天井に抜けているのかと思ったのだが、あれ、ワイヤレスだねきっと。いつの間にハイビジョン中継のカメラがコードレスで使えるほどになったのだろう。すっげえな。

 なにせオリンピックには国の威信が(なぜか)かかっているので、東京オリンピック東海道新幹線東名高速道路作っちゃったし、北京の時は中国人てば「当日雨を降らさないための技術」を開発実用化しちゃった。

 こういうのはお祭なのでそのときだけ盛り上がればいいんだけど、確かにお祭や戦争は人々の技術を進歩させる。お祭は民間人の財布の紐をゆるめ、戦争は国家の財政の紐をゆるめるのだ。
 
 話がそれた。お祭だから、オリンピックが終わればほとんどの人はカーリング見ないし、モーグルも見ないし、スピードスケートも見なくなる。
 上村愛子選手にはメダルを獲って微笑んで欲しかったし、浅田選手には金をつかんで欲しかったし、織田くんは紐をちゃんと確認するようになるだろうし、国母くんはシャツをズボンから出すだろう。

 そういうことも含めて、だんだん思い出になっていく。