道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

死刑が執行されました

昨日タイムラインに流れてきたのは、死刑囚に死刑が執行されたらしいという情報だった。複数のマスメディアを確認したところ、元オウム真理教の代表だった死刑囚の刑が執行されたことを確認した。

 

その後もタイムラインがざわついていて、何かと思って遡ると、どうやらオウム真理教関係者の複数の死刑囚の死刑が執行されたらしい。

結果的に7人の死刑が執行されたとか。

 

死刑囚というのは、日本において近年非常に重大な罪を犯した者であって、世間的な注目も高く、関心も大きいもので、死刑が執行されたことが報じられるのは珍しいことではないし、むしろ、死刑が執行されたことがきちんと報道されるのは正しい姿であるように思う。

 

だが、どうにも腑に落ちないのは、死刑が執行されるであろうことがTVなどに事前に漏れてしまっていたのではないかということが疑われてしまうのは、よろしくない。

それは厳密であるべきだし、その情報を掴んだTVなどは、それをスクープにしたり、速報性を重視するのではなく、そこはぜひ、ルーティンとして、第一報は冷静に慎重に取り扱ってもらいたい。

そして、「どうやら複数の刑が執行されるようだ」みたいな、未確認の情報を垂れ流してしまうようなことは、ぜひとも謹んでもらいたいものだと思う。

 

死刑をショウにしてもらいたくないのだ。

 

死刑には反対の人も多い。死刑が執行されたときは、死刑の是非について議論が盛り上がる良い機会だ。

存置派も、撤廃派も、お互いの意見を聞く良い機会だし、少なくとも現行の規則でなぜ死刑が採用されているのかを知る機会になる。そして、自分の立場としての意見を、より補強することもできる、良い機会だ。

 

どのような人であれ、人の死は尊厳を守られるべきだろうと思う。

まして、どのような人であれ、死刑にするのは反対だと多くの人が表明している現状で、その死を、ショウとして利用し、商売として扱うことは厳として慎むべきであると思う。

また、特集を組んで「この人はこんなにひどいことをやった」と、まるで視聴者の処罰感情を高めるかのような番組を放送することも、非常に危険だと思う。被害者に寄り添うふりをしながら、実は加害側を攻撃したいだけであろうその姿勢は、子どもたちに見せたくない放送でしかない。

TVの放送は、攻撃力が非常に高い。その武器を扱うには、謙虚さを相当高く持っていなければただの暴力でしかない。

いまだにTVの中の人たちが「社会的正義」だの「社会的制裁を加える」だのと考えているのであれば、それは大きな間違いだ。

 

死刑囚は、死をもってその罪を償うという、最大限の罰が国家によって与えられる。

少なくとも現行制度がそうある現在、それ以外に、強大な力を振りかざして制裁をくわえて良い理由など、存在しない。

 

俺はそう考える。