朝日新聞が結局池上彰さんの記事を掲載した件
昨日の記事を書いたそのすぐ後に、朝日、記事掲載するってよ! みたいな情報が流れていて遅かったか、みたいな感じが拭えなかったのでありますおはようございます。
こりゃもう新手の炎上商法かいな、とも思いたくもなりますが、これで朝日新聞サイトへのアクセスが増えることがあっても購読数が増えるとも思わないし、広告を出そうとする企業が増えるとも思えないのでそんなことはないんだろうなと思っています。
もはや俺なんかにはどのへんが問題として残っていくのかわからなくなってきましたが、少なくともコラムを読む限り、朝日新聞に対して非常に優しい語りかけのように思います。
津田さんのツイートが流れてきましたけど、「なぜこれを掲載できなかったのか」ということが不思議です。あれだけ大騒ぎになるほどの決断を下したわけだから、よほど朝日新聞にとって都合が悪い、いや、耳が痛い内容だったんじゃないかと思っていたのに、むしろこのコラムは、「優しい」と読めます。
内容的にも、先日掲載された検証記事を受けてのものであって、それを避難したり批判したりしているわけじゃあない。
もし朝日新聞の逆鱗に触れたとしたのであれば、もしかするとこの部分なのかな、と思ってみました。
今回の検証は、自社の報道の過ちを認め、読者に報告しているのに、謝罪の言葉がありません。せっかく勇気を奮って訂正したのでしょうに、お詫(わ)びがなければ、試みは台無しです。
わかりませんけどね。
検証記事をあそこまで書いたというのが、社としてのギリギリの譲歩の線であって、「謝罪だけはしてはいけない」みたいな社訓でもあるんじゃないか、みたいに思えたりもします。
検証記事を大成功にして、それに対して評価をもらって、それでこの問題は終わりにするのだ、というダンコたる決意みたいのでもあったのでしょうか。
などという、「検証記事すら読んでいない」程度の市民にも穿って読まれてしまうわけですから、今度は「なんで掲載拒否したのか」の説明をするべきでしょうね。これでおしまい、線引きでは、天下の朝日新聞社としては舌足らずだと思います。
なお、今回、社内の記者さんたちの批判の声があったから、などとも言われているようですが、俺の見る限りではそうではなさそうです。つうか、アレだけの大企業で現場の一社員たちがどれだけ上層部に文句を言ったところでその決断が覆るとは到底思えません。
小さな声が大きな渦を巻き起こしたということはあるかもしれませんけど、決断を覆させるには、そういう次元じゃないなにかの力があったんだろうと思います。それこそ、市民が知るよしもないでしょうねえ。
さて、コラムの後に社と池上さんのコメントが掲載されていますので引用
■池上さんと読者の皆様へ
今回のコラムは当初、朝日新聞社として掲載を見合わせましたが、その後の社内での検討や池上さんとのやり取りの結果、掲載することが適切だと判断しました。池上さんや読者の皆様にご迷惑をおかけしたことをおわびします。
■池上さんのコメント
私はいま、「過ちては改むるに憚(はばか)ることなかれ」という言葉を思い出しています。今回の掲載見合わせについて、朝日新聞が判断の誤りを認め、改めて掲載したいとの申し入れを受けました。過ちを認め、謝罪する。このコラムで私が主張したことを、今回に関しては朝日新聞が実行されたと考え、掲載を認めることにしました。
「朝日新聞社は過ちを認め謝罪することはできるんです」
という姿勢を見せてくれたわけでして、それは当然、評価されるべきです。誤ちを犯さない人はいないし、大きな企業だからといってそれは同じです。
そんでもって、謝る能力はきちんと持ち合わせているのに、なぜ慰安婦報道の誤ちに対しては「謝れないの?」という、話は振り出しに戻ってしまう感が、ものすごいするんですけど、見守ってみたいと思います。