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道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

日本人の信仰心

 そういうとすごい大きい話になっちゃいそうで戸惑うんだけど、そうではなくてものすごく簡単なことをちょっと思いついただけなのでメモ程度。

 おはようございます。

 日本人は無信仰だ無宗教だなんて言われることが多いような気がしている。感覚的だけど。というか、日常の中で宗教や信仰なんてのが話題に上ることがまずないからよくわからない。
 いつも言いますが「宗教」という言葉と「信仰」という言葉は分けて使うべきだと思う。というのは宗教という単語が恣意的にものすごく悪い意味に使われることが多く、個人の信仰を「宗教やってる」みたいに言い換えられてしまうことが多いからだ。なんだよ宗教やってるって。あきちゃ愛してると言っただけで「あいつAKBヲタだぜ」って指さされるようなもんか、いやちがうな。

 さて、じゃほんとに無宗教なんですかってことなんだけど、どうなの? ほんとにみなさん信仰心ないの? ってことなんだよね。
 そりゃ、確かにうちは檀家や氏子だけど、別に、個人的には信者だと思ってないよ、ってことはあるだろうし、自ら進んでお寺や神社や教会の信者に登録したって話はあんまり聞かない。聞くとしたらキリスト教くらいかな。洗礼受けたよ、とか。
 日本で今一番勢いあるのは創価学会だと思うんだけど、でも俺「私創価学会なの」という人に出会わない。エホバの証人はたまに布教してるのをみるよね。天理教見ないよ。

 「神? いるわけねえじゃん」とか「死んだって天国も地獄もない」とか思う、それは信仰がないとも言えると思う。

 よく年中行事をもって無宗教だと言われるよね。正月は初詣。しかもお寺だか神社だかわかってなく行く。去年は寺に行き、今年は神社に行くような。節分では鬼を祓い、お彼岸に墓参りをして春には豊作を祈り、お盆には先祖を迎え、クリスマスは盛り上がるみたいな。

 それを節操がないと言われてしまうと確かにそうなのかもしれないけど、でも俺って、それが日本人の信仰だと思うんだよね。神様に祈り、先祖を思う。キリストが母なる神だと言われれば敬い、指導者たる先人に倣って仏を目指す。それが日常の中に定着してると言えるんじゃないの。古く長く文化とともに育ってきたそれが、日本人の信仰心そのものじゃないの。と。
 広いか深いかはわからないけど、日本人の中に確かに信仰心はある。商売繁盛を願い家内安全を祈る。死後安らかにありたいと思う気持ち。
 理系の受験生が合格祈願の絵馬を奉納するとかさ、今風のギャルが縁結びのお守りを「マジ祈るんですけどwww」とか言いながら買うとか、そういうこと。六本木ヒルズ建設の時地鎮祭した? とか東京スカイツリー建設事務所に神棚あった? とか、そういうこと。
 それが、信仰心なんですよ。決して積極的にではなくとも、そういうことをする。しないとなにか不安を残すみたいな。それが信仰だと思うわけで、そういう意味で俺は「日本人には信仰がある」と思うのです。

 ならば、その人たちが祈り願う場所があっていい。たくさんあっていい。日常の中にあらねばなrなない。そう思う。
 信仰って、目的じゃないんですよね。手段なんですよ。決められたなにかを行うことが信仰しているという姿じゃないんです。思想があって信仰にたどり着いてはいけなくて、信仰があってこそ思想にたどり着くということが重要です。
 だから、形ばかりにこだわるような宗教やその施設や教理はあまりよいものとは言えないと思います。

 とにかく、日本人には確かに信仰心がある。根ざしているんじゃないかと思うわけで、我々宗教者はその人たちに信仰する場所を提供していかなくてはならないという役目があるんじゃないかね、と思うところです。

 以上です