道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

「ゴミだな」と言える環境を理想とするか

 「ゴミだな」が出現するとき(GAW)

 あたりを読んでました。あーわかるなー。と。

 さらにまたそのリンク先の記事について言及したいんですけど、それはまあ興味のある方だけたどってくださいませ(めんどい)

 長く書く気分じゃないんですけど、それはなぜかと言えばNHK西堀裕美アナが美しいからです。

 俺が思ったのは、「ゴミだな」というのはやっぱり有りだと思います。俺がやってきた、ケータイ屋っていうのがクリエイティブなのかどうかは個人の判断によるとしますけど、俺はクリエイティブだと思います。nakamurabashiさんのとこのコンビニもクリエイティブだと思います。お店をやるってことは空間を作り上げることが大なり小なりあるわけで、そういう点でクリエイティブだとは思います。ゲージツ作品でもなんでもないですし、大きなプレゼンなんかも経験ありませんけど、クリエイティブです。
 まー、実際の接客という点においてはクリエイティブというよりは「マッチング」の部分が大きいんですけどね。ニーズを引き出してそのニーズに適合する機種やプランや使い方を自分の中から思い出して引っ張り出して、またはほかの人と相談しながら、提供する、いや、提案する。それが「いいね!」と言われれば商談成立みたいな、そういう内容ですね。

 で、ですね、コンビニにおいて「ケースバイケース」なことがあるように、ケータイ屋のそれもまた、ケースバイケースなんです。よくキャリアの会議とかに行くと「成功事例」とか聞くんですけど、それって俺はあんまり重視したことなくて、逆にそういうことを「よし」とする傾向が嫌いだったくらいです。
 どっちかっていうと「それはたまたまそのときにそうなっただけだから、押し付けてくんな」という思いで聞いています。そんで後で営業さんに「うちはやらないからね。」とあらかじめ言うハメになります。やってないと営業さんが「あれ。やってくれてないんですか?」とかいちいちチェックに来るからです。そんな内情はどーでもいいか。つまり、成功事例も、ケースバイケースの一つであって、教科書的に扱ってはいけないし、まかりまちがっても「そういう風にしてください」にしてはいけないということです。

 
 人にものを教える時。nakamurabashiさんと、奥さんと、両極端なんだと思いますが、二つの教え方があるとは思っていて、俺はどっちかっていうとっていうか極端にnakamurabashiさんタイプ。だと思ってます。
 一から説明したいタイプ。「これをこーしてね。」っていう教え方ができません。

 「じゃあ、新商品が発売になってモックが納品されたので展示するよ。なぜならば、モックの展開ってのはここの資料にこのように、いつから出してくださいということが書いてあって、今日がその日なので出すのです。」
 ということから始まります。
 「で、新商品のモックを並べるためには並べる場所を作らなければならないですね。ですが売り場にはすでに昨日までの新商品がたくさん並んでいて置き場がない。なのでまず、置き場を作らなければなりませんね。」
 ときて、
 「ここで、このお店全体の配置を改めて復習すると、イチオシのものを置く什器は、A、ここです。そして廉価ものはC、ここですね。そして中堅拡販ものは、B、ここですね。なので、今回新商品はAに置きます。なのでAを開けるために今のBを開け、今Bに置いてあるものをどうするか、それを考えるんですが、どうするか考えましょう。とりあえずまずはAを開けて新商品を並べましょう。」
 となって、
 「そして新商品の展示方法ですが、箱を開けると資料が入ってますが、あまり参考にしてはいけません。ウチのお店の常連さんの行動を想像しながら並べるんですが、それについては・・・」

 とかかんとか。

 いわゆる「うぜえ!」的な教育をします。
 それはなぜかと考えたんですが、あなたもそうしてね、というような考えからではなく、俺がこう言うにはこう言う根拠から言っているのであって、その考え方に基づいてやってもらいたいからであって、つまりやり方はけっこーどーでもよくて、考え方を理解してもらいたいし、その考え方を知っていてもらいたいからなんですよ。ということだった。
 だから、結果的にやり方なんか変えてもらってかまわないんです。むしろどんどん変えてもらいたい。だけど、その時には「こないだてんちょーがこー言ってたので、それならこーした方がいいと思って変えました。」っていう根拠がほしいという。そこさえしっかりしていれば、なにをどーしてもいいなと。結果的にそれが間違いであっても俺は怒らないし、いい方向に変わったのであれば、売上がおちようがなにしようが、全然オッケーなわけです。

 考え方の順番を知ってもらいたいんです。俺はそう考えて理解しているから、そう考えて理解することで、同じくらいの理解には到達できると思う。と。
 「わからない」人に「わかった」と思ってもらうには、俺がどうやってそれを「わかっている」のかを説明しないとわからないんじゃないかと思ってまして、また、俺にはそれ以外に説明のしようがないとも思ってます。

 でも、どっちかっていうと「わからないから教えて。」という人は「結局どーしたらいいわけ?」というのが俺が説明を始めた瞬間から顔に出ます。結論を聞きたいのはわかるんですが、そういう「暗記型」の理解はあんまり好きじゃないんです。応用が効かないから。

 昨日まで天理行ってたんですが、一緒に行ってた人との兼ね合いで、母たちが急遽京都に行く事になりました。
 そんで、俺がまー、スマホ使って地図や住所や電車の時間調べたりしたんですが、実際に電車に乗ることを説明しました。
 天理ー京都間は、JRよりも近鉄の方が便利です。安いし。ただ、俺は大阪方面はよく利用しましたが京都へはあんまり行ったことがないのでよくわかりませんでした。コツみたいなものを伝えられない。だから基本を知っていてもらいたい。
 天理ー京都間の急行は確か一時間に一本出ていて、それに乗ると一時間で京都までいけます。行きはまあ、それの時間に合わせて駅に行けばいいだけで、問題は帰りです。一時間に一本を京都で待ってもいいし、途中で乗り換えてもいい。その乗り換えを説明する羽目になりました。
 結果的には京都→西大寺→平端→天理という、最大でも2回の乗り換えを経ることで天理に到着します。きっと母は「どーすればいいの?」って聞いたときには
 「天理行き以外の急行に乗ったら、奈良行きなら西大寺橿原神宮前行きなら平端で乗り換える」
 という答えだけを期待していたんだろうけど、俺はそこにあったメモ用紙に大き目の十字を書きながら
 「えっとね。まず、近鉄ってのはさ。」
 と説明を始めました。十字の上には京都、下には橿原神宮前、左に大阪右に奈良、と書いて
 「こういう感じになってんのね。そんで、この交わるところが西大寺。そんで、ここ(西大寺から少し下)に平端があって、そこから右に行くと天理があるんだよね。」
 と説明しました。ほんとは八木も書いて、大阪から名古屋まで書きたかったけどやめました。もちろん母は「そんなこと言われてもわかんない」という顔で聞いてましたが、俺はまあ、てきとーにまとめて、
 「つーわけで、京都で電車に乗るときは、まず、急行に乗ること。そんで、奈良行きに乗ったら西大寺で降りること。橿原神宮前行きだったら平端で降りること。あとはまあ、駅員さんにきけばいいや。」
 と言いました。
 結局は最後に言ったことだけでよかったんでしょうけど、伝わるかどうかはともかく、理解できるかもしれないという期待も込めつつ、俺の頭の中をできるだけ完結に順序立てて説明をするということは、常にしたいと思っているんです。

 以上はまあ、俺が頭の中で考えていることの簡単なまとめであってあんまり本題とは関係ないことなんですけど長くなってきてもうなにがなにやら。
 で、なんだっけ。「ゴミだな」なんですけど、俺はその「ゴミだな」はありだと思ってるんですよ。でも、吐き捨てるような「ゴミだな」は、関係によっては正しくないと思っていて、それはつまり、どうそのゴミを捨てるかなんですよね。
 確かに俺が作ったものがゴミだったかもしれない。けれど、どうしてこういうゴミを作ったのかということを汲んでくれる相手と仕事をしたい。
 「結果が全て。それがビジネス」というのは簡単だが、その結果に至るまでの経過もまた、ビジネスだろう。と思っているから。
 ゴミになってしまうかもしれないから作れないというのを「指示待ち」と言うが、頑張って作り上げたものを「ゴミ」と吐き捨てて、一からまた自分で考えろというのは酷だと俺は思うんです。
 プロなら依頼者の心の奥まで読み取れというのはハードルが高すぎというか。あくまで依頼者と受任者が対等の関係にあって、双方で作り上げるのが俺としては理想だと思ってます。
 つまりは、正解がない世界で、ない正解を探し続けることの苦しさってないですよ。ということ。「ゴミだ」と言ってくれるのはいいんです。でもだから「なぜゴミなのか」まで言ってほしいということです。もちろんそれも正解はないんですけど。それでいいと思うんです。

 「ビジネスはアマチュアじゃないんだけど。添削して欲しいの?」

 って言われちゃうと答えに窮するんですけど、でも、極論としてはそれは理解できます。
 まーそれはつまり、俺が田舎の零細企業で、親会社である中小企業の幹部にプレゼン(説明するだけ)して無下に扱われてげんなりした経験しか持ち合わせてないからかもしれませんけど、でも、ゴミと吐き捨てる相手の中にも、それがどうゴミであるかをきちんと説明出来ない奴も多いんじゃないかと思ってしまうからなんですよね。

 プロフェッショナルは万全でなければならないというのはちょっと俺は異論ありです。