道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

今週のお題「バレンタインの思い出」ということなのでここはひとつバレンタインデーにブログを更新するっていう暴挙に出る。あと雅楽についても語ってみる

 今日は休みなんです。ええ。休み。体が疲れてるなってのが正直な感想で。次男を保育園においてきて、だらだらしてましたよ。

 最近雅楽なんてものをはじめよーかなーどうしよーかなーなんて思ってたりして、一年くらい前から上の方の人から「やりなよやれよ」って言われててやるよやるよって思ってて、まあやらないとまずくてはじめようかと。
 でもさー、雅楽って大変なんですよ。難しいとか高いとかそういうことももちろんなんですけど、なにしろ、もっとも必要とされるのが忍耐力だから。俺には絶対無理だろうなーって思ってるんです。
 雅楽って古代から連綿と受け継がれて来ているもので、世界最古のオーケストラとか言われてます。本に書いてありました。最近では東儀秀樹さんとかが有名ですよね。能の世界の野村萬斎さんとか、雅楽の東儀秀樹さんとかは、おそらくその界隈のお偉いさんとかからは「ケシカラン」的な目でみられがちなんでしょうが、一般人としてはありがたいし、その業界的にも裾野がひろがって親しんでもらうことはプラスになるわけなので、すげえいいと思うんですよ。だからある意味和泉元彌だって(呼び捨て)狂言界の東儀秀樹だったりするわけですよ。プロレスのリングに狂言を乗せたわけですから、そりゃもう、我々一般人の目から見てもケシカランと思いますけどね。ええ。というかそこは好き嫌いの問題ですけどね。
 野村萬斎さんて、小さなお子さんがいらっしゃるとわかると思うんですが、逆にお子さんのいらっしゃらない方にはわからないと思うんですよね。NHK教育テレビで「にほんごであそぼ」という番組をやってるんですが、そこに出演してる。もう、所作ひとつひとつが美しくてたまらん。キュンキュンするわけです。でも子供とか嫁さんとかは「能の世界のなんかすっげー人」なんていう認識はなくて「なんかいつもアイヤアイヤ言ってる感じのイケメンにいちゃん」くらいでしかない。それがいい。とてもいい。

 で、なんでしたっけ。ああ、雅楽ね。とにかく「敷居が高い」と思うわけです。
 でもこれは、勝手な思い込みではなくて、見て聞いて知っているからです。ちなみに天理教の教会で毎月やる「月次際(ツキナミサイ)」というおまつりでも雅楽を演奏します。できるとこは。うちなんか人出がないしそもそもできる人がいないのでやりません。だから、雅楽そのものには、一般の方よりは触れる機会は小さい頃からありました。
 で、天理教と雅楽について話すと長くなるのでめんどうなのでやめますが、日本の雅楽ですっごいのは、宮内庁天理教教会本部、天理大学雅楽部だってのを聞いたことがあるくらいです。
 そう。天理大学っていえば俺の行ってた大学で、俺は寮に住んでたので目の前に雅楽部の練習場がありまして、寮の先輩とかも何人か雅楽部にいたりして、そうすると、俺が朝起きた時にはもう誰かが練習してて、夜酒飲んだりマンガ読んだりしているときにも誰かが練習してるわけですよ。そんで、雅楽部の先輩を最近見ないと思ったら、やれ東京に演奏会で出かけてるとか、海外公演に行ってるとかいうわけですよ。そりゃもう、まさに年がら年中雅楽やってるわけです。
 それに対しては「強豪だからでしょ?」みたいなことは言えると思います。確かにほかの部活でも全国トップレベルのものは、運動であれ文化であれ、年がら年中練習したり合宿したりしてますからね。

 でも、雅楽の場合恐ろしいのは、初心者に対しても容赦ないからです。
 ある人間が雅楽に興味を持ち、上手な人に教えを願うとします。するとほっとんどの人はこんな感じの返事をしてきます。
 「毎日最低一時間以上続けられるなら教えるけど、それができないなら無理。というか、できないなら雅楽をやりたいとか口にするな。ケシカラン」
 的な。おっかねー。雅楽やってる人の前で雅楽馬鹿にしたりするとマジギレしますから。雅楽に関しては異様に沸点が低いと思います。こういう話は周りで数多く耳にします。それが全てとは言いませんけどね。上手な腕前になるくらいまでやった人だからこそ、それなり以上に厳しい練習をしてきたでしょうから。ある意味うなずけますよ。
 でも、それじゃ、雅楽はいずれなくなりますわ。独学はまず不可能とまで言われ、譜面も「チラロトルロアアチラハテエリタアア」とかカタカナが縦に何行か書いてあるだけだし。
 「ちょっとやってみたい」とか「雅楽器を吹いてみたい」っていう欲求があったときに、どこかでそれに応えてくれないと、「おもしろい! もっとやってみたい!」という発見がないままになってしまいます。結果、いやいや始めた人の中で忍耐強い何人かが生き残るということになっちゃいますわね。

 まー、そんなこたーどーでもいいんですがね? 天理教的にも雅楽がなくちゃならないわけじゃないだろうし。とにかく、俺がやろうってことになったわけなんですけど、その最大の理由は、上の方の人が「誰でも、気楽に、雅楽に触れ親しめる場にしていいですか?」っていう問いに快諾してくれたからなんです。
 それについては雅楽をやってる人の間にもものすごい賛否があるのはわかってます。(っていうことを今散々書いたくせになぜ改めてそういうことを言うのか自分でも不思議)。実際、それを始めるには俺の中でも迷いました。なぜなら、俺がズブの素人だからですよ。俺がそこそこ雅楽をやり込んで、それなりに認められる腕前であれば、「仕方ない」と思ってくれることもあるかもしれませんが、ズブの素人がプランも何もなく呼びかけて、「はいじゃー教えてくださいませ」って言うわけですから、それはもう、恐ろしいですよ。で、身近な存在である講師の先生に「そーいうのって反発大きいですかね?」って聞いたところ「いやー俺も実は昔ある人とそれで喧嘩になりかけたことあるよ。俺は、誰でも気安く始めてもらって、楽しくやる場所があってもいいんじゃないかと言ったんだけど、その人は、やるからにはちゃんと、きっちりやるんじゃなきゃ教えられないし、そんな気持ちで雅楽を始めてもらいたくないんだ。って。お互い譲らなくてさ。」ということで、まあ、そりゃ、そうだ。と。

 でもまー、上の方の人がいいっつってんだからいいじゃんってだけの理由で始めましてね。練習会を開催したわけですよ。なんだかんだ総勢6名で、初心者3人。ふつーなら、ふつーならですよ? 時間いっぱいみっちり「唱歌(しょうが)」を練習するわけです。メロディを口で歌うわけですよ。楽器ごとにメロディが譜面に書いてあって、それをえんえんとうなるように歌い続けるわけですよ。そして練習会が終わったら「はいじゃー次回まで毎日練習して、ある程度歌えるようになってきてね。」みたいなことになって、それが半年くらいずっとくり返しです。
 「3ヶ月毎日ずっと唱歌だけ練習で、楽器に触る事すらできず断念した。」
 というのは雅楽挫折者の合言葉のようになってます。そういう意味でも敷居が高いわけですよ。

 ですが、
 俺たち、
 いきなり、

 楽器吹いちゃいましたよ。

 テヘペロ。ハバネロ

 これ聞いたらガガキストが激怒するんじゃないかと思うくらいちょっと書いてても怖いんですが、「越天楽(エテンラク)」という有名な曲があるんですが、その唱歌は3行あります。最後まで唱歌歌いもしないで「一行目吹いてみますか? せっかくだし」みたいなノリでやっちゃいました。
 俺が選択したのは「篳篥(ヒチリキ)」でして、東儀秀樹さんがプープー吹いてるやつです。うちのじーさんも雅楽やってたようで、こないだ本物が出てきたので、それにしました(ネットで価格見たらン万円以上するじゃないっすか!)
 いやー難しい。音は出ます。息を出すことは発声練習とかで少し勉強しましたので、音を出すことはできました。でも、難しい。でも、楽しい。
 あれ以来毎日CD聴いたり唱歌を口ずさんだりしてます。楽しい。ちょっと少しずつ練習していきたいと思いました。だが、あんなでかい音の楽器をいつ練習したらいいのか。篳篥は「日本の管楽器の中でも最大音量」みたいなことが本に書いてありました。あんな音で下手な練習を繰り返したら通報されてパトカーが来ちゃうレベルです。これも大都会の宿命か。

 と、いうことでなんで俺は雅楽について書いているのでしょうか?

 そうそう。バレンタインデーですよ。なんかもう、この年になるとお中元お歳暮年賀状的なものにしかなりませんな。もらっても「気を使ってもらってすみません。」としか思わない。

 意識したのは高校生までだなー。大学時代はもう、寮に入ってたので、まったくそんなもんは異世界で異教徒の祭りと認定してましたから。寮生みんなで。

 でも思い出して高校生時代は忙しかった。
 これね、女性は勘違いしてもらっちゃ困るんですが、バレンタインデーは女ばっかり忙しくて男は気楽でいいよねーみたいな認識、これはまったくの誤解です。名誉毀損レベルです。

 高校生男子にとってバレンタインは尾崎豊が大人に反発するときの研ぎ澄まされ方にちかいくらい神経を尖らせる行事なんです。もらえるかもらえないかとか、誰からもらえるかとか、あの子はくれるかとか、あの子は誰にあげるのかとか、そんな低レベルの問題じゃないんですよ。
 儀式、なんです。祭り、マツリなんですよ。祓い清め、神をお迎えするのがマツリですよ。だからこそ、祭りの準備をすることっていうのは大切なんです。祭は、「待つ理」とも言われるんです。つまり、どうやってその時を待つか、どのような心でその時間を迎えるか、そここそが問われるものでしょう? 違いますか? 

 だから、バレンタインでーの二週間前くらいに床屋行きます。美容院と行ってもいい。2月に入ってからじゃロコツだし、なにより、髪ってのは切ったばかりよりも、少し時間が経ったくらいが馴染んで周りも慣れてきていいんですよ。そんで、女子たちが準備に本格的にとりかかるであろう一週間前くらいから、男子も忙しくなります。
 まず下駄箱。キレイにします。特に名前がちゃんと見て取れるようにはっきりくっきり書いておきます。またスリッパ(上履き)のかかとにも目立つように名前を書いておきます。下見に来た時に女子がすぐに見つけられるようにです。同姓の男子と間違えないように、学年クラスも明記しておくのは当然です。
 ロッカーもきれいに整えておきます。女子がナニカを入れやすいようにということよりも、「この人はものを大事にしてくれるし、気を遣ってくれる人なんだ」と誤解しやすくなるようにです。また、ロッカーに置いてある自分の荷物の配置を変えて、死角を作っておくのも大切です。「あそこに置けば、ほかの人にはバレないかな?」とスイーツな想像を膨らませるためです。下駄箱同様名前を明記するのは当然ですが、ロッカーは教室の中にあるので学年クラスを書くのは馬鹿です。ですが、大切なのは、上なのか下なのか迷わないように、名前の隣りに矢印を書いておくことです。女子にとっては一瞬が勝負です。その一瞬で判断を狂わせないようにすることが重要です。

 机も、椅子も、綺麗にし、机にもさりげなく名前を書いておき、机の横にはなるべく自分のものとわかりやすいもの荷物を下げておきます。机の中はものを少しだけ入れておきます。何も入っていないとナニカを入れにくいと思ってしまうからです。おそらく机を狙ってくる女子は「小さいもの」または「薄いもの」を選択してくるはずですから、数冊のノートとダミーの筆箱などを置いておくといいでしょう。
 前日は帰るときに椅子を机から少しだけ離して置きます。女子の手がそっと通る位の隙間があればよいでしょう。

 それらは一週間前くらいまでには済ませるのですが、一週間前くらいからは実際に行動を起こさなければなりません。なるべく、毎日、一定のリズムで行動します。朝、休み時間、昼、放課後、帰宅、と、同じ時間に同じ場所に現れるようにしておきます。毎日、同じ行動をとります。できるだけ一人で行動するようにします。女子がナニカを渡すタイミングを計るのに役立ちます。
 また、自宅の表札も見えやすいようにきれいにしておき、自分の自転車も、道路から見やすく置きます。遠目にもわかるように、道路から見える二階の窓などに体育着を干しておくのも必須です。


 そこまでして、男子は当日を迎えるのです。決して、ただナニカをもらえるのかもらいたいとか欲しいとか、義理とかマジとかそういう低レベルの問題で悩んでいるわけではないのです。女子はそこんとこをわかってないからダメなんです。女子はだいたい「どうあげるか」とか「あげたらどう思われるか」とか「喜んでくれるか」とか「嫌われたらどうしよう」とか、そんな程度のことしか考えてないからダメなんですよ。大事なのは「どうあげるか」だけなんです。
 もらうだけの準備は整っているのに、いっつもいっつも躊躇して、結局俺に渡せないでいるっていう、そういうのがダメだっつってるんですよ。
 まーもう昔の話なんでいいんですけどね? 怖がらずにどーんと来いっていうんですよ。3年間も繰り返してきたのに、一個もねえってのはどーいうこった? あ? 反省しろ反省。

 結婚当初はバレンタインは嫁さんがなんか、手作りのケーキとか作ってくれましたけど、2年目には冷凍食品のラザニアになり、今や大袋のピーナツチョコを朝「あ。置いといたよ。」ですよ。包装紙にすら包んでねえですよ。スーパーの袋にすら入ってないですよ。


 ありがとうございます。ありがとうございます。あんただけだよ。