2011/10/26のツイート
@doksensei: とりあえずすごくわかりにくくなってしまいました。これで分かれと言う方が無理なので、暇なときにでも突っ込んでみてください。疑問や質問や反論から始まる理解もありましょう。 @browneyedgain
@doksensei: 自分の上に現れたこと(いんねんの現れ)から、自分のいんねんを知ります。現してくれるのも神様ですよ。すると、「こんないんねんの道中も通り切れるように必要なものをお与えくださる。ありがたい」と気付きます。お礼をしたくなりました。というつながりです。 @browneyedgain
@doksensei: 神さまへのお礼のことを言います。突き詰めると、究極のひのきしんとは、おぢばへのふせこみに行き着くんてますけどね。それではまとめます。 @browneyedgain
@doksensei: 長々すみません。ああ。今日も結構にお与えいただいているなあ、と思い、感謝する心が、たんのうの心、と言えます。そしてひのきしんですが、そのたんのうの心、神さまへの感謝の心から行われるお礼の行動を、ひのきしんと呼びます。どんな行動であれ、 @browneyedgain
@doksensei: 例えば自分が今持っているもの、置かれている状況を5としたとき、10を望んでいる自分からみると「マイナス5」ですが、人間もともと裸一貫、何もない状況、ゼロなんだと認識してみると、「プラス5」ですよね。どこに視点を定めるかで、180度価値観が変わります @browneyedgain
@doksensei: 続)それだけお与えくださっていることに気付かず、あれがほしいこれも欲しい、という心は、足る心に反して足りないと言う心「不足」です。必要なものと欲しいものの違いを、よく考えてみると理解しやすいかもしれません。 @browneyedgain
2011-10-26 23:36:43 via twicca to @browneyedgain
@doksensei: で、たんのうですが、よく「足る心」と言われます。不自由なく動く身体から、寝るとこ食べるもの、家族の健康生活に困らない程度のもの、それらを「お与えいただいている」と思う心。「必要なものはすでにある。ありがたい」と思う心のことです。(続 @browneyedgain
2011-10-26 23:33:28 via twicca to @browneyedgain
@doksensei: おけです。大体合ってます。まずいんねんですが、前世今世含め、自分でまいた種です。なぜかワルいことがあった時に大活躍する言葉ですが、過去の楽しかった思い出や、嬉しかったこともすべていんねんの現れです。これ「白いんねん」といいます。 @browneyedgain
2011-10-26 23:29:31 via twicca to @browneyedgain
@doksensei: ありゃ。テレ東で桐生を舞台にしたドラマやってたみたい。見たかったな。最後だけ見たら、どこの田舎だよって画だった。大都会を映せよ
@doksensei: 家に帰ったら家族全員風邪をひいていた。やる気あんのかと小一時間問い詰めたい。
@doksensei: さらに続) とはいえ、みんなの嫌いな単語が三つも並んだ時点で胃が痛いですよね。焦らなくともいづれわかると思いますが、考えてみたいとお思いであれば、それぞれについてのざっくりとしたイメージだけでも言ってもらえれば、擦り合わせをしてみますよ^^ @browneyedgain
@doksensei: 続)あくまで個人的な考えなんですけどね。勉強の息抜きに考えてみてください。カミサマは世界や身の内にどんなお働き(守護)をしてくれてるでしょうか。そこを抑えた上で、いんねんとたんのうとひのきしんのつながりがわかれば、あとはおまけみたいなもんです。 @browneyedgain
@doksensei: 単語覚えてもあまり意味がないので気にしないでいきましょう。さて、個人的には、やはり「たんのう」の理解から始まると思ってます。いんねんとたんのうとひのきしんは、セットで考えるべきだと思います。個別に理解するのは難しい(続 @browneyedgain何から考えたらいいでしょうか…
@doksensei: 寒い朝