道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

小学校の卒業式ってやつに行ってきた。来賓としてwww

 世も終わりとでも言うべきか、俺なんかが来賓として小学校の卒業式に出席してきてしまいました。
 一応あれ、PTAの役員てやつなんで。25年ぶり2度目の出場でした。

 適正配置目前の小さな小学校。卒業生31名の小さな卒業式。
 夜勤明けで寝ずに、風呂入ってスーツに着替えて行ってきました。

 なんか、ただぼーっと座ってればいいのかなと思ってたんだけど、違った。感動した。
 冒頭の挨拶で校長が「地震や停電の影響もあり練習もままならず今日を迎えた」ようなことを話していたが、そうそう、そうだった。卒業式って事前に何回も何日も練習させられるんだよな。とか思い出した。卒業証書授与の受け取り方とか、お辞儀の仕方とか、どこをどうあるいて自分の席に戻るとか。だるかった。ああ。だるかったなあ。とか思い出した。

 んで、ほどなく卒業証書授与となった。
 それを見ていたらすごくなんか、感動した。まだまだ子供の12歳が、練習どおりに一生懸命自分の席からピッと立ち上がり、真っ直ぐ歩いて直角に曲がるを繰り返してステージに上がり、名前を呼ばれるたびに順次校長から卒業証書を授与されるのだ。

 卒業証書。これってすごいよな。憲法に定められた義務教育の、小学校教育課程を、子供なのに、6年もかけて毎日学校に通って、「小学校教育課程の全過程を修了した事を証する。」と、国から認められたわけだよ。学校長から、じきじきに、修了を認められて、その実印を押下した証書を受け取るわけだ。すげえ。すげえよ12歳なのに。
 同時に保護者もPTAも、大人が納めた税金で、国民の宝である子供にちゃんと、憲法に定められた教育を施せたという、そういう意味合いが卒業式にはあるんだな。すごい感動した。子供には教育を受ける義務があり、大人たちは教育を施す義務がある。そして小学生の保護者には、その子供を健康に学校に通わせる責任がある。それを、6年間かけて成し遂げたと言う、その集大成なんだな。卒業式って。
 今の今まで考えたことがなくて反省しながら体育館の端っこに居させてもらいました。ありがとう。

 でもあれだな、その後の「門出の言葉」とかってのはちょっと、ショウっぽいな。あれって卒業生も在校生も一緒に練習するんじゃないの? だとすると、大人に見せるための儀式みたいで、嫌だな。まあ、小学生だからあえて参加型のパフォーマンスにするってのはわからなくもないんだけど、純粋な卒業式ということを考えたときには、ちょっと過剰演出に見えないこともないかなと思った。
 仮に保護者や大人向けのものであるなら、やらなくていいと思った。


 あとちょっと個人的にツボだったのは、来賓で来てた市会議員。
 「君が代斉唱」のときに、全員起立している状態で一人だけ座りやがった。
 そんでその次に「校歌斉唱」になったら立ち上がって唄いやがった。
 なんだあいつは。確かに思想信条は自由だし、君が代が国家ではないと主張するのは自由だよ。唄えとは言わないよ。だけどな、ここは小学校教育の場だよ。子供達には「立つときは立つ。座るときは座る。授業中は勉強する。」と教える場所だろう。それなのに、「全員起立」という号令の下に立ち上がっておきながら、なぜ座る。子供の目の前で。
 あんたが君が代を歌わないのは自由だ。俺だって別に君が代なんかあろうがなかろうがどうでもいい。が、「立て」と言って子供達を立たせている状態で「俺君が代嫌いだから座る」ってのは大人として恥ずかしくないのか? 「校歌は嫌いじゃないから立って唄う」とか。そんなのがまかり通るのかな。
 子供に「なんであの人突然座ったの?」って聞かれたらなんて答えりゃいいんだ。「言論の自由ってのがあってね・・・」って言うの? そんなのは言論の自由じゃないだろう? 子供達が一生懸命練習した卒業式に泥塗るようなまねしやがって。嫌なら来るな。ってか、あんな奴に招待状出さなきゃいけないってのは不幸だな。
 しかもそんな奴が、この、近々適正配置で姿を消す小学校の存続を強く訴えてるってのも皮肉である。
 なんだ?「反体制」ってやつか? ならば言おう。お前のやっていることは

 「市長や与党を批判をするだけの簡単なお仕事です。」

 だな。
 子供にとって有意義なことはなさそうだ。来てくれなくて結構だよ。