道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

すっとんきょうなポイントの置き方

作り手と受け手の関係の変化(G.A.W)

 を読んでいた。思った。俺はあんまり本は読まないんだけど、たまに、年間一ヶ月くらい本が無性に読みたくなることがあったりする程度。
 最近こそ東野圭吾とか誉田哲也とかの小説も読むけど(親戚の影響で)、基本的にはノンフィクションとかが好き。だから、作家が云々はわからない。

 でも、これ読んでてビビビ、な瞬間があって、nakamurabashiさんのエントリ読んでるといつもそういう瞬間があるような気がするんだけど、今日はなんだかビビビビン、くらいにきたんで書くことにした。

ちょっと慌て気味につけくわえておくと、俺はプロの作家がそういうことをするべきではないとか、そんなことを言いたいのではない。「べき」とかはだれにも言えない。これはあくまで受け手の俺の意識の問題だ。

 これがその部分だった。

 うまく説明できない。下手な説明もできない。でも、書く事に対して、この点においてはなんだかすごくわかったような気がした。でも俺にはこういう言い方とか書き方とかはできないな。って思った。
 何かを頭の中で考えていて、ある日それを吐き出して書いていて、そういう中で、あれちょっとと思ったときに、

「ちょっと慌て気味につけくわえておくと」

 とはきっと俺には言えない。その点においてすげー。って思った。
 このnakamurabashiさんのエントリを読んだ時にそういうことを思う人間がどれくらいいるのかはわからないのだが、俺にとってはなんだかものすごい衝撃だった。
 いや、そうではなくてエントリの本質をきちんと読むことをしなさいよというお叱りごもっともながら、おれはもう、ぶっちゃけそれどころではなくて、今こうして本題無視のエントリを書いているわけで、そこについては大変申し訳なく思っております。ほんとに。

 エントリの流れに触れておくと、個人的には

俺はいまだに作り手に対する信仰みたいなものを捨てていないからだ。

 ここにえらく惹かれる。

 「作り手に対する信仰みたいなもの」があって、今までこれまできた。でも、それが、近年、といっても5年とか10年とかそういうレベルで希薄になってきている。でも、だが、「俺はいまだに作り手に対する信仰みたいなものを捨てていない」ということなんじゃないかと。
 どこかで、作り上げられた作品というものに対してのビジネス的な疑念も含みながら、それでも作り手が根本にいてからこそである、というような思いは俺も持ってる。いや。nakamurabashiさんがそう思ってるかどうかはすでにわからない。でも俺はやっぱり、売れる売れないだけではなく、誰かが良い悪いという判断をしたからこその世に出る作品がどこかにあると思いたいと思っている。

 もし仮に、nakamurabashiさんの言う「作り手に対する信仰」というものが、現実的に売れる売れないとは別に「良い悪い」という基準がどこかに存在するということであれば、俺的には、同じ考えなのでとても嬉しい。が、それはわからない。

 わからないのでこれ以上話をしてもおかしなことになるので、以上でおしまいです。