道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

2011年となった今の個人ブログについて個人ブロガーが言うこと

A:個人ブログの現在、そして、たぶん未来(琥珀色の戯言)

と、

B:いつの時代もブログは書かれ、そして読まれる(G.A.W)

を読んで思ったことを書く。

A:

現在の個人ブログは、大多数の「何を書いても炎上すらしない閑古鳥ブログ」と、ごく一握りの「何を書いても炎上する可能性がある有名ブログ」に二極化しています。

 正直、「ブログで自分を宣伝したい人(あるいは、自分の存在価値を証明したい人)」か、「失うものが無い人」以外には、ブログを書き続けることは、「百害あって一利くらいはあるかな……」という感じでしょう。

 これについては、というか記事全般にほぼ同意なんですけど、いわゆる俺なんてのは「閑古鳥ブログ」であるわけで、いまさら炎上したりすることはまあ、まずないでしょう。ただ、その後の一文についての「利」。どのような利を俺が求めているのだろうか。少なくとも宣伝や存在価値の証明のためではないような気がしている。
 「なんのために俺は今のこの時代にツイッターをやめてもなお、ブログを書いているのか。」ということだと思う。

片やB:

実際、はてダ始めて最初のころって一日200に届くかどうかってところで、まあそんなもんかなーって思ってた。

 実はそうじゃなかったって知ったのは、ホッテントリに入ったとき。あれなんのエントリだか忘れたんだけど、とにかくあれよあれよという間に人が流入してきて、いったいなにごとかと思った。なんかとんでもないこと起こったんじゃないかって。

 それまで俺は、12年前の感覚を引きずったままブログをやってて、ホッテントリ食らったのが2年くらい前か、そのころまで「なんかあるとここまでアクセスが爆発的に伸びる」ということ自体を知らなかった。昔はリンク貼られてアクセス爆増っていったら、2chに晒されるのがいちばん怖かったし。それでもあれって2000とか3000とかせいぜいそんなレベルだったような気がする(このへんはほかのサイトのことを知らないから、自分だけの経験)。

 でもいま、ホッテントリ一発で1万とか2万でしょ。

 俺もはてなにブログを移してこないだようやく一年経ったんだけど、一度だけホッテントリくらったいただいた経験がありまして、いや、そもそも過疎ブログなんで1万とか2万とかいかず、でも1000とか2000とかあっちう間にアクセスあって怖かった。しかもそれが人に読んでもらうことを前提に書いたものじゃなかったから、すごく嬉しかったんだけど半面恥ずかしいのとか残念なのとか色々な気持ちがあった。
 まあ、そのきっかけっていうのは、たまたまトラバ送ってしまった(自動だったので自覚無し)有名ブロガーさんが、まずそのエントリをツイッターで拾ってくれて、ついでにそのホッテントリのエントリにまでツイッターで言及してくれたっていうことなんだけど、その瞬間に俺はやっぱり、すげえ怖かった。「えらいことしてもた。」って思ったもんだ。
 でもま、炎上したりとかそういうこともなく、はてぶをなんと27もいただいて(←この辺が過疎ブログ)、平穏な日々に戻っておりますが。

 で続きB:

 そもそも一人の人が集められるアクセスなんて高が知れてるわけで、その数が100とか150とか、まあそんなもんじゃないかと思うわけ。それだって運とかそういう要素はかなり強いわけで、いくらいい文章書いたって閑古鳥とかいうブログは、きっといくらでもあると思う。それは10年前もそうであったように。

 いま、うちのアクセスで一日平均4000くらいだけど、じゃあかつての10倍以上のアクセスで、あんたはネットに濃密に存在してるんですかって問われれば、ネット全体からすれば木っ端みたいな存在じゃないですか。自分の視野に占める自分の存在濃度っていう点では、かつてより薄いくらいですね。そしてその状況は、別に俺にとって不快なものじゃない。

 いま、ウチのアクセスって一日平均ようやく150いくかどうかなんですけど、そんな俺が言うのもなんですが、「そしてその状況は、別に俺にとって不快なものじゃない。」んですよね。
 逆なんだと思うんだよね。


 昔だったら、ネットやってる人間、ブログ書いてる人間少なかった。だから、一日のアクセス100とか150とかあればそこそこだった。でも今はネット人口激増した。底辺広がった。そんな中で100どころか1000の単位のアクセスかせぐことに、どのような価値があるのか。昔に比べて相当価値は薄まってるんじゃないか。


 みたいな話になっちゃうと、俺はちょっと違和感がある。それはまあ、やっぱりyahoogeocitiesで無料HPをわけもわからずつくっていたり、2005年から一応ブログ書いたり、ましてや尊敬するブロガーさんはnakamurabashiさんです、みたいな人間だからかもしれないんだけど、でもそれでいて、nakamurabashiさんみたいにそこまで自分の内面を吐露できなかったりするから余計なんだろうけれど、俺としては、今だからこそ、書きやすくなってると思う。自分のこと。
 なにかを見たり読んだりした感想にしても、好きに書いていいんじゃなかろうかな。有名なブロガーさんたちにとっては、その都度批判や反論がうようよやってくるから辛いかもしれないけど、その分擁護も増えてる。し、また、一時期に比べて、今ってもっともっと、ネット上での炎上行為が飽きっぽくなってるような気がする。そこそこユーザーにも耐性が付いてきたように思うんだよね。

で、
A:

 いつの間にか、「(無名の)個人ブログ冬の時代」が到来していて、春が訪れる気配はないのです。

 ということについては、前提として、個人ブログであっても、書く以上は人気ブログになったり、ブログ上で自分の存在価値を認識したりできなきゃならん。というようなご意見にも見て取れなくないな、と思ったんです。
 旧きよきブログの時代は確かに終わった。だが、流行から切り離され、ブログというツールは現存する。必要に応じ使い分ければいい。と俺は思ったからツイッターやめたし、ブログ書いてたりする。いや。これは反論じゃないんだけど、でも、おもしろいかどうかはともかくとして、そこに書きたい人がいて、各場所が提供されているなら、それでいいと思う。いまだに書店で日記帳が売られているようなもんだと思わなくもないけど。

最後にB:

 書きたいっていう欲望が先行してる人は「ホームページ」の時代からある程度は書いていた。ネット人口が増えたって、書きたい人間がそこまで爆発的に増えるわけでもなし、たとえある程度は増加したとしても、もっと気楽で便利なツールがあったら、そっちに流れていくよね、っていうだけのことかなーと思ってます。

 ここにいたく共感したんですよねー。
 そうそう。確かに今でも(長々とした)ブログ書いてる人間なんて、HP作ってたような奴ばっかだんべ。って思うし。
 でも、そういう人たちって、たとえばnakamurabashiさんがワープロでひたすら文章打ってたり、俺もネットにつながらないパソコンで世界に2冊しかないA5版95頁もの大作をたかだが友人のために執筆したりしてたり、そういう奇特なことをして、次に便利なツール、HPとか、ブログとかが出てきたらそういうのをつかって「文章を書く」ことを繰り返す。
 なによりそれ以前を思い出せば、俺って手紙書くのが異様に好きだった。離れたところに友だちが多いって言うこともあったかもしれないけど、当時でいう「文通」を、高1から結婚するまで10年くらい、いろんな人としてた。そう考えると、テキスト暦20年上回るな。


 でまあ、何で今日に限ってこんなところに食いついたかと言うと、

 AKB48・大島優子がアメブロランキング1位獲得に歓喜!ライバルは前田敦子!?

 とかいう記事と、そんでもってじゃあその大島さんの「芸能人NO1の」ブログを見ると

 大島優子オフィシャルブログ

 っていうこう、あれ、まあ、こういうのもブログなんですから、あれ、そのなんだ。まあ、やりたいように、それぞれ使っていきましょうやっていうことを思ったわけです。