サッカーW杯、引き分け狙いという暴論を検証
次のデンマーク戦の結果が引き分け以上で日本の決勝トーナメント進出が決まる。
リーグ戦なので「勝ち」「負け」と「引き分け」という、3種類の結果しかあり得ないという、大前提条件があるからだ。
「負け」狙いというチームはまずないだろう。
「勝ち」狙いというチームはほぼすべての該当する。
「引き分け」狙いと言うチームは、あるだろうかないだろうか。
結論。そんなチームはないのだ。
「最悪、負けなければいい」という風に言い換えるならばまだ納得はいくのだが、「引き分けを狙う」などという、馬鹿な言葉の使い方はあり得ない。
馬鹿だなお前は。「引き分け以上を狙う。」に決まってるだろう。
というお諭に対しては「それって、勝ちを狙いにいくことでしょう?」と反論するし、「負けないサッカーをするんだよ。」というご意見に対しては、「誰が負けたいサッカーをするんだよ。」と皮肉を込めたいと思っている。
こういうことを言っていると「また揚げ足とりが・・・」と言われるのがオチなんですけれども、それにしても「引き分けを狙う」という言葉の違和感が巨大すぎて見過ごせない。「最悪引き分けで。」
ならまだわかるんだが。
つまり、引き分けを狙いたい人々は、自分たちが1点取ったら相手にも1点とってもらわなければならないし、2点リードしている状況であっても、2点相手に献上しなければ、引き分けに持ち込めないということを言いたいのだ。いや。それは確かに極論だとは思っているけれど、突き詰めていくとそうなっちゃうよね、ということをご紹介した上で、結論としては、
「引き分け狙いのサッカーなんて、ないんだよ。」
というシンプルなもの。