道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

 今週のお題:アルバイトの思い出

 アルバイトかあ。懐かしいなあ。高校から大学時代、いくつかのアルバイトをした。このお題なら書けるね。

コンビニ(高校生)

 高校3年生の時、初めてバイトをした。一応県立高校で、許可なくバイトは禁止だったが、同級生の女子に紹介してもらって、同じところでバイトを始めた。自転車を15分くらいこいで、夕方からコンビニのバイトに行った。週3,4日、3〜4時間のバイトだったかな。
 元酒屋さんで、ヤマザキデイリーストアというコンビニだった。オーナーの太ったおじさんと、その母親である小柄なおばあちゃんと、アルバイトという構成だった。バイトは俺のほかに何人かいたけど、大体一人ずつくらいしかバイトがいないので、その同級生やほかのバイトの人と一緒に仕事をすることはなかったなあ。
 まだレジが手打ちで、バーコードも導入されてたけど、使いづらくて全部手打ちしてた。商品の値段は全部頭に入ってたので、お客さんがレジに来る前にはもう、金額と部門を打つシュミレーションは頭の中でできてた。というのも、当時は商品に一つ一つ値札を張っていたから、品出しをしながら値段を覚えることができた。
 なんで俺がバイトを突然始めたのかはあまり覚えてなくて、でも、一つだけ言える事は、そこでは、隣のクラスの女子、のりちゃんがバイトしてた。当時、俺はのりちゃんのことが好きだったんだよ。
 そのバイト先では元旦にもバイトしたことがある。元旦の朝8時くらいからしばらくレジに入った。多分他に入る人がいなかったんだろうね。俺ってば高校生で暇だったんだよね。

 そのバイト先での思い出といえば、ある日髪を切った後バイトに行って、高校生だから髪を切るって結構な行事で、バイト先なんかで引継ぎ前のバイトさんとかの反応なんかも伺いながら、「おはようございますー」なんて言ってレジに入ると、太ったオーナーがやってきて、
 「あれー。今日なんかさっぱりした感じするねー。」とか言う
 「え。そうですか?」とか俺も言う
 するとオーナーぬかした。
 「風呂入ってきたの?」
 ええ。そうだよね。風呂はいるとさっぱりするよね。ではなにか? おめーは風呂に入ってさっぱりしてる人間と風呂に入ってなくてまださっぱりしてない人間を見分けることができるのか? いくら客商売とはいえ、そんな眼力認めねえよ?

 的なことが思い出。

焼肉屋(以下大学生)

 大学時代は寮に住んでた。親からそれなりにお金は送ってもらっていたけど、お金はあるほどいい。
 で、寮とかにいると過去の先輩から代々受け継がれているようなバイトもあって、このときのこれもそう。
 自転車20分くらいこいで、夕方からバイトに行く。個人経営の焼肉屋さんだ。店長と、奥さんと、社員さんと、後バイト。
 オーダーも手書きの伝票だし、何もシステム化されてない、やりやすいお店だった。
 2階にもいくつか座敷があり、混雑したときは2階に一人で派遣された。お客さんの注文を聞き、インターホンで厨房に投げかけ、エレベーターで上がってきた料理をテーブルに出したり、また、空いたお皿を下げたりする。大きめのテーブルが4席ほどあるので、それだけでもなかなか忙しい。で、当然そんな時は厨房も忙しいので、何度目かのチューハイのオーダーを通したあと、エレベーターが上がってきて開けたら、焼酎の一升瓶と、ボウルに盛られた大量の氷と、チューハイ用のリキュールと、ジョッキがいくつかが無言で置いてあったときは笑った。
 あと、土曜日の夕方定時でバイトに行ったらみんな忙しそうで、開店と同時に宴会が入ったとかでわたわたしてた。着替えた俺を待ち構えていたように奥さん(美人)が捕まえて、「そしたら先にご飯食べちゃってくれるか? あたしらもうすんでるさかいに。 そこによういしといたから。」と忙しそうに言った。
 はいはい食べますよ、そして働きますよと思って見た「そこ」には、ラ王が一つ置いてあった。

 的なことが思い出。

居酒屋

 この居酒屋は、大学生の俺と、たまに来る親父とで必ず呑みに行く場所だった。ぶんぶくちゃがまという名前の居酒屋で、炉端焼きの店だった。親父も実家から離れて俺のところに来たときくらいしかゆっくり呑めないだろうし、成人して酒が呑めるようになった俺と親父は、何ヶ月かに一度、外で呑んだ。
 焼酎のボトルをキープして、にんにくの天ぷらや、ちくわの天ぷらや、さきいかの天ぷらや、親父の好きなマグロの刺身あたりをつまみにして、呑んだ。口数の少ない親父に対して、酒が回ったおれはいつも話をし続けた。親父は嬉しそうにうん、うん、と聴いていた。俺が親父や家族に何かを話すときは、酔っている時くらいしかないから、楽しかったのかもしれない。

 その居酒屋で短い期間だけどバイトさせてもらうことができた。大将の人柄に惹かれてバイトしたようなもんで、丁度その頃芝居を始めた俺は、定期的なバイトが難しくなって、バイトは辞めた。

手帳工場

 大学のある駅の前から、その工場への直通バスは発車する。バイトを乗せて、無料バスが運行する。それくらい、その工場は期間工を必要としていた。手帳を作る工場だったからだ。
 これも寮の先輩から受け継がれたバイトで、手帳工場だから、ようは年末の手帳が売れるシーズンの前の、短期間の臨時バイトだ。単発で入れるし、当時としては時給も1000円くらいもらえたので、相当いいバイトだった。作業も簡単だし、手伝いみたいなもんだし、なにより、夜食というかたちで軽食がついたのだ。
 曜日ごとにきまっていて、もう忘れちゃったけど、月曜日はきつねうどんで、火曜日はおにぎりで、水曜日はカップラーメンで、みたいな感じで、15分か20分くらいの休憩時間に食事が出た。学生バイトたちは夕方からの数時間だから、丁度この食事休憩にあたり、すごくおいしくありがたくいただいたものだった。
 寮に帰れば食事ももちろんあるのだが、バイトして、給料もらえて、さらに飯まで食えるってのがなんていうかこう、すごく得した気分だった。俺たちは寮生だったから食事には困らなかったけど、一人暮らしをしている奴は、ここでの食事はほんとにありがたがっていた。一年中手帳を作りたいとかわけの分からないことを言っていたな。

 的な思い出。

テキ屋

 もひとつ季節もので、テキ屋さんでバイトさせてもらったことがある。これも寮の先輩からの代々のバイト。
 たこ焼き屋さんは手伝いで、焼かれたたこ焼きやジュースを販売するのがメインの仕事だったけど、お祭りなんかでは一人でひとつのお店を任されたことがある。
 銀杏細工と、ガラス細工だ。
 銀杏細工ってのは、銀杏の殻を使って、張子の虎のように十二支の動物などを形度って作られた細工品を売る店。
 アジアの国あたりでつくって、単価にして何十円で仕入れられるものだそうだが、それを300円とか、セットで500円とかで売る。
 お祭りなので子供たち相手に「こんなかわいいのおとうさんおかあさんにお土産買って帰ったらめっちゃよろこぶで」とか
 「好きな子にプレゼントして、自分も同じの持っておいたらいい感じになるかもよ」とか言いながら一日中がんばって売ったら、売り上げが四万ちょいだった。「一日やって四万とかしか売れないのか。」と落ち込んだ。夏の祭りだったので、単価が安いカキ氷とかは十万以上軽く売ってるし、くじびきとかお面とかも相当売っていたからだ。
 で、テキ屋のおっさんが俺のところを見て「お前、四万か!」って言った。ちょっとびびった。
 「ギンナンで四万てすごいな。」だって。 
 「誰にどうやって売ったら四万だ?」って。どうやら過去二万も売れればよいほうだったらしい。
 その実力ではなく未知数の力が認められ、翌日はガラス細工を任されたが、結局一万五千円くらいしか売れなかったと思う。
 ギンナン細工ならだましようがあるとはいえ、見て綺麗とか好きとか瞬時に判断できちゃうガラスは、だませないと思った。

 そういうバイトの思い出が俺にはある。