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群馬県在住のおじさんがブログを書く

ファミコン世代男子による、思い出のゲーム語り10選(ほんとは9本)

anond.hatelabo.jp

 この増田よりは1、2年ほど先輩になる俺が、ゲームについて書いてみようと思った。

なぜならばこの自粛期間あまりに時間が余ってしまい、DSのドラクエ9をやりこんでいたりしたからだ。ゲーム久々にしたよ。

 

 増田のゲーム熱というかゲーム愛は素晴らしいと素直に感心した。

 俺はこれほど熱く語れるゲーム愛はない。あくまでもファミコン世代のライトゲーマーだ。だからこそ語っておこうと思う。ゲーム業界を支えているのは俺たちのような圧倒的ライトユーザーだっただろうから。

 10本出てくるかどうかわからないけど。

 思いつくまま気の向くまま。

 

1.エキサイティングアワー(アーケード)

 

 小2の頃近所のゲーセンによく行っていた。

 商店街のビル型衣料品スーパーの3階のゲームコーナー、駅前のゲーセン。

 その中で俺は友達のアライ君とこのプロレスゲーム、エキサイティングアワーにハマっていた。

 ゲーセンはよく行ったけど、唯一ハマって上達したのがこのゲームだった。

 駅前には2軒のゲーセンがあって、一つは地上で、1ゲーム100円。小綺麗な感じ。もう一つは地下にあり、薄暗く小汚いイメージだが1ゲーム50円だった。

 50円のゲームセンターに行くのだが、敵が強くて早く負けてしまう。設定を厳しくしていたのだろうか。そういうの当時のゲーセンはあったのかな。

 

 ゲーセンに行くと必ず見かける長髪メガネのにーちゃんがいて、鬼のようにゲームがうまかった。大げさではなく、行くたびに見かけた。

 俺たちの中でゲームのうまかったアベちゃんは、そのにーちゃんと仲良くなっていた。やはりゲーム強者は惹かれ合うものなのかと思ってみていたが、俺は怪しいそのにーちゃんと言葉を交わしたことはなかった。

 余談だがアベちゃんは当時流行り始めたストリートファイタースペースハリアーなどを巧みに遊び尽くしていた。ゲームが上手い人のスティックさばきはそれを見ているだけで楽しめる。

 このエキサイティングアワーは、自分が操作する主人公のプロレスラーが5人の敵と戦っていくゲームで、5人目を倒すと自身がチャンピオンとなる。6戦目以降は5人の敵がランダムに登場して防衛戦が続くのだ。

 10人、20人と戦っていき、徐々に俺たちの腕も上達していき、前述のアライ君と「これ、99人倒したらどうなるんだろう」と疑問に思っていた。

 試合を続けるうちに敵も強くなり、なかなか50人70人と倒せるものでもなかったが、ある日、ゲーセンの主のその長髪メガネが、2時間位ずっとエキサイティングアワーをどかなかった。俺達のコインは2時間ずっと筐体の上に置かれたままだった。

 だが俺達は自分たちの番なんてどうでもよかった。そんなことは忘れていた。

 平らな筐体の中のそのレスラーは、99人目の敵を倒す瞬間を迎えていた。

 俺があれだけ苦しめられたココサベッジのココナツクラッシュを、ザピラニアのアイアンクローをかいくぐり、その日の主人公レスラーは99戦目の3カウントを奪った。

 俺とアライくんは顔を見合わせて興奮した。

 ついに、ついに、俺達が到達することができなかったこの瞬間を見ることができるのだ。

 果たして、100戦目になるのか。それとも感動のエンディングなのだろうか。さあ。

 すると画面は代わり、見覚えのあるいつもの画面となった。

 何事もなかったかのように、次の試合が始まった。100試合目だった。

 しかし、そこには「100thMatch」ではなく「99thMatch」のままだった。

 

「そうなんだ! 99人倒したら99thのままでずっといくんだ。無限なんだ!」

 俺とアライくんは大興奮した。一つの謎が明かされたその瞬間に立ち会えたのだ。

 ゲームであれだけ興奮したのは、あのときのあのエキサイティングアワーだけかもしれない。

 なお、ゲームが下手な俺は最高でも66人目くらいだったと思う。アライくんは99thゲームを達成していた。

 

 今調べたらスイッチでできるらしい。すごい時代だ。

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2.ポートピア連続殺人事件(パソコン)

 

 増田も書いてくれていたが、俺はファミコン版より先にパソコン? マイコン? 版で経験していた。

 先のアライくんが、パソコンを持っていて、新宿ナンパストリートなどパソコンゲームをやらせてくれていた。その中のラインナップにポートピア連続殺人事件もあった。

 当時のパソコンゲームはカセットテープの形状で、テープレコーダーみたいな機会にセットしてロードをするのだけれど、ロード時間に2時間とか平気でかかっていた覚えがある。詳しくは知らない。

 だからアライくんの家に遊びに行ってゲームをセットして、それから公園で時間を潰して、ようやくゲームができるって感じだった。

 そしてアライくんの部屋に戻っても「ロードに失敗しました」と画面に書かれているなんてことも珍しくなかった。

 

 パソコンのポートピアはコマンド選択式ではなくて、直接文章を入力するのだった。「ボスに電話」とか「○○を調べろ」とか「どこどこに移動」とかだったか。でもうまく伝わらずに「何を言っているのかわかりません」とヤスに怒られてばかりだった。

 最後の迷路でいつも挫折していた。俺方向音痴だから3D迷路苦手なんだよ。

 

3.バルーンファイトファミコン

 

 古くに織物で栄えた町なので、当時は景気もよく商店街に近い俺の友達は社長の息子が多かった。ので、貧乏だった俺がファミコンを買ったのはかなり遅い部類だった。

 おかげで丸ボタンファミコンを買えたのはよかったが。

 商店街におもちゃ屋も4店舗くらいあり、スーパーの中におもちゃコーナーもあったが、どこでもファミコンが手に入らなかった。手当たり次第に予約をするも、入荷未定と言われた。仕方ないのでナショナルの電気屋の息子に頼んでそこでも予約をした。

 当時はカタログにカセット数本とバーターでファミコン本体が売られていたのだ。

 結局、一番近所のおもちゃ屋に入荷があり、それをゲットできたのが小5の時で、そのときに初めて買ったのがバルーンファイトだった。

 ファミコンのカセットの外箱は、最初は紙箱でカセットとほぼ同じ大きさだったが、途中から(多分F1レース)一回り大きくなり、カセットがアクリルのトレーみたいなのに入れられるようになった。箱の材質もテカテカコーティングされて、絵が書かれるようになった。

 バルーンファイトはマイナーなタイトルで、なぜ最初にこれを買ったのか自分でもしばらく疑問だったが、おそらく当時は、友達にカセットを借りることができたので、友達が持っていないカセットを買うことを選んだんだと思う。

 ファミコンをテレビにつないですぐ、自宅でゼビウスをしていた記憶がある。あれは友達に貸してもらっていたのだろう。友達の多くは、初期の有名タイトルは遊び尽くして飽きていたので、俺は難なく借りることができていた。

 

4.迷宮組曲ファミコン

 

 確かハドソンのタイトルだったと思う。

 黄色いカセットだった記憶だ。マイティボンジャックとか流行っていたその頃、このタイトルで遊んでいたような気がする。

 アクションゲームなんだけど、当時のアクションゲームって難易度高くて、俺の腕ではとてもクリアなんかできなかった。

 この迷宮組曲を、友達のキタハラくんの家に集まってみんなでやっていた思い出が、強烈に残っている。

 5、6人集まって、社長の家らしく広々とした洋風リビングのでっかいテレビで、迷宮組曲をやっていた。

 ステージごとに交代で、迷宮組曲をやっていた。

 正直俺はそんなにこのゲームをのめりこんでやっていないのだけど、ゲームがうまい友達がゲームをやっているのを見るのは楽しかった。

 最初の頃は俺も交代で参加していたこの迷宮組曲だが、途中からとてもじゃないが俺にはクリアできないステージになっていく。

 誰がいて、どんなプレイだったのか、よく覚えていないのだけれど、とにかく興奮して、盛り上がった。

 迷宮組曲には、コンティニューがなかったと思う。

 だから、ほんとに、緊張の連続で、たかがゲームなんだけど、大げさではなく手に汗を握って、大声を出して応援していたし、ピンチには目を覆った。

 みんなで集まってワイワイやっていたあの迷宮組曲が、俺は好きだ。

 

5.ファミリーテニスファミコン

 

 中学に入ると部活も始まって、友達の家に集まってゲームをすることは少なくなった。その代わり、家で一人でゲームをする時間は増えたかもしれない。

 ドラクエもかなりやったし、ファミスタもやった。

 ハイドライドも好きだったし、ボコスカウォーズシティコネクションも好きだった。

 でも、一番やり込んだのはナムコファミリーテニスだと思う。

 軟式テニス部だったこともあるけど、テニスゲームってそれまでファミコンの「テニス」くらいしかなかった気がするんだけど、圧倒的テニスなクオリティで、8人?のキャラまで選べて、コートも選べて。最高だった。

 イワン・レンドル、ステファン・エドベリマルチナ・ナブラチロワ、などのスーパースターの時代の最高のテニスゲームだった。

 当時テニス部でペアを組んでいたコバヤシ君にはいつも怒られてばかりだったけど、二人でこのゲームをやっているときは楽しかった。

 卒業以来一度も会ってないが、元気か、コバヤシ。

 一度悩んでるふうな電話をくれたことがあったけど、子どもだったから気づかず、力になれなくて悪かった。ごめん。

 

6.バーチャファイターセガ・サターン

 

 あれは大学時代、サークルの合宿のときだった。先輩がブラウン管テレビを宿舎に担ぎ込んできた。セガ・サターンと一緒に。

 俺は初めて見るセガ・サターンという四角い箱にはまるで興味がわかなかった。

 高校に入ると、テレビゲームもほとんどしなくなっていた。

 スーパーファミコンは買わなかった。一時期友達に貸してもらって遊んだが、あまり記憶がない。後年遊んだクロノトリガーやゼロ4チャンプなどは記憶に残っているけど。

 そんな俺は、ゲームキューブも64もドリキャスもまったく知らない。触ったことすらないと思う。

 そこへ、セガ・サターンだ。ゲーセンも、プリクラとUFOキャッチャー天国みたいな明るくきれいな空間になってしまっていて近寄らなくなっていた。

 

 先輩がテレビを点け、セガ・サターンを起動したときの衝撃は今でも覚えている。

 ドイーーーーーーーン、、、、、、

 という重厚な機械音みたいなものと、セガ・サターンのロゴ。

 なんかしらんけどなんかめちゃカッコいい何かが始まる。そう思った俺は、8人のファイターたちに瞬殺される。

 めちゃめちゃカッコいい!

 エキサイティングアワーを超える格闘ゲームはいまでもないと思っているが。

 ストリートファイターはコマンドも難しいし飛び道具とかでてくるし横画面だし。

 それにしてもこの3Dよ。スピードよ。シビアな動きよ。

 PPPKで出せる大技よ(連環転身脚)。

 倒れた相手をジャンプして踏んづけるよ。

 場外に落ちるよ。

 「10年早いんだよぉ!」

 

 いやまじで、まじでアキラ怖かった。お前には絶対勝てないと思った。

 その後、バーチャ2はアーケードで少し遊んだ。バーチャ2の衝撃もめちゃくちゃでかかったけど、やっぱり初代の衝撃には及ばないと思う。

 

 

7.リッジレーサープレイステーション

 

 先輩のセガ・サターンに散々衝撃を受けたけど、悩んだ末俺はプレイステーションを買った。ボクサーズロードとアミューズメントパークとともに。

 シミュレーションゲームは俺は苦手だということがよくわかった。

 そして、リッジレーサー。めちゃくちゃカッコよかった。

 音楽もめちゃくちゃカッコよかった。

 当時俺は大学の寮に済んでいて、プレステを買った当時、俺の狭い部屋に集まって何人かでプレイしたけれど、車がコーナーを曲がるたびに、その場の全員の身体が左右に揺れるのが最高にクールだった。

 レースゲームは苦手部類だけど、これはかなりやったと思う。

 鉄拳も買ったけど、やっぱりバーチャのほうがいいなと思った。

 通信対戦ができるというので期待したが、よく見ると、テレビもプレステも2台ずつ必要で、さらに通信ケーブルでプレステ同士をつなぐ必要があり、寮という物理的有利な環境ですらそれは実現しなかった。残念だ。

 

8.プロサッカークラブをつくろうセガ・サターン

 

 初代。

 社会人になって、友人がやっていたので俺もやってみた。

 最初はわけがわからなかったけど、やっていくうちにどんどんハマった。

 俺が唯一ハマったシミュレーションゲームだと思う。

 特に割と早いうちにスカウトが連れてくる、屋野功という選手が好きで、必ず入団させて数年海外修行に行かせ、その屋野をトップ下に置くのが好きだった。

 けっこうやったけど一度もワールドカップで勝てなかった。やっぱり俺シミュレーションゲーム下手だわ

 

9.コナミワールドカップサッカーパーフェクトイレブン?(スーファミ

 

 これも社会人になってから、たまたまそこにあったからやってみた程度の、サッカーゲーム。横スクロールの。

 サッカーゲームもあんまりやらないんだけどこれはハマった。

 特に韓国チームが好きで(確かフォーメーションが3-5-2だった)ほぼ無敵の強さを誇った。

 ちょっとしたコマンドでヒールリフトとかできるんだけど、ドリブルで走らずにいくとけっこうディフェンスを突破できるので、キーパーと一対一の状況を作って最後ヒールリフトでゴールを決めるという、俺のスーパープレイで悦に浸っていた。

 走りすぎると選手が疲れてしまってピッチ上で動かなくなる(両手を膝に置く姿勢になる)のも、よくできたゲームだった。

 

あれ、一本足りないかな。

増田のようにゲームに対する熱は高くないけど、それぞれの楽しんだゲームライフを語るのも、楽しいと思うので、俺もみんなのゲーム話聞きたいです