道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

「本番」のようななにか

人前で話をする時がある。

本業が宗教家なので、本業の仕事の一部も「話をすること」はもちろんあるのだけれど、それではない方のこと。

ボランティアで、小中学校や公民館で講師をさせてもらうことがある。

今年で独り立ちして3年目になるんだと思う。数えてみて年間15~20回ほど担当させてもらっている。一回30分~60分程度の講演だ。

 

その開始前に、極度に緊張する。

「異常なほど」と言っていいと思うのだけれど、緊張感が高まる。

その緊張感を俺は知っていて、それは、学生時代に経験した、劇団の舞台公演の本番当日の緊張感と、まるで同じだ。ということを、先日思った。

 

「本番」であるかどうかで言えば、おそらく本業である方の説法的な講話的なもののほうがおそらく本番なのだろうけれども、なぜかボランティアの、こっちのほうがよほど緊張してしまう。話す内容も大体決められている(学校がらみなので逆に余計なことは話すとまずい場合が多い)し、子供相手だし、なぜこんなに緊張するのか、と自分でも不思議に思う。

 

少し学生時代を思い出してみると、俺が舞台にかかわらせてもらったのはほんの二年足らず。所属していた劇団の本番4本と、お手伝いで数本の本番をやらせてもらっただけだ。だから、芝居人として、とかいう経験談ではもちろんないけれど、それにしてもあの瞬間は緊張したもんだ。と思い出すのだ。

あの瞬間は、「最初の出番の直前の舞台袖の数秒間」だ。

俺は基本的に人前に出ることは苦ではない。好きだと言ってもいい(好きなだけで上手ではない)。

だから、そんなに緊張する方ではない。稽古でも、本番当日でも、割と冷静に客観的に眺めていることが多いと思う。だけれども、あの、出番直前の、楽屋から袖、そしてそこから明るい舞台に出るまでのあの緊張感だけは、ほんとに「異常なほど」に高かったと思う。

そういえば自分以外の人の緊張度合いとかを聞いたことがなかったのでみんなどこでどれくらい緊張しているのかはわからないけど、俺が見た感じだと、けっこう長い時間緊張している人も多いと思う。俺は周囲からは「緊張しない人」と見られていたかもしれない。

 

その舞台の上は、その日の劇場の空気は何色だろう、みたいな。どんな臭いだろう、みたいな。そんな期待と不安がごちゃまぜになったような感覚なのだろうか。今になって思い返せばそんな気がする。

それは、どれだけ自分が作り上げて練り上げてきても、自分の力だけではどうにもコントロールできないものの中に飛び込んで行かなければならない恐怖と、想像を絶するようなワクワクを感じさせてもらえるかもしれない期待と、どっちに転んでも「やばい」状況に飛び込む前の緊張なのかなあ、とか、思う。

 

そんな、舞台袖の数秒間の緊張感を、今、講演の度に感じている。

そう、大体5分前くらい。もう聴衆は整列して着席していて、司会の先生が案内をしていて、俺は自席に着いていて、さあもう少しでチャイムが鳴りますよ、っていうそのタイミングで、俺の意識は一気に舞台袖のあの、全裸みたいな衣装で冷えた身体でロスコの臭いをかぎながらどこか違う世界から聴こえてくるかのような役者のセリフと観客の呼吸を息を殺して聞き入っている、あの時間と同化する。

 

司会の方から紹介され、バトンがこちらに渡される。

俺は舞台に上がったのだ。

「みなさんこんにちは」

演台ではなく、プロジェクタの邪魔にならない位置まで進みながら聴衆を眺める。そのときには俺はもう緊張していない。

 

やっと、ここに来れた。そんな安心感に包まれている気がする。

 

何度繰り返しても、何度同じ内容の講演を行っても、同じ学校に今年も出向いても、同じように緊張が高まる。

俺はそれで良いと思っていて、俺なんかは話も下手だし内容も薄いし練習もちゃんとしていないんだから、緊張感を持って真剣に話すことをしなくなったら、話し手として終わりだと思っている。