道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

熊本で大地震が発生した。

 インターネットコンテンツにコメントする気力がない。
 
 SNSでつながってる人とか、別にSNSを通じて話すような人たちじゃないし。
 web上のみのつながりの人と真面目に話し合うようなこともない。
 ネットで盛り上がっている話題ってテレビのワイドショー並のものしかなくて興味すらわかない。
 俺が何かを言ったところで誰かになにか届くわけでもない。

 というわけでブログに書くわけだ。
 4月14日夜〜15日未明にかけて巨大な地震熊本県を中心に発生した。直下型の地震。被害は甚大。

 群馬県という遠方にあってできることはまず何もない。
 現地の状況を知りたくてテレビをつける。当然何も分からない。
 時間が経つにつれ段々情報が集まってくる。

 俺はテレビというものが嫌いだからなのだろうけど、民放の番組を見ていて、この人達は、震度7というインパクトに比べて被害が比較的小さく思えることが残念でならないのではないか、と思えてきた。
 巨大地震! 被害甚大! 救援! 支援! 復興! みたいなドラマを描きたかったのだろうけど、イマイチだなあ、みたいな肩すかしを食らったような空気を見ていて感じてしまった。
 報道の重要性はもちろん感じる。しかし、速報性がどこまで求められているかというと、それは、テレビ局側が自負しているよりはずっと低いと思う。正確な情報をきちんと集約したり整理したりして伝えて欲しい、というのが、情報化社会である現在の、俺達の、いや俺の希望だ。

 今朝のワイドショーで、被災地への物流が滞っている問題で、コンビニはうまいことやってる、という話題を取り上げて、こういうところで行政が民間に協力してもらう体制はとれないものか、とかコメントしてたけど、じゃあ災害時に情報の共有を行政とメディアはどれだけ協力できてるんですかね、と思う。
 混乱しています、というリポートは結構だが、そんな「当たり前」のことをドヤ顔で言われても困る。
 取材し、残すことは非常に重要だしその使命は崇高だと思う。だけど、現地から中継をいちいち飛ばしてリポートさせるまでもないんじゃないか。少なくとも全国ネットで。ローカルでやりゃ十分だろ。

 それと、瓦礫の中から救助される映像も流れていたけど、消防やレスキューの人たちが大勢でブルーシートを広げて目隠しを作るのね。それを中継しながら
「今ブルーシートが広げられて、その向こうで、動きがあります」
 みたいなリポートしてるけどさ。あんたらが取材をやめればその目隠し必要なくなるんじゃないの? って思うんだけど。
 悲惨な被災地の中での明るい話題? 希望? そういうのもすごく大事なのもわかるんだけど、そういうドラマを欲しがる姿勢がさ、救助の邪魔してるじゃん。

「こちらの避難所では食料、水、赤ちゃん用の紙おむつなどが不足しているようです」

 っていかにも現場のナマの声みたいに全国放送で流してるけど、それほんとに被災地として不足してるものなの。
 あるけど現場に届けられてないだけじゃないの。そういうの調べてから放送に乗せてもいいんじゃないの。
 全国放送としてさ、災害後すぐに「遠方からの被災地への電話はできるだけ控えて下さい」とか「情報が落ち着くまで現地市役所などへの電話問い合わせはご遠慮ください」とか繰り返しアナウンスしたかね。「ボランティアの協力は現地行政からの要請が発表になってから手続きをしてください」ってアナウンスしたかね。
 そういうのがさ、見て取れないと思ったんだよね。

 俺は群馬にいて、何もできないと思ってる。現地に駆けつけたっておそらく何も出来やしない。
 救援物資を買って送ることも、今の時点では流通への負担をかけることを考えたら、してよいのかどうかわからない。おそらくしないほうがいい。物資はあると思う。それだけの備えはしているはずだし、色々な行政から送られると思うので。
 今生きるか死ぬか、明日の暮らしをどうするかと苦しんでいる人たちに、俺ができることは、ない。
 これから長い復興の道のりが始まる。その時に必要になってくるのは予算だ。お金だと思う。それは現実。だったら、なにかしたいという気持ちを義援金や寄付という形で現すのが一番良いのだと思う。
 大切なのはその、寄付をする先だ。
 日頃から自分の帰属する組織なりの、もしもの時の窓口は抑えておくべきだ。それが、災害への備えになると思う。
 それを確認しておくことが、支援の一つだと思う。

 あと、地震のあとすぐに「原発は」とか言い出した人は反省したほうがいいと思うし、なんでオスプレイ?とか反応しちゃった人も落ち着け、と思った