道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

宗教をやってるとか学んでるとか言う人の話は話半分で聞くとちょうどいい

  増田


「宗教まなんでる人間」ってなんだろなーって思った。
 その前に元ネタに対してなんかないのかというところですけど、少し。


  http://blogos.com/article/111805/


 別にそれは宗教に限らず、浪費みたいなものでも同じようなことなんじゃないのかな、と。それが原因で「別居期間」が長く続いた場合、それを理由に離婚が認められることがある。って話じゃないのかな。それにしても離婚したくなるほどの奥さんの信仰ってどんなもんなんだろうね。
「子供の頃から信徒だった」ことを、結婚出産後に旦那さんにバレて打ち明けてってことで。主に「稼いだお金が妻の宗教活動に使われること」が理由のようで、たとえば布教活動や信仰行動などは理由にならないのだろうか。それとも客観的に経済的な理由を持ちだした方が話が伝わりやすいということだろうか。

 まあ、おそらく宗教活動と言ってますけど、カルトやカルトに近い教団の活動のことだと思います。それを「信仰」として扱って「宗教を理由に離婚できる?」みたいに一般化されるのは違和感がありますが、一般的なイメージってそんなもんなんだろうな、と思うのと同時にですね、「おまえが言うな」というツッコミが全方位から入ってきそうでもあります。
 個人的には、背景も何もわからないのでものすごく乱暴な感想を述べると、「旦那さんに理解してもらえないような信仰ならやめたほうがいいんじゃない?」ってことです。少なくとも、奥さんの望む「家族の幸せ」から遠のいているじゃないですか。そこで、離婚をちらつかせられるほどお金をつぎ込むなんて、一体どんな神様がいるわけでしょう。
 
 それと余談ですが、この記事にも「近所の人から、奥さんが布教に来たと知らされた」とかあるので少し触れますが、布教に来る人って厚かましいやつ多いですよね。時には強引で人の話を聞かず、迷惑も省みず入り込んでくるような。ウチにもたくさんいます。
 俺が思うにですね、それってその教団や教義のせいじゃないんじゃないかと。「もともと厚かましいやつ」なんじゃないかと思うんですよ。それがたまたま、布教という手段を得たもんだから、水を得た魚のようにいきいきと布教して回ってるという。みんながそうであるとは思わないんですけどね、熱心な信仰者であっても布教は苦手ってのは非常によくあることですよ。はい。


 で、冒頭の増田に戻りますと、「宗教まなんでる人間」からすると「無宗教の人間は学がなくて野蛮だ」そうです。
 もうこの最初の一文からしてですね、釣りであるかどうかはともかく、まともな信仰者の書いた文章ではないということがわかります。
 おそらくまだ信仰の浅い、最近勧誘されて始めたんでしょうね、宗教を。

 この「宗教まなんでる」っていう言い方が、どの教団のことなのかわからないんですけど、それなりに信仰している人なら「宗教やってます」とか「宗教まなんでます」とかっていうことは言わないんじゃないかと思うんですよねー。信仰しているのか、入信したので教理を学んでいるのか、本人はそういう意味で言っているのだと思うんですが、それを「宗教まなんでる人間からすると」って言う言い方は拙いと思うんですよ。
 少なくとも、それくらいに語彙の少ない人であって、未信仰者に対して信仰の話をしたことがない(あっても下手)な人だと思います。

 だからこそ「無宗教者は」なんていうくくり方をしてしまうし、それをもって「学がなく」て「野蛮」だと言ってしまうのでしょう。これこそ「世間を知らなすぎ」て「野蛮」な意見です。
 この人がそんなに「無宗教者」の人と多く接してきて、深く語り合っているとはどうしても思えないので、議論に値しないのですが、「宗教」という単語がこんな風にあおり気味に使われるのは嫌だし、なにより、信仰というのは「自分が優れている」という欲求を満たすためにあるものでは断じてない、ということが言いたくて今日は書いてみました。

 以上です。