天理教の目的とはなにか
とんでもねえタイトルだなあと思いつつ備忘録程度。
おたすけおたすけと言われているわけですけど、人をたすけるということは手段のひとつにすぎなくて、あくまでも目的というのは陽気ぐらしにあるわけで、そこについてもっともっと言及されないといけないと思う。
それは研究者とかそういうレベルではなくて、現場レベルで、日常の中で。
おたすけがあがったとかなんとかいう単語が飛び交ってる現状は異常だと思う。
教内の人間は、天理教の目的こそ人類の目的であり、人間が生きる目的だと考えていかないといけないわな。
そのへんすっ飛ばして目先の、めずらしいとか不思議とか奇跡とか、そんなもんありがたがってたって行き場を見失うよ