道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

させていただきすぎ注意報

 ポッキーの日とか言ってんじゃねえよ、などと乱暴なことは思いもいたしませんおはようございます。
 
 昨日は当教会の秋の大祭の日柄でございまして、先月新会長になった私といたしましては初めて祭主として祭典を勤めさせていただいた次第でございます。

 俺この「させていただきます」って嫌いなんですよ。
 使い方として間違ってるかどうかはともかく、天理教の中にいるとやたらと耳にするんですが、もうですね、俺としてはですね、たった一言だけ申し上げたいところでして、

 「使いすぎ」

 だぞと。
 もう、話を聞いているとあれもこれも右も左も猫も杓子も「させていただき」まして、もはやそれはもう、させていただきすぎなんであります。
 なので俺は意地でも「させていただく」ことはしないようにしてるんです。「させてもらいます」か「いたします」でほとんど足ります。
 なんかの説明とか注意事項とかひとつ話す中にも、させていただきすぎていて、もはや話の内容はまったく耳に入ってこずに、「ああ、なにかわからないけどさせていただいたんだなあ」という印象のみが残るだけなんです。何を説明したかったのかわからないで終わってしまう。
 なにかを伝えたくて話しているのだろうに、その「伝える」「聞いてもらう」「わかりやすく話す」という手段についてまったく意図が感じられないわけで、そういう意味で俺はさせていただきすぎな人は失格だと思ってます。

 全然関係ないことを話してしまって、昨日の祭文の話でもしようと思っていたんですが時間がなくなりました。
 祭文についても、通常の祭文のような難しい言葉や言い回しをやめました。だって俺自身がわからないんだもの。わからないことを言うことはできないし、俺がわからないものを、参拝の信者さん方にわかってくださいとお願いするのも無責任すぎる話なので、今の若い人でもわかりやすい言葉と内容で、神様にお手紙を書かせてもらうように祭文を奏上しました。
 おかげさまでご好評をいただきまして、小さな教会ならではの良さが出たなあ、と嬉しく思っています。

 某議員は特権を乱用して天皇に手紙を突然手渡ししたようですが、俺は神様に祭文を相乗できるという立場になってしまったわけで、目的を見失わないように気をつけていきたいなあと思っております。