道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

心霊体験

 秋分の日月曜日ですおはようございます。
 世間では先週に引き続き三連休とやらで、今日一日をどうやってやり過ごそうかと悩ましいところです。

 今でこそこんな性格な俺も、幼い頃、小学生や中学生の頃はうしろの百太郎が愛読書だった。あなたの知らない世界を見るのが大好きだったし、超能力ユリゲラーや清田少年すげええええええ、と思っていた。
 今でも心霊や超能力を否定したり批判したりはしない。むしろ「ある」と思っている。だが、それらが存在するかどうかなどの問題は優先順位からすると相当低い。この大根は辛いかどうかよりも低い問題だ。
 家族があってどうやって生活していこうかという悩みを抱えると、霊がどうとか、超能力がどうとか、などということにいちいち構っていられないわけだ。

 さて、先日お彼岸で墓参に行った。
 え、その辺の話ならカテゴリが天理教になってもいいんじゃないんですか? おもわれるかもしれないが、うーん、そうでもないんだよねー、というのが俺からの回答ですすみません。
 なのでごく一般的な話として。
 秋の霊祭を一通り終え、嫁さんと次男と、お墓地へ行った。車で一時間ほどかかる場所だ。次男は車で寝てしまったので、2人でお参りをした。簡単にお掃除をして、簡単なお供え物をして、手を合わせる。なお、天理教墓地なので四拍手一礼四拍手でお参りをする。

 まもなく会長という立場になることもあって、ご先祖、特に俺にとっての祖父、祖母に、「こんなんですけどなんとか守ってくださいな」とお願いをする。
 先祖霊に感謝ではなくお願いを唱えるということが天理教郷里的にどうなの、と疑問ではあるが、だからといって間違っているとも言える訳もなく、そこは素直にお願いをする。長い時間、と言っても一分くらいか、手を合わせ、目を閉じ、祈りを捧げた
 すると、となりにいた嫁さんが、近づいてきた。二人のあいだの数十センチの距離が、なくなった。俺の右腕に彼女の左腕があたり、二人寄り添うように、祖父母に祈りと誓いを捧げた。
 うーん、なかなかいいもんだな。と思いながら参拝を終え、車まで歩く。歩きながら、さっきのことを思い出す。
 参拝を終えようと目を開けたとき、嫁さんの立ち位置は参拝前と変わっていなかったように見えた。状態だけを左側に倒してきただけだったのだろうか。確かに二人のあいだには数十センチの距離が保たれていた。

「ねえ、お参りしてる時に寄り添ってきたよね。腕に腕が当たってた」

 俺は聞いた。右腕の外側に触れた感触とぬくもりは、今でも覚えているほどだ。

「は? んなことするわけねえだろ?」

 嫁さんが答えた。
 どうやら違ったらしい。
 まあ、そういうこともあるか。墓地だから。と思った。