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道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

お月様の思い出

 月が綺麗だ。おはようございます。
 若い頃はそれなりにろまんちっくだったんですよ。意味がよくわからない単語ですが、ろまんちっくだった。

 文通少年だった。
 高校一年の時だから15歳まで遡ると、初めての手紙を書いた夏を思い出す。もう、24年も前の話か。神戸に住む、一人の女の子だった。「ごうど」ではなく「こうべ」だ。兵庫県神戸市。

  ケータイのない時代に青春があった(旧・道ログ)

 それをきっかけに、文通少年になった。
 今でこそネットでこうしてくだらないことを書くけれど、それ以前に俺のものを読んでくれる人は、常に一人だった。複数の相手に手紙を書いたとしても、それが読まれることは一人でしかない。もちろん全部手書きだったし。学校の授業中に手紙を書いていたことも少なくない。

 今にして思えば、俺は当時から話すことが苦手だったのかもしれない。いや。しゃべることは苦手ではない。だけど、人と話を合わせて、場の空気に沿って話を合わせ続けることが苦手だったのかもしれない。嫌いというか。
 思ってることを話さない。それは今でもあまり変わらないかもしれない。ただ今となっては話せないことはそう苦痛ではない。むしろあまり話したくない。誤解される方がこわくて面倒だから。
 いや。嫌いとか苦手だから、ということが主な原因ではなくて、ある程度ゆっくり時間をかけて話さないと伝わるべきことも伝わらないと思うんですよ。というのは、こちらの話をする以前に相手の話を聞かないといけなくて、相手の認識を確かめてから話を始めて行かないと伝えたいことが伝わらないじゃないですか。だから、特に多人数の席でランダムに話をするのが面倒です。

 で、若い頃はそういうこととか考えてなくて、ただ苦手だったんじゃないかな。ですから、きっと、アウトプットの場を求めていたんだと思う。
 自分の話を自分のリズムでできる場所。そして、伝えたいことを伝えられる場所。なにより、それを聞いてくれる人。つまり、手紙を書いて、それを読んでくれる人がいるということ。それが、俺にとってものすごく大事だったわけです。

 空を見て、冬の朝なんかのピンと張り詰めた、水溜りに貼った氷のような空や、細くてしなやかな三日月や山の向こうから朱がにじみだしてきたような夕暮れとか、そういうのを見て、手紙を書きたくなったような、そんなことを思い出した。
 月がきれいだったんですよ。