道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

防災のこと

関東大震災から90年 東京・墨田の慰霊堂で大法要

 関東大震災から90年が過ぎたらしい。1923年のことだったらしい。
 俺が生まれたのは1973年なので、俺が産まれた年にはおそらくあれから50年ということが言われていたのだろう。

 災害は繰り返す。これは仕方のないことだ。
 しかし、被害は小さくしたい。これは人々の願いだ。 
 そのための取り組みをするのが社会だ。小さな社会である家族から町内、行政そして国家など。さらには学校や企業や各団体で、備えをする。それにはコストがかかる。人々を守るためのコストだ。

 去年の2月だったか、大学時代の友人数人と集まった時、当然のことながら東日本大震災の話になった。地震から一年も経っていなかった時。
 その場に東北の人間がいなくて、関東人すら俺だけだった。俺たちの大学は奈良県だったし、集まったのも奈良だったから。関東や中国、九州の人間ばかりだった。地震のゆれがどれだけ大きかったか。うちの瓦が落ちて大変だったとか、ガソリンが手に入らなくて大変だったとか、計画停電がいかに不便な生活を強いられるのかとか、そんなことを話したが、話題はいつの間にか、阪神淡路大震災の話になっていた。あれから18年? あの当時俺たちは学生で、奈良や大阪兵庫などで同時にあの震災を体験した。その当時の話で盛り上がった。それぞれがどこで何をしていたのか、そういえばよく知らなくて、姫路で大変な(というか不謹慎ながらおもしろい)大変をしたやつもいて、とてもおもしろかった。18年前の話で盛り上がったのだ。

 その時にふと思ったのだが、一年前の東日本大震災よりも、18年前の阪神淡路大震災の方が、その場では大きな関心事なのだ。やはり関西地方(おおざっぱで)に行くと、東日本大震災の影響はなかったし、関心も薄いとは思ってたけど、やっぱりそんなもんかと思った。
 でもそれは仕方ないのだ。俺たちは18年前、あの大きな地震を経験して被災した。それについて18年経った今も互いに語り合うのだ。忘れられないのだ。
 一年前のあの場所には、東日本大震災を経験した人間は俺を除いていなかった。だから、仕方ない。それだけのことだった。
 2万人近い方が犠牲になった地震津波などなんと悲惨なことだろうと衝撃を受けても、世界的に見たらこれまでにもあったことだ。時には10万人以上の方が犠牲になった津波もあっただろう。その時に、2011年と同じような衝撃を感じることができたのかと問えば、自分はそれに答えられない。

 大切なのは語り継ぐことだ。
 
 その時起きたこと、感じたことを、ありのままに伝えていけること、それが大切だし、繰り返さないためには、あの時ああすればよかったと思ったことがあれば、その後悔を繰り返させないために、語り続けていくことだろうと、俺は思う。

 関東大震災被災地に今住う人々が、地震や火災への意識が高くあってもらいたいと、思ったりした。