赤衣を見てきた
※宗教ネタです
本物を見てきた。正確には、襦袢。
教祖が実際にお召になっていたもの。
某教会にて見せてもらった。
羽織と着物はそれぞれ別の教会にあり、それは御神体にせよとの仰せだった。ただし、この襦袢は、これを着ておたすけに歩けとの仰せだったということで、こうして見てもらってるんだよ。
とは、その教会の会長さんの言葉である。
約、130年前のもの。教祖ご在世当時のものだ。初めて見た。
一時期保存がイマイチだったそうで、虫食いとかあった。なにより、赤かった。
朱色といっていいと思う赤。ほんとに赤。真っ赤。赤衣赤衣とは聞いていたが、ほんとに赤い。赤一色。
いや、当たり前なんだけど、そんなのは十分承知なんだけど、それにしても赤い。今の時代でもありえないくらい赤い。
なんたってそれは襦袢なのだ。
明治時代に、90近い老婆が、襦袢まで全身赤かったのだ。その事実を、まざまざと目にしたわけだ。衝撃だった。当たり前ではあるけれど、ほんとに赤かったんだな、と、心から感心した。
そして、思ったより小さいな、と感じた。そりゃそうだ。着てきたのは老婆なのだ。小さめ(Mサイズ?)のハッピくらいの大きさかな? なにせそれは襦袢なのだ。
あと、縫い目がけっこー、均一ではないように見えた。もちろん、手縫いだろうけど。裁縫のことはさっぱりわからんけれど、雑とまでは言わないけれど、けっこー、ああ、こんな感じなのね、と思う程度ではあった。
一度しまって、その会長さんの話を色々聞かせてもらって、それも面白かったわけなんだけど、その後にお願いしてもう一度、見せてもらった。そして、
「これ、触ってもいいですか?」
と聞いてみたら、快く許可してくださった。
おそるおそる指先で触れても、まあ、古い襦袢である。赤い。
思い切って、両手のひらを広げて置いてみた。
なんだか、不思議な気分だった。
教祖が、実際に着たものなのだ。着物や羽織でなく襦袢ということは、おそらく肌に直接触れた部分が多いだろう。それに、触れていたのだ。不思議な気分だった。
教祖は存命でいらっしゃるし、今もその赤衣はお守りとして下付してくださる。そんなことはよく知ってる。が、お姿は見えない。肉体はすでにないのだ。
しかしこの襦袢には、確かに教祖が袖を通し、温もりが伝わったものなのだ。つまり、物理的に、教祖とつながったというか、触れたというか、そんな感覚を覚えた。
教祖の肉体が袖を通した赤衣というものは、現存するもの以外は今後も現れるはずがないのであって、そういう意味では非常に貴重な体験、接触をさせていただいた、と素直に感動した。
そんなわけでこうしてエントリー書いてみた次第です。
元気にやっています