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道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

地震と神様

天理教

先月から天理で猛勉強してますがいかがお過ごしですか皆様。

スマホしかないのでちょっとだけ書きます。備忘録ですが。
それにしてもこの、うんにゃんにゃんにゃん講習、生ぬるいわ。こんなんでどーすんのって感じ。俺が資格とったらその後はもっとずっと厳しくした方がいんじゃねえ? 年祭だのなんだのとかより、基本的なとこ見直した方がいいよー。

 さて。ちょっとというかだいぶ気になったんだけど、2年前の地震の話がちょっと出た。ニュージーランドじゃなくて東北の。
 宗教家としてはほんとに悩ましいし、平たく言えば頭の痛い部分だ。でも、人前で言えるかどうかはともかく、宗教家であればそれはそれなりに思うところは皆あるだろう。

 天理教の原典におふでさきというのがある。神直筆の天啓書だ。
 そこには自然災害も含めて、神が「ざんねん」や「りいふく」と思っている結果だ、みたいなことが書かれている。りいふくとは立腹のことだ。
 書かれている以上、神が残念と思ったり立腹したりするのは事実だ。

 だから、大きな被害があった地震津波から、神意を汲むと、人間の行いに対し神が立腹したからだ。とも考えられる。それはまあわかる。
 が、俺は納得しない。
 神の立腹とはどういうことだろう。
 俺にはそれがわからない

 よもや、神が、人間が怒ったり腹を立てたりした時のような衝動的な行動をとるなどとは思えないからだ。
 当たり前のことながら、神は人間ではないのだ。

 地震直後から俺は、神は怒ったりなどしない、と言ってきた。今でもそう思う。ではお前はあの地震津波をどう考える? ということについてはまた。
 なんとなく思えるのは、大きな流れの中で、人間がそのバランスを失わせてきた。みたいなこと。歪みが蓄積し、はじけたような。そんな感じを抱いてる。

 まあね。、地震津波、確かにそれらは神も明言していることであるから、色々な悟りがあって仕方ないとは思う。でもね。それに絡めたとは言え、神様の話をすべき時間に原発事故についての神意を語るのはよろしくないとは思った。
 政治的な色合いが強すぎて、宗教的な視点では語れないように思うんだよ。