道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

信仰について

  信仰が無いことにいまさら苦しむ
  扉の向こうへ(24時間残念営業)

 読みました。偶然ですね! 俺も昨日こんなエントリ書いたところです!

 ほんとに、書き終わってから「信仰が無いことにいまさら苦しむ」を読みました。そんで、夜になったらmk2さんも書いていたと。
 以前にもmk2さんが宗教や信仰について書かれた時に、俺もなんか便乗して書いたんですがね。特にこの二つのエントリに反論や批判をする意図はないんです。ただほんとに、便乗です。

 現代日本人だからとかそういう枠に関係なく俺が思うのは、宗教、信仰、教団、教会、そしてそれから派生してくる活動など、というものはある程度切り離して考えなければならないということです。

 信仰というものは、あくまで一対一のものであるからです。
 神と自分。ただそれだけの関係です。神が与え、俺はもらい感謝する。それだけなのです。

 宗教、と言った場合、それは宗教法人を意味することが一般的ではないでしょうか。
 信仰と宗教というものは似ているようであり、まったくの別物であると思った方がよさそうです。
 宗教者と信仰者はほぼ同じ意味でしょうね。
 教会や寺社、またそれに属する集団などは、信仰者たちのものであると同時に、教団のものでもありますね。

 宗教法人法という法律があって、それによって認可された団体がいわゆる「宗教」であって、それによって許可された建物などが「境内地・教会」などであるわけです。ですが、日本は憲法によって信教の自由が保証されていますから、憲法以前から宗教というものは存在しているわけですね。昭和初期にも、江戸時代にも戦国時代にも宗教はあったわけです。仏教が伝来してきたり、神宮ができたりして、いわゆる宗教というものは段々と出来上がってきたんでしょうね。歴史的なことはよく知らないですが
 しかし、それ以前から信仰はありました。太陽や山、岩、木などに宿る神を敬い、畏れ、祈りを捧げてきました。

 そもそも、宗教などなくとも信仰はあったのです。
 いえ。そもそも論を振りかざすまでもなく、今現在も、信仰というものは宗教という枠の中で制約されるものではありません。

 冒頭二つのエントリを読んで思うのは、すごく真っ当な感覚だろうな。ってことです。色々な宗教団体が(mk2さんの言うとおり特に新宗教以降の団体が)話をややこしくしていて、もはや宗教なのかなんなのかわからなくなってきてます。宗教団体の指導者側の人たちは、難しい話には答えてくれますが、素朴な疑問には答えてくれなかったりします。「そんなもん信じられるか」と言われて終わりですね。
 大切なのは難しい教えではなく、素朴な、日常的な疑問や悩みにシンプルに向き合えるかどうか、でしょう。信仰とは日常のなかにこそあるべきだからです。
 うんこもするしセックスもするよ。犯罪を犯したこともあるよ。なにもかもめんどくさくなることがしょっちゅーあるよ。でも、俺は生きていて、幸せだよ。あなたも、幸せだよ。
 そんなことだろうか。

 型にはまった「ありがた文」を教えるのが宗教ではない。
 今あなたがどれだけ幸せであるかを一緒に考えてくれるのが宗教だ。と俺は思う。信仰心に厚いも薄いもない。信仰というものは、その人の中にのみあるものだから。
 「あの時あの場所であの人のあの一言にすくわれた」というような経験はないだろうか。そこに感謝が生まれたら、それは、おそらく信仰心だと思う。俺はね。
 まとまりませんが。