道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

「おたすけ」の悩ましさ

 それは突然だった。
 2月におぢばがえりをした。母と、信者さん二人を乗せて、運転手をした。俺にも目的があってというか、そもそも俺が用事があったので、一緒に乗ってく人を探していたのだ。
 信者さんのうち一人は、天理教のての字ぐらいは知っているだけで、教会はもちろん、おぢばがえりも初めての人だった。おつとめももちろん、天理王命も、おやさまという単語も知らない人だった。

 なんかこう、緊張もしたし、楽しくもあった。初めての人をおぢばに案内できるのは嬉しいことなんだといことを知った。
 あと俺は学生時代の友人たちとちょっとした同窓会みたいなことをして、これについては気が向いたら書くけど、とにかく家に帰ったのが2月26日の夜。
 27日、俺は夜勤だったので夕方まで寝てて、起きた。
 おもむろに父が

 「3月にをびやをいただきにいく予定の妊婦さんが経過が悪いらしい。おたすけに行ってくれ。」と言った。

 その人の話は知っていたし、2月に入院したのも知っていた。俺と同年代の女の人で、結婚したばかりで初めての子供で、正月にはちょっとしたお披露目のパーティーをしたばかりというこれまでの経過。
 ちなみに詳しくは書けない。書かない。特定が容易なので。

 突然の話だったけど「わかりました。」とだけ答えた。
 これからの教会を担う俺と嫁さんとで、おたすけに行きなさいという考えらしかった。
 その人が住んでいるのは東京都。群馬からはまあ、近い。新宿から15分ほどの町に住んでいると聞いていた。

 次の休みの日ということで、3月2日に行くことに決めた。嫁さんも仕事が休みだったのでちょうどよかった。

 子宮筋腫があって、安静にしてないといけないというような状態だと聞いた。
 その妊婦さんのことは小さい頃から知っているし、学生時代まではほんとに仲良しだった。お母さんにもよくしてもらっていて、そういう間柄だ。

 子宮筋腫。聞いたことはあるけれど、どういうものかは分からずに、仕事をしながら簡単に調べた。よくわからなかったけど、とにかく安静にしていないと母体か胎児かわからないけどヤバいということはよくわかった。
 これは、繊細な問題だ、と思った。

 同時に思ったのは、理想としては家族がおたすけをすすめることだということ。俺たちがおさづけを取り次いで願うのは簡単だが、それよりももっと大事なのは、おばさんや、おじさんの祈りだとも思うし、天理教を知らない旦那さんがをびやをいただきにおぢばに行ってくれる予定だったから、そのへんも含めてよく思案しないといけないということだった。

 だがしかし。時すでにそういう問題ではないとも思った。確かに理想としてはそうなのかもしれないんだけど、俺たちの仕事(というと違和感がある人はてきとーに変換してください)は、そういういわゆる信者さんに変わり、祈り、つとめることも重要なひとつだと認識を新たにした。
 では、なにができるのか。なにをすべきなのか。

 まずは、安心させることだ。
 安心して、自分の身体と、赤ちゃんのことだけを考えて、それ以外は全て周りに甘えて甘えて、とにかく寝てすごしなさいということを伝えなければ、と思った。
 
 そんなことを考えていたら、ふと、頭に浮かんだ言葉があった。

 子宮筋腫、しきゅうきんしゅ、しきゅうきんしゅ、、、至急?きんしゅ?
 至急禁酒? む? むむ?

 俺と嫁さんはのんべだ。そこへきてこれだ。はたと思ってメールを送る
 「至急禁酒、なのか、、、?」

 と。即座に返答が来た。
 「なるほど面白い! やりたい。禁酒」

 ああ、やっぱり。と思った。
 「やってみるか。。。(妊婦さん)にたすけてもらおう」
 「はい/」

 さて。これでおそらく道は開く。
 あとは、情報が必要だった。いくら幼なじみとはいえ、突然群馬から東京に行って「おーうだいじょぶかー? おさづけ取り次ぐよー!」みたいなことは、拒絶されるというか、事がことだけにほとほと無神経と言わざるを得ない。
 だから、妊婦さんんお母さんにできるだけ細かく経緯を聞いた。仕事終わりに朝会いに行って、これまでの経緯、なにより彼女の今の様子を聞きたかった。
 色々話をしながらおばさんが「今ナーバスになってるからねー」と言ったので、ああ、やっぱり。というか、当然そうだよな、と思った。
 
 「じゃあ、わかりました。俺から電話して、行っていいかどうか聞いてみます。」と言った。

 「いーい? 悪いねえ。」とおばさんは言った。

 おばさんは話している間何度も「身上事情は道の華って言うでしょう? だから言ってやらなくちゃって思ってねー。」とか言ってたから、これはちょっと、まだ早いとしか言いようがなく。まだ早いというか、身性事情は道の華ってのは一体誰が言い始めたんだろうか。ほんとにそーなのか? まあ、一番言ってたのはうちのじーさんなんだろうけど。今そういう言い方をする先生は見ないように思うよ。

 その晩、電話をかけた。異様に緊張した。
 彼女が自分を責めていたら? 押しつぶされそうなくらい、変な責任感に悩まされていたら?
 「変な気をつかわないでよ! ありがた迷惑!」
 と怒鳴られても不思議ではない。一体、なにをどう言ったらいいのだろう。
 「あなたのたすかりを願いたいんだけど」
 ということを伝えるのがこんなに難しいとは思わなかった。
 果たして彼女は受け入れてくれるだろうか。気を使って、
 「だいじょぶだいじょぶ、元気だから、来なくても平気だよ。その分の交通費お供えして、教会でおつとめしといてよ。」
 なんて言われたら、なんて言って「いや、行く。」と言えばいいのか。

 もやもやと考えがまとまらないまま電話をかけたら、すぐに出た。
 元気がない声。というのが第一印象。軽く挨拶をして、様子を聞いた。
 予想外と言っていいほど、彼女は今の様子を素直に話してくれた。俺はそれを聞いて、「2日に、そっち行きたいんだけど、行っていいかな?」と聞いた。

 「え。いいの? 嬉しい。ありがとう。」

 彼女は力ない声で、しかしおそらく微笑みながら言った。
 俺は、じゃあ、また後で連絡するよ。と言って電話を切った。


 俺はこの時「ああ。だいじょぶだな。。。」と思った。
 どっと、身体の力が抜けて、ほうっと大きく息を吐いた。
 彼女は神様に向き合っていた。俺たちが行って、おさづけを取り次がせてもらったら、彼女はきちんと神様に向かい合って、寄り添って通っていけるだろう。そうしたら、きっとだいじょぶだ。
 一番大切なのはそこだ。おさづけが効くとか効かないとかそういうことはあまり意味がないことであって、大切なのは、その人をいかに神様の方へ向かせるか、それが、おたすけだと思う。
 神はいつも人間の方を向いている。そちらへ、きちんと向かい合わせることができたら、おたすけは成功であって、我々は、おさづけという道具を使ってそれをするのである。

 そう思う。

 さて。当日、新宿に降り立った群馬県民夫婦に彼女から電話があって、
 「急に具合が悪くなって病院に行くことになったから今日はごめんね。」
 と言われたりしたが、なんとか病院で会うことができておさづけを取り次ぐことができた。
 とにかく甘えて、寝て、自分の身体と赤ちゃんのことだけ考えて寝てなさい。をびやをいただいてくるまではなんとかつないでもらうようにお願いしたから。と、それだけを言った。

 帰りの道中、おばさんから電話が来て、
 「痛み止めも効いててなんとか落ち着いてるみたいで、ありがとう。」
 と教えてもらった。
 ありがとうだなんてとんでもない。俺はなにもしてないんです。彼女がきちんと自分から神様と向き合っていたから、つながっているんですよ。

 次の日の夜また、おばさんから電話が来た。

 「あ。さっきまた電話がきてね。状態も落ち着いてるし明日退院になったって。昨日の検査の結果でね、今までで一番いい状態だって言われたんですって。ほんとにありがとうございました。」

 正直、ほっとしたけれど、それでもやっぱり、俺たちはなにもしていないと思うし、彼女の素直さをみんなもっと見つめて、褒めてあげていいと思う。
 
 もちろん、これでおたすけが完了したなどみじんも思っていません。
 これからますます気をつけて通らなければならないのはお医者さんもおっしゃるとおり。

 日常のひとコマ、と思って読んでいただけたら幸いです。かね?