道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

阪神大震災より17年

 阪神淡路大震災から16年(道ログ)

 今日がその日でしたか。
 一年前のエントリを振り返るのも久しくなかったのですが、今日ばかりは改めて。
 
 17年か。去年の今頃は、正月のスカスカおせち騒動がひと段落して、2ちゃんねるニュース速報+板で記者キャップのパスワードが漏洩して大騒ぎした頃。ふらんす亭の社長とかが炎上マーケティングしたりしてる矢先に、icezukiさんによるカンニング騒動が狂ったように報道されてた頃でした。

 年々記憶が薄れていくのが残念でならないけれど、その分こうしてどこかに書き留めておきたいと思う。
 去年は2回大阪に行く機会があって、震災当時を共に過ごしていた人々にも会うことができ、当時の話をすることもありました。

 俺は去年3月に、群馬県にいて大地震を経験したけれど、阪神の時のあの揺れとは全く違う揺れだった。
 阪神の時は「ドン!」と最初に大きく揺れた。明け方だったし、布団で丸くなっているしかなかった。揺れの直前、不自然に猫が騒ぎ、寝惚け眼で遠くから近づいてくる地鳴りに体をこわばらせた。
 対して東北の揺れは、ゆさ、ゆさ、ゆあんゆあんゆあんぐらんぐらんぐらん、ぐわんぐわんぐわんぐわんぐわん。。。。。っていう揺れだった。明らかにだんだん大きくなっていった。

 震源から遠かったのもあるだろう。いずれにせよ、テレビで国会中継を観ていたところ、初めて緊急地震速報を目にし、(おお。これが緊急地震速報か。初めて見た。聞いた)とか思っていた。揺れるのは東北地方で、群馬は揺れの範囲に指定されていなかったから。
 だからテレビを見続けていた。
 家が揺れ始めた。小さな揺れから始まったので、嫁さんに「だいじょぶだいじょぶ」とか言った。嫁さんはそれでも怖がって外に逃げた。俺は阪神の揺れの経験から、あとからあんなに揺れが大きくなるなんて思ってなくて、当時の菅首相が追い込まれる様を観ていた。

 しかし、俺の予想を裏切って揺れは大きくなった。
 32インチの液晶テレビが倒れて壊れないようにしばらく抑えていたのだけれど、いよいよもって危ないと判断して外に出た。

 庭に止めてあった車、MPVがダンスを踊っているように見えた。明らかに地面が波打っていた。

 「これはやばい。未曾有の惨事がどこかで起きている。」

 そう思った俺は、次男を迎えに行った嫁さんを見送り、とりあえず長男の学校へ向かった。
 小学校の児童が全員無事というので、その足で実家の様子を見に行った。

 その時、見たことも聞いたこともないような風が、俺たちの街を吹き荒れていた。


 いかん。どうしても今地震の話になると東北の地震の話になってしまうな。

 阪神淡路大震災は、都市直下型の巨大地震。この教訓も忘れてはならないし、むしろ、この17年前の教訓があったからこそ、去年の東日本大震災で助かった命もたくさんあるはずだ。
 それだけは忘れないようにしたい。