道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

大阪と舞台と俺と女

 いや。女は別にあれ、意味ないんですけどね。さっき朝、群馬に帰ってきました。夜行バス久々すぎて、全く眠れませんでした。というわけで、書きましょう。

 先日から言っていた通り、18日に大阪に行きました。神奈川から。伊勢原から小田原まで小田急で行き、小田原からは青春18切符で、JRを乗り継ぎ。朝8時過ぎに神奈川を出発し、夕方5時くらいには大阪に着きました。朝食にトーストを食べただけで、途中そばでも食おうと思いましたが、なかなか踏ん切りがつかずにノンストップで行ってしまいましたから。袋井で途中下車して参拝していこうかな、とも思いましたが、とりあえず今回は目的の大阪にたどり着くことを最優先させてもらいました。
 約束は9時。しかし15年ぶりの大阪ということで、土地勘がゼロ。早めに着いて少しのんびりして、集合場所に向かおうと思いました。
 大阪から環状線でちょっと行ったり来たりをして懐かしみながら、7時過ぎに梅田の集合場所を探し始めましたが、トラブル発生。ケータイの電池がなくなりました。
 今回持っていったケータイは以下。スマホ1、電池1、ガラケー1、電池1、ポータブル充電器1、ガラケー用電池充電器1.これだけあれば大丈夫だんべともおもったんですが、意外なことに、a.ポータブル充電器が充電されていなかった。b.ガラケー用予備電池も充電されていなかった。というハプニングがあり、電力不足に陥りました。
 大急ぎでスマホに入っていた集合場所のメール内容をメモに書き、電池の限りGoogleMapを確認します。次いで残り少ないガラケーに望みを託し、お店に電話をして行き方を聞いて、友人に「電池切れる」とメールをしたりしました。ま、結局、ポリシーを曲げてコンビニで電池で充電するキットを購入しましたけどね。あれ、故障の原因になるので使いたくないんですよ。

 約束より一時間ほど早くお店に着いてしまい、ガールズバーなどの呼び込みのたくさんいる繁華街を行ったり来たりしながら時間をつぶし、9時になったのでお店に入りました。俺が一番最初でした。
 そこから次々と、懐かしい顔がやってきました。
 少し老けたり、太ったり、毛がなくなってたりという変化はありましたが、15年前の面影そのままに、いたずらに楽しい時間でした。多分、あの時俺は22歳の気分だったと思います。楽しかったから。やたら。相変わらずみんなに甘えていたし、生意気だったと思うし。

 実は一番気になっていたのは、元代表であって、現在も関西小劇場で活躍されている氏との絡みだったんですが、それこそなーんも変わっていないようで、とても安心しました。相変わらずだらしないし、人の話聞いてないし、俺には冷たいし。なにせ、「俺に」って女性が取り分けてくれたお好み焼きを、なんのためらいもなくふつーに食ってましたからね。ま、俺は呑む時は食べない派なのでいいんですけど、自分の分を食べ終わった後、ふつーに、自然に食ってましたからね。「あー。こういう人やったなー。」って思い出しました。
 でも実はその後ふと思ったことがあって、彼は、本当に何も考えずに生きているんじゃないだろうかと。たとえば、15年ぶりくらいに会った顔ぶれたちは、彼の動向というか、彼が何を思ってやって来て、一緒に呑んでいるのだろうか、とかいうことを考えていたりするのですが、彼はそれに応える素振りがまったくなかったので、そういうことを考えると、こっちが気にしているのが馬鹿らしくなるくらいに、なんも考えずに今を生きているだけなんじゃないかな。とか思えてきたわけ。

 でも、それなりに思ってくれたところはあったのかなー、って感じたのは夜中にツイッターで「前身の劇団プラトニック・ファミリィのメンバーと・・・」という記述があって、そういえば彼の発言の中でプラファミという言葉を聴いたのは俺は初めてだったので、安心しました。
 んでその呑んでる時に「うそやん、俺まるちゃんフォローしてるで。」と言い張ったので「いいえされてません。」と頑なに否定しておきました。ほんとにフォローしてくれないどころか、メンション飛ばしても相手にすらしてくれないんだから、どこまでもマイペースだなーって思いました。

 で、一夜明けて昨日。某女優みっちーが客演している現場にお邪魔させてもらいました。そこで、それこそ15年ぶりにお会いした舞台監督さんに、思い切ってその話しをしてみました。「彼は、何も考えずに生きているんでしょうかねえ。」と。でもその舞監さんは「そんなことないやろけどなあ。てか、まるちゃん老けたなあ。まあ、たかせくんも色々考えてやってて、でも、ごにょごにょ・・・・」って仰ってたので、どちらかと言えば俺はその監督さんを信じて、氏はそこそこ考えてる生き物だ、と思うことにします。

 某女優みっちーが客演している現場にお邪魔させてもらった、とさらっと書きましたが、舞台の現場、しかも初日に劇場にお邪魔して時間を過ごすなど、「させてーな。」と言って簡単にできるもんではありません。呑み会の後、泊めさせてもらった(突然ね。)某役者が、その日たまたま制作のお手伝いに行くことになったので、「皿洗いでもしますから。と言って連れて行ってもらったんです。

 晩は結局2時半まで呑んでました。春に親と同居してから、夜10時とか11時とかになると「真夜中」という生活だったので、俺にとってはほぼ明け方でしたが、楽しかったです。ありがと。

 そんで阪急電車に15年ぶりに乗って、現場であるシアトリカル應典院へ向かいました。途中駅そばを食べました。前の日も時間待ちしている間に梅田で立ち食いそばを食べたのですが、どちらもかけそば220円という、すげえ安いし、やっぱうまいし、でした。なお、初日都そば、二日目阪急そば、で見たのですが、阪急そばのかけそば220円にはかまぼこが一枚乗っていました。
 んなどーでもいい情報はとにかく、その、應典院さんてのは、どうやら「おうてんいん」さんと読むらしいです。お寺です。て、ら。お寺さんが劇場を持って運営してるんかー。たまにあるよなー、そういうのー。とかのんびり考えていたら違ったらしくて、舞監さんいわく、お寺の本堂らしいです。本堂を、劇場というかホール型にしてしまったそうです。だから、ご本尊も、その劇場内にあるそうです。俺はそれ聞いてすげえびっくりして、感心しました。
 おそらくこの点て、あまりピンとこないと思うんですよね。宗教的な価値観みたいなのって、あんまり気にしないでしょうから皆さん。でも俺は少し宗教家なので、びっくりしました。「それは思い切ったなあ。」と。しかし、うまいこと考えたなあ、とも思いました。應典院さんの狙いどころがどこかまではわかっていませんが、色々と考えていいケースだと思います。

 まあ、そんなこんなで、主に役者スタッフさんの食事をお手伝いしながら、特別にお許しをいただいてゲネプロを見せていただけることになりました。
 それが、俺が、15年ぶりに観る芝居となりました。

 最初に言いますが、俺はあまり期待しないで観ました。観るかどうか、けっこうギリギリまで悩みました。断ろうかとも思いました。
 俺はどこかで自分の芝居に対する思いを、思い出と摩り替えて美談にしているだけじゃないのか、とか、人間関係の楽しさを芝居そのものの楽しさに当てはめていなかったか、とか、とにかく昔の話を美化して、その後の自分に対する言い訳にしてきたんじゃなかったのか、とかいう、そういうことが、いざ劇場というリアルに足を運んだ時にぐるぐると巡ってき始めたからです。
 前の晩、15年ぶりに会った皆さんとはとても楽しく、当時のままに時間を過ごすことができた。でもそれは、舞台とか芝居とかそういうことじゃなくて、ただ、同窓会みたいな、そういう楽しさだったんじゃないのか。現実では、舞台も、俺も、年限を経ているから、感じ方も、変わっているんじゃないか、と。

 しかし、断ることはなく、時間通りに劇場に入りました。ほぼ誰もいない客席と、ゲネプロという、独特の雰囲気に包まれて、開始を前に劇場の扉が閉まり、照明だけの空間になりました。
 俺はそれを感じた時に、ギウッと、世界が小さくなったような感覚を思い出しました。舞台、客席という空間世界を作り上げる作業を行う場所、劇場。その雰囲気が、一気に濃厚になって、押し寄せてきました。俺は身動きもせず、暗転し、舞監さんの指示の下、ゆるやかに始められるゲネプロに見入りました。

 15年ぶりに、小劇場を体感しました。俺はただ、そこに身を置きました。徐々に、身体がなれていきました。芝居という空間に。劇場という世界に染まることに。

 俺なんかがどうこう言うことじゃないですが、いい芝居でした。疑問に思うことがないわけじゃありませんが、素晴らしい舞台でした。なぜか、俺は、芝居を観ながら泣いてました。涙が、のどまで流れていました。多分、嬉し涙。なんというか、色々考えながら観たんじゃないんです。ほぼ、何も考えずに観てました。感じていました。そうしたら、涙がほろり。なんだか色々と思い返してしまったりもしたんでしょう。ここ数年のこととか、嫌だったこととか。そして、先日のエントリにも書きましたが、俺が芝居をしたいと思い始めた頃のことも思い出しました。
 色々あったけど、芝居の世界に少しでも飛び込んで、わずかでしかないその経験にだけすがって、「芝居好きなんです」って公言し続けてきて、実はほんとにいまでも芝居好きなんかどうか、やりたいんかどうか、自信がなくて、でも、それは、間違っていなかったって、胸張って言える。俺は、これからもずっと、舞台が好きですって言い続けて行ける。そういう確信を持てたという、そういう、なんか、わかりにくいし、無理やり話し難しくしてる感じがするんだけど、でも、なんか、俺の中ではそういう、ぐるぐる回る思いがあって、ほろほろと、泣きました。同時に、今でも芝居を続けている人間が、こんな俺を温かく受け入れてくれたことに、感謝ばかりが浮かんできて、もう、鼻水をたくさん放出したところです。

 俺は今回幸せでした。15年振りに、たまたまなのに、なんかいろんなものを胸に観劇させてもらったその作品が、この作品でよかったです。
 作り手側は、そんな、「15年振りに芝居観てなにかを感じようとしている人間が観ているかもしれない」なんてことを想像して芝居を創る必要はないと思いますが、そんな客もたまにはいるかもしれないということは、片隅においておくといいかもしれません。一期一会ってそういうもんで、じゃ、どうしたらいいかというと、できうる範囲で、ベストを尽くしていただけたらそれでいい。と思います。はい。

 芝居が終わって、某女優みっちーが舞台から降りてきて声をかけてくれました。初日を控える役者さんに、関係ない人間の想いをぶつけるわけにもいかないのですが、少しだけ、泣かせてもらいました。
 
 あと、某女優みっちーがこれをここまで読んだら、お願い。(こういうのは反則だけど)
 えと、皆さんに、すげえ、良い舞台だったよ。って伝えてください。俺の中で、特に、好きだなって思ったのは、お姉さんと、神父と、つばさくん。雰囲気があるよ。とっても。とつとつと、訴えてくるものがあった。うらやましかった。
 みっちーの安定感はすごいな。身体の使い方、変わってないな。間の取り方とかも、すげえ、巧いとこあった。でも俺、身内には厳しいこと言わないといけないので(?)あれやけど、どっか昔のままの動き方におさまってるとこある。うまく言えないんだったら言わなければいいと我ながらおもうんだけど、おせっかい許せ。
 緩急がとてもはっきりしてていいと思うのよ。みっちーの芝居。だからなんかな、一回観ただけの人間に言われたら心外だろうと思うけどな、なんかちょっとだけひっかかったから言っとくと、緩と急の間くらいの、もひとつスピードのステップを持ってもいいんじゃなかろうか、と勝手に思った次第さ。

 あー。思ったとおり以上にぐずぐずになりました。
 ほとんど眠りながら書きました。
 また書きたくなったらそこそこ書きます