道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

舞台と俺 その2

   舞台と俺 その1

 ええと、8月14日です。あれ。もうすぐじゃねえか大阪。というわけで書き上げなければいけないと思いました。
 今日は朝からネットカフェに来ています。夏休みの約束で、長男を連れてきています。といいつつ、一番俺が楽しんでいると思います。すげえ久々に来たんですが、ここは「行きたい」と普段思う場所ではないんですが、来てみるといろいろなことから開放されるような気分になれて、ゆったりできます。今日は日曜日なので3時間1000円という値段ですが、コストパフォーマンスは高いと思ってます。

 そんでエントリーが重くならないように、ヘッドフォンでAKBを聴きながら書いています。なんという幸せ。幸福感。それにしても高城さんはかわいい。すげえかわいい。しかし許せないのは、このキーボード、エンターキーが硬い。引っかかるような感じがして、小指でカタンと押し込んだときにぐっと踏ん張りやがる。これはだるい。エンターキーに小指が引っかかってる間にほかの指はすでに次のキーを押しているために、そのたびにBSで消してまた書いて・・・ 先日小倉先生がAが壊れてAだけソフトキーボードを使っていると仕事にならないとツイッターで嘆いてましたが、さすがにそれは仕事にならないと思います。さすがにそこまでではないですが、使いずらいというか、書きにくいです。後、「たかじょうさん」と入力変換したら鷹匠産になりやがったので、ディスクトレイにコーラをこぼしてやろうかとおもいました。まる。

 さて。そんなわけで俺は劇団に入りました。もちろんその劇団は現在はありません。10年以上前に解散しました。実質の活動期間は約3年ほどだったと思います。おそらく第1回〜第6回公演まで。そのうち俺は第2回〜第5回公演まで、2年間所属していましたので、まあ、そこそこのメンバーだったと言っていいと思っています。といっても全部で15人程度しかいませんでしたから。数名入れ替わった程度で。
 メンバーで学生は俺だけでした。年齢的にも一番下だったし。代表は、当時20代中盤の、男性でした。
 芝居の内容やタイトルについては特に触れません。それ自体はあまり俺にとっては意味のあるものではありませんから。

 今こうして思い出すと、劇団てこんなものなのか、っていうとてつもないがっかり感を常に抱いていたと思います。まあ、俺は自分のところを含めて2.3個の劇団の稽古にしか参加したことはありませんから語るほどでもないのですが、平たく言って「なんとなく想像していた世界とちがうんですけど・・・」ということの連続だったなーという。なんかこう、稽古っつっても公民館とかだし、特に決まりごととかあるわけでもないし、常にゆるーい空気が流れていくし、稽古してる時間より呑んでる時間のほうが長いし、台本ぜんぜんあがってこないし、台本に「(ここでおもろいギャグを一発)」とか無茶ブリ書いてあるし。
 俺にとって居心地いいことこの上なかったわけですよ。誤解のないように言っておきますが、世の中の多くの小劇団がそうだと言っているわけではなく、俺がたまたま所属していたところがそうだったというだけであり、無理やり何かで平均化したとしたら、その平均値を大きく下回るものだとは思います。

 ただなんか、スイッチみたいのがあって、みんなどこかで仕事したりして、稽古場である公民館の一室に入った瞬間に、普段の自分を脱ぎ捨てる儀式みたいなのがあって、そこを通貨した途端に、別人になる、みたいなところが俺はすげえ好きで、たとえば「おはよーございまーす」って言って部屋に入るその行為とか、なんか常におもろいことを言おうとしてつまらない奴とか、なんかわかりにくい物まねしながら入ってくる奴とかいて、大体においてそれは全員から無視されるわけなんですけど、本人はそれで満足して鼻の穴が膨らんでいるような、そういう行為。それがですね、許される空間ていうか、メンバーというか、関係というか。そういうのがすごい好きだったんですよ。たとえばそーだなー。まったく記憶にないので無理やり考えてみると、「好きに触って!お仕置きよ!」とか叫びながら部屋に入ってくるとかね。そういう低レベルな世界ですよ。そんで、それを聞いて不覚にも笑ってしまったりしたときのあのいやな空気とかそういのも含めてです。言った本人は言ったことで満足するので、別に笑が起きなかったり、つっこみがなかったりしても気にも留めないです。
 普通、役者さんていうか、芝居の稽古場って、普段はテンション低くて、稽古に入るときにぐあっと一気にテンションが上がる、かっこいい、みたいなイメージあるじゃないですか。俺そういう風に思ってて、またそうあるべきだとも思ってるんですけど、そうじゃない。そこにいるということでテンションがあがるという、変な場所だったわけです。ああ、もちろん一部の人間だけですよ。劇団員の名誉のために言っておくと、ほとんどのメンバーは普通の人間であって、一部の変態な人間がそうであって、目立っていたというだけです。俺はもちろん普通側の人間です。
 だから俺の記憶の中では、うちの劇団て、稽古中のほうがテンション低くて、稽古に該当しない人間たちのほうがテンション高いという、ああ、こういう風に考えるとすっげえうざってー人間の集まりだったわけですね。
 ええ。えらそうに言ってますが、俺は中でも一番年下だったんです。
 そして、代表はそのうざってー人間たちの中でやりずらそうに、いつも「すまん・・・」とか、「俺もつらいんや・・・」とか言いながら演出にあたっていました。

 少し芝居について書いてみると、俺は「1」でも書いたように、人前で何かをするのは好きなほうだったし、実際していたし、高校を卒業するくらいの時期から、自分でするんじゃなくて他人にネタを提供してやらせてそれを見て喜ぶというスタイルに変化もしていたので、そういう意味ではある程度の視野の広さと冷静さみたいなものは持っていたんじゃないかと思います。誰も言ってくれないので自分で言いました。
 だから、稽古するのは苦じゃないです。ただ、人に指導をされるという経験は皆無だったので、今思えば、演出家の言う意味はまったくわかっていなかったと思います。また、脚本を読む技術がなかったというか脚本を客席から読むというような想像力が当時はまったくなかったので、額面どおりに文字をセリフに直していただけのように思います。要するに「下手」でした。でも「好き」でした。芝居というか舞台は好きだったし、何よりうちの劇団の劇団員と、支えてくださるスタッフさんお手伝いさんの皆さんがとても素敵な人ばかりで、俺はその人たちに囲まれていてすげえ幸せでした。よく「これがずっと続けばいいのに」みたいな、AKBが唄いそうな内容の歌がありますが、まさにそういう空間でした。ええ。ブログトップの広告がAKBになっててうれしかったので無理やりAKBを絡めてみました。ごめんなさい。
 

  と、ここまで書いて息子が「マッサージチェアに行きたい」というのでペアシートからマッサージの席へ移動。そしたらマッサージの部屋にはネットがなくて、はじめの一歩読んできました。結局10時半ぐらいまでネットカフェで過ごしました。そんで帰宅して色々して、夕方になって続きを書いています。


 舞台監督さんに照明さん、音響さん、制作さんや、チラシの作成をしてくださった方、お手伝いさんも、とにかく皆さん素敵な人で、今こうしてその人たちの素敵さを考えると、とても俺なんかが生意気言っていい方々ではなかったんですけど、俺、若かったんで色々生意気なこと言ったと思います。すみませんすみません。あれだけ素敵な人が集まったのも代表の人柄なんだろうな、と思うとやっぱりすげえなあ、と思います。いつも女優陣に怒られ尻を叩かれていた人とは思えません。
 あ。ちなみにその代表は今でもご夫婦で芝居をされていて、関西の人気小劇団の代表として頑張ってます。ツイッターとか使ったりしながら、無理やり自分を奮い立たせて芝居やってる感じがひしひしとします。
 そんで、代表の幼馴染でありながらいつもお手伝いしてくださったスタッフさんがある日、代表について語ったことが印象的で、
 「いやー。あいつって、自分の弱いところ惜しげもなくさらすよね。人ってさ、自分の弱い部分とかは基本隠したがる、逆に強がるもんだけど、あいつは弱いところを隠さない。だから周りも放っておけないんだよね。守ってあげたkなるし、責められない。いい奴だよね。」
 なるほど。と思ったものです。確かに「弱そう」な人でした。そしてそれは15年経った今でも変わってないと思います。

 あ。一応言っておきますが、俺は彼のことを好きだし、尊敬しています。今でも。

 
 俺にとって、芝居の本番て、どんな意味があったのかなーってことは考えたことがあって、でも答はないです。もはや劇団にいた当時、おれにとっては「そこにいること」が目的であり、芝居をすることは手段にすらなっていたかもしれません。芝居がしたくて劇団に入ったくせに、いつの間にか、その集団に所属していること、そのメンバーと一緒にいることが楽しくなってしまって、芝居というものはその集団の存在目的が「芝居をするため」だったから芝居をしていた、みたいになっていたのかもしれません。極端に言うとほんとにそうだったかもしれません。
 たとえば当時劇団が解散するということになった際、他の劇団に所属して芝居を続けたかどうか、疑問です。俺の中では、あの劇団以外で芝居をするということは考え難かったです。当時は。もちろん、客演で使っていただいたりすることはありましたし、そういうのも凄く楽しい時間でしたが、どっかで「アノ劇団の、○○」という存在に自分のことを考えていました。

 んで、俺が芝居をしているからには本番はくるわけで、高校生の時に感じたあの緞帳の内側の、喜びが爆発したような瞬間は、劇団の芝居において感じることができたかというと、正直わかりません。すくなくともあんなにキラキラした瞬間ではなかったように思います。もちょっと現実的で、でもだからこそより具体的な、終演の瞬間だったかもしれません。一番違うのは、有料でお客さんに観てもらってた、という点でしょうね.高校演劇との違いは。どっちが上とかではなくて、事実として違っていた点はそこです。ある程度以上のものを作り上げる責任はあったでしょうし、最低限失敗してはいけない部分とかもあったと思います。それがなんだったのかは、経験が少なくてわかってませんが。考えたこともあまりないです。

 ある作品の本番の朝、俺は早朝の電車に一人乗り込みました。ガラガラの車内で、俺はすげえ緊張感に襲われました。ドキドキドキドキ。うまくできるだろうか。失敗しないだろうか。お客さんには評価してもらえるだろうか。と。
 それは「俺が」ではなくて「劇団として」という緊張感でした。確か第4回公演だったと思います。俺としては3回目の本公演。劇団や芝居というものにも慣れてきて欲が出てきたころでしょう。それまでは自分のことだけでせいいっぱいだったと思いますから。
 で、その緊張感は電車に乗っている間ずっと続いていたのですが、ある瞬間、その緊張というか不安が言葉になりました。
 「うまくできなかったらどうしよう。ウケなかったらどうしよう。そうだったら、『打ち上げが楽しくなくなっちゃうじゃないか。』」と・・・

 そう。俺は、打ち上げのために芝居をしていました。打ち上げは、日曜日の夜の公演が終わって劇場の片付けも終わってから居酒屋とかで始まります。役者スタッフお手伝いさん、30人とか、多いときで50人くらいの時もあるかもしれません。一次会から2次会、3次会、、、朝まで続く時もあります。楽しい時間です。とにかく「おっつかれさんでしたー! かんぱーい!」っていう、あの、最初の生ビールがうまくてうまくてうまくてたまりません。乾杯後はその公演の話で盛り上がった後、各所で演劇論が熱く交わされます。

 そうなんです。舞台とは、壊すために作るもの。打ち上げで酔っ払っている時にはもう、何ヶ月もかけて作り上げたものは跡形もなく壊されていて、人々の記憶の中にしか存在しないのです。そのすべて壊し終わった後のアノ時間が、とてつもなく楽しくて「あ〜。 俺はこのために芝居やってんだな〜。」って改めて感じる瞬間です。
 だから結局、俺にとっての芝居の価値観て、高校生の頃も、大阪で芝居してた頃も、そして今も、変わってないんですよ。


 ここまで書いておいてなんですが、最初にエントリ書き始めたときに何を書きたくて書き始めたのか忘れてしまいましたので、この辺で終わりたいと思います。

 まあ、そんな時間を過ごした皆さんが、今頃「大阪いきますねん。でんねん。」って言った時に、平日の夜でありながら「あれ。そうなんや。ほなちょっくら顔出すわ。」って仰ってくださることが、ほんとにほんとに嬉しいんですよ。ありがとうございます。皆さん。
 こんなところでなんなんですが、大好きです。