道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

時間軸がずれた

 昨日くらいからなんだかわかんないんですけど、俺の中の感覚が少しおかしい。おかしいという表現は適当ではないかな。それまでとちょっと違う。なんて言っていいのかわからなくて、まあ、良いか悪いかっていうことで言えば、良い方向に違っている感じ。

 今日あたりも仕事しながらなんだけどぼんやり考え事をしていた。あ。ところで今日もまたまとまってないのでひっちゃかめっちゃかになるか、電光石火で投げて終わるかどっちかです。
 とりあえず今日でっかく俺の中に存在しているのは、ここ何年かの嫁さんへの謝罪と反省。
 何年かっつーか結婚してからずっとだな。ずっと。
 ずっと、嫁さんは一人だったんじゃないかって思った。思っちゃったよ。
 丁度一年前に俺は前の会社を辞めて、だいぶ時間がとれるようになった。特にそれまでの6年間は、休みもほとんどなくて、たまの休みも俺はなにかに追われていて、しんどかったなあ。って思ってみたら、それは結局嫁さんにとっても同じことだし、嫁さんにしてみればなおさらのこと、原因も曖昧なら解消する手段も間接的にしか与えてもらえず、しかも俺は会社でのことはほとんど家で話したりしなかったので(ていうか、それってどこもそうじゃね?)、よくわからないまま、旦那のいない生活をさせられていたんだろうなーって。
 特に、次男を妊娠してからかな。いや。特にってことはないよな。ずっと大変だった。我慢してた。そしてそれは今もなお、そうなんだろうなってさ。
 
 うちは実家が近くて、まあ、前から言ってるようにいよいよ今月から同居するわけで、今まさに引越しを徐々にしている最中なので、そういうことも含めて振り返っている時期なんだろうと思うんだけどね。

 それにしても今日色々と振り返っていて、ここ何年かの、記憶があやふやだ。あまりない、と言ってもいい。休みの日、家族と、子供とどう過ごしていたかというような記憶がないんだよね。これはまずい。仕事が忙しいことを一方的に悪いことだと定義するつもりはないが、限度はあると思うし、適正な仕事量であったり、人材の確保であったり、最低限の給与とそれなりの手当てとか、そういうのが前提であるとは思うんだよ。「休みが少ないなんてことで泣き言を言うなんて」なんていう奴は完全に社畜だと思ってるけど、現実を見れば休みが少なくてもいいから仕事に就きたいってのはありふれてるのも知ってる。ただ、休みは休みとしてちゃんと休めなきゃだめだし、休むための仕事であって、仕事をするための休みでもなければだめ。そういうのってすごく大事だと思うんだよな。思ったんだよ。何年か仕事して。そういう点において考えた時に、前の会社の経営陣は、ほんとに糞だね。俺はあまり人のことを表立って悪く言うことは好きじゃないし嫌いなんだけど、あの人たち、いやあいつらのことはいくらでも悪く言える。ばーか。ばーか。
  
 実家でなにかがあるたびに俺が仕事でいないっていうのはどういうもんだったんだろうな。周りの子が土日に親と一緒にいるところで一度たりとも俺がいないってのはどんなもんだったんだろうな。どこかの家族が連休にどこか出かけたと聞いて、どんな気分だっただろうな。

 俺は仕事が忙しい、というか休めない、というか、休ませてもらえなかったという大義名分の上にあぐらをかいて、そこまでのことは考えてなかったと思う。いや。考えられなかったのか。余裕がなかったんだろうな。今思えば。なんかさー。頑張ってれば家族が幸せになれるとか思ってたこともあったりしたんだけどなー。俺が頑張ってればなんとかなるとか考えてた。でもそれは「頑張る」じゃなくて「我慢する」だったし、それ以上に、きっとその何倍も家族に我慢させてた。ほんとに頑張ってたのは俺じゃなくて嫁さんと子供たちだった。

 いまさらなんですがー。
 今日そんなことを思ったんです。はい。すみません。今更で。
 ただ、まあ、丁度一年なんで、一年てすげーって思った。確かにここんとこようやくいろんなことが軌道に乗り始めたというか、俺的に力を抜いて事を運べるようになってきたことがいくつかあるんだよね。そういう時期、なんだろな。と思った。
 だから、こういうときに、びびっちゃだめ。この時期にすると決断してきたことが現実に動き始めて、それが見事にはまってきているところだから、イケイケで進める。後ろ振り返って反省できたってことは、次は前見る。そうやって自分を後押ししてく。それが「自覚」ってやつだ。
 んまあ、ただ、家族にはちゃんと謝っておきたい。できるかね。まあ、その意識はあるということだけは書いておきました。はい。

 ところでそんなことを考えていながら思ったのは、今回の引越しは初めてちゃんと「戻る」んだよな。これまで大学入る時とか、大学卒業して静岡行くときとか、結婚して今の家に住ませてもらうとか、今まではずっと新しいところへ行ってた。それが、今回は、家を出てからちゃんと戻る。おそらく、これが最後になるんだろうな。今後まあ、3ヶ月とかそういう短期で見れば家を空けるケースもあるだろうけれど、居を移すということは、ないと思う。
 そういう意味でも振り返る旬だったのか。旬なのか。

 あ。旬って言葉使っちゃったよ。使わないで書こうと思ったのになあ。まあいいか。

 で、表題の時間軸がずれたってのは、なんとなく、今日のこういう感覚をもやもや抱いていて思ったこと。今までと違った角度から過去の自分を、殊更に周囲の人たちのことを眺めている自分がいるなあ〜って思ったので。今までとちょっと違う軸を過去に突き刺したような感覚だなってね。それだけです。