道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

感受性と普通と異常と生と死とまとまらない俺

  後半生に入りました(G.A.W)

 昨日このエントリを読んだ。多分けっこーあがってすぐのタイミングだったと思う。夜のこの時間、10時前後だったかなあ。googleリーダーにあがってたので読んだ。そんで思った。「あー。わかるような気がする。でもきっと俺にはわからない。でも、少しだけわかるんだと思う。」と思って、そんで「ああー。書きたいなー。」とか思ったんだけど、まとまってないのでだらだら書きます。

 それにしても飛行機うるせー。また米軍が大都会群馬を攻撃目標に見立てて演習してんのかこのヤロウ! とか思って、以前に書いた記事を遡ったら、丁度一年前だったんだ。一年前にも群馬は攻撃されていたようです。毎年この時期なのかなあ。なお、攻撃訓練だったかどうかのソースはないのでほんとかどうかは知りません。
  
  関連エントリ:群馬県で米軍飛行機のジェット音に苦情(道ログ)


 いつものことながら、nakamurabashiさんのエントリは俺になにかを気づかせてくれる。それが何かと言うことが俺の中で明確でないのでとても申し訳ないのだけれど、でも俺はそういうことを考えながら読むとか、読み終わって丸一日それについて考えていたりする時間がかなり貴重だったりするので、ありがたい。書いたnakamurabashiさんとしては、辺に曲解されて迷惑だろうな、とここでも申し訳なく思う。
 でもここは俺のブログなので、書きたいように書く。
 今日は箇条書きみたいになる。現時点での俺の気づきだから。

感受性

感受性の原風景は恐怖だと思う。決して、なにか素敵だったりするものじゃない。わからないことは怖い。怖いことには過敏になる。だいたいにおいて世界はわからないことだらけで、だから世界は怖い。そして世界ってのは、自分の皮膚の1ミリ先から始まっているようなものだ。

 感受性についてこう書いている。すみません敬語使いません。
 その前に「それが失われるのは怖かった。」と書いてあるから、その感受性が失われるのが、怖かったという意味だと思う。
 つまり普通側の人間から見ると、
 「なんでそんなに怖がるの? 普通わかるでしょ。そんなの。どうしてそんなにびくついているの? 何も不思議なことなんてないじゃない。」と言いたくなってしまうような、それが感受性だったのだろう。と、思った。

 それについて俺はどうだろうか。と思ったんだ。
 感受性って言うのが、つまりは何かを感じる心、何かから何かを受け取る感覚だとすると、俺は恐怖ではなかったかもしれないな。と思った。俺が一番感受性豊かだったなーと思えるのは、高校生になりたての頃だったと思う。そしてその頃の俺には、「世界」なんてものとは無縁だった。自分を取り巻く空間や、生活している地域なんかはあったけど、自分と自分以外という分け方で物事を見たことはなかったし、そんなこと、今まで考えたこともなかった。
 で、俺が個人的に感受性が豊かだったと思うのは、その頃で、中学を卒業して高校生になって、その夏休みくらいまでだったと思う。
 すごく感動したことがあった。ある泊りがけのイベントに参加して、まあ、「仲間」みたいなものとか、そういうキラキラした世界で、4日間とか一週間とか寝食を共にした友達と離れ離れになるのが悲しくて、または感極まって、わんわん泣いたようなことがある。
 べ、別に洗脳されていたわけじゃないと思う。詳しく話すともうちょっとわかりやすいかもしれないんだけど、逆にものすごく分かりにくいかもしれないのでやめる。ここで大切なのはそのイベントの中身や感動の質ではなくて、その後だから。
 その後、つまり高校一年生の冬のイベントくらいから、俺の中で意識が変わった。同じようなイベントに同じように楽しく参加して、同じように感動的なフィナーレを迎えたんだけど、俺は、泣かなかった。さほど感動もしなかった。その後も同様だった。次の春も、夏も、冬も、ずっと、俺がそういう場所で涙を流すというか、感動的な感情を浮かべることはなかった。

 急激に感受性が乏しくなったわけではないと思うし、一気に冷めたというわけでも飽きたわけでもないと思う。その手のイベントは大好きだったから。じゃあ何でかっていうと答えは意外なほど簡単で、俺は、参加者から、運営側の人間になっていたからだ。
 運営側の人間になるということは、行事を作って準備して、参加者を募集して、裏方的に行事を進行していく人間になることであるし、行事が終わったら撤収して反省会してまた次の行事やら日常の業務に戻らなければならないし、言ってしまえば、参加者を「感動させる」側でなければならなかった。
 フィナーレで参加者が泣いていれば「よしよし」とねぎらいながら、内心「しめしめ」と微笑むような強かさが必要なわけで、現実的には撤収時間が迫っているので「はいはい。泣いてないで帰って帰って。泣いてるくらいなら来年また笑顔でやってきてな。」とか言いながらも「大成功www」とかニヤニヤしてたりするわけで。そういうことから考えると、感動的なフィナーレで涙しちゃうような感受性は、かなり薄らいでいると言っていいと思う。
 余談だけど、運営側でも特に若いスタッフなんかだと、参加者と一緒になってめそめそしちゃってたりする奴がいて、ああいうの俺からすると失格。めそめそしててもちゃんと時間の経過がわかってて、きっちり時間内に追い返すことができる奴はまあ、半人前認定。
 こういう感覚っていうのはどうなんだろう。俺は俺以外の人間の感覚はわからないし、そういえばそういう運営側の人間同士で話し合ったこともないんだけど、自分達が運営している以外のイベントに参加しても、やはり参加者気分にはなりきれないものだろうか。少なくとも俺は、参加者気分にはそうそうなれなくて、ついつい運営側のことばかりが気になってしまう。
 一種の職業病とでも言うのだろうか。サービス業の人間がどこかに出かけた際に客になりきれない、どこかスタッフ側の視線で店内施設内をついつい見回してしまうのと同じようなものだろうか。そういえば、一度その上述の運営側の先輩が、
 「演劇でも音楽でも、ステージを見に行くと、必ず開演前にステージから客席側を眺めてしまうんや。照明の位置とか、仕掛けとかをついつい確認してしまう。悪い癖やな。」
 と言っていたな。そう考えると、みんなそうなんだろうなあ。

 感受性の話だった。つまり、一つのイベント、テーマパークなどを考えたときに、圧倒的に、参加者に比べ運営側の人間が少ないわけで、根っからの運営側の思考を持っている俺としては、そこでまず、一般的平均的な感受性とは少し違う感受性を持っているのかもしれないな、ということは確信的に思った。

 あ。あと、それについては、どっちが先なのかは分からないけど、俺が演劇、舞台好きなことも関係すると思う。同じように、舞台を作り上げる少数のものと、それを観る多数の者という関係。作品を観て楽しむ人と、作品を作って、それを観て貰うことで楽しむ人という違い。この感覚の違いもまた、同じように俺を平均点から遠ざける要素だと思う。

幼少期の記憶

 話はわき道にそれる。
 俺は小さい頃の記憶はあまりない。
 幼稚園の頃の記憶っていうと、全部つなぎ合わせても数分あるかないかだと思う。2年間幼稚園には通ったけど。
 小学校低学年の記憶も曖昧だ。小学校から中学校までは同じ顔ぶれだったので、誰がいたとか、先生の名前ぐらいは覚えているけど、具体的に何がどうしてどうなったっていうような記憶や、思い出っていうのは、ほんとに少ない。特に家で家族と何かをしたり、話したとかいう記憶は無いに等しい。友だちと外でサッカーしてたりとかは覚えてるか。
 高学年になると、学校でミニバスをやったり、ファミコンを買ったりしたこともあって、そこそこ覚えてる。でも家での記憶とかあんまりない。
 中学生のとき、爺さんが庭先で倒れた。脳梗塞だった。つまり俺が中学生になるまでじいさんは元気だったのだが、じいさんと何かを喋ったりした記憶はあまりない。喋ってないはずは無い。だが覚えていない。ばあさんと何かを喋ったりした記憶もあまりない。父親との記憶もあまり無い。母親との記憶もあまりない。

 それは俺が末っ子で、家の中ではあまり外のことを喋らなかったりしたせいなのかな。とか思っていた。
 上に姉が二人いたので、学校でのことを話したり、何か騒いだりするのは姉達の仕事で、俺はそういうのを観ながら、小さいなりに冷めていたんじゃないのか。とか思ってた。学校ではけっこー、目立ちたがり屋だったし。
 ある時小学校の家庭訪問で、母親が
 「ウチの息子はおとなしくて、学校でいじめられたりとかしてないかって、心配なんです。」
 とか言ったらしいんだが、それを聞いた担任は目を丸くして
 「いや。あのお母さん、大きな勘違いです。大丈夫です。というか、お宅の息子さんうるさいです。」
 とか言ったらしくて、母親はとても恥ずかしい思いをしたというエピソードがあるくらいだったし。

 ・・・
 と言うようなことを以前嫁さんに言っていたら
 「幸せだったんだよ。かわいがられてほいほいされて何不自由なく育ったから、当たり前すぎて覚えてないんだよ。」
 と、軽く言ってのけた。普段なら「またそんな根拠のないことを・・・」と反論したいところだが、それには十分説得力があった。
 嫁さんは、物心付く以前からの記憶が、かなり鮮明に残っている。幼稚園に上がる前、幼稚園の頃の記憶、小学校低学年の記憶、高学年、中学校、高校・・・ かなり詳細に、覚えているのだ。そして嫁さんはそこそこ、というかけっこーハードな幼少期を過ごしていた。

 そういうものなのかもしれない。と思った。

ふつう、ということ

 もうすでにほんとーに意味不明に陥ってきた。ドンマイ。

俺は「ふつう」が怖い。ふつうというのは数の暴力だ。なので、この世の片隅でおかしいこと考えながら生きてる人なんかは、その洪水のような流れに対して、抵抗しようにも実に脆弱だ。

 ふつうというのが数の「暴力」というのはなるほど言いえて妙だなと思った。確かに俺も悩まされている。ただ、俺が感じているのは攻撃的とまでは言えない力で、圧倒的多数を占める塩梅、程度に思っていた。
 ただ、俺はある時から「ふつう」という言葉が嫌いだ。
 これはどういう人たちに共感してもらえるんだろうか。メーカー技術対応とか? クレーム処理する人とかかな?
 ま、早い話が俺がケータイ屋だったりしたので、その時に散々この「ふつう」に振り回されたからだ。

 つまり、「ふつーに使ってただけで壊れたんだけど。」ってやつだ。
 ケータイの使い方で「ふつーの使い方」ってどんなんだろう。どこまでがふつうで、どこまでが異常なんだろう。
 客観的にというか正しくは「取扱説明書に記載の通りの使い方」なんだけど、たちが悪いことにこの場合の指す「ふつう」は、圧倒的大多数ではなく、一個人的な見解によるところの「ふつう」でしかないところだ。もちろん、「お客様、それは普通ではありませんよ。」なんて言いたくても言えないわけで、ほんとにあれは苦痛だ。
 まあ、この話もながくなるのでやめるけど、とにかく俺は、アレ以来「ふつう」という言葉は嫌いだ。

 話がまたそれた。
 で、その大多数から構成される「ふつう」について続いて

その一方で、俺は「ふつう」というものを嘲りたい。「おまえたちは、どこに疑問を捨ててきたのだ」と詰問したい。「べき」という言葉が嫌いだ。この世界にあらかじめルールが存在していて、それに盲従するのがまともな人間である、という姿勢が嫌いだ。人間は、だれでも一度は荒野に立ったのではないか。徒手空拳で巨大なものを相手に空回りする、悲壮で、かつはばからしく、無駄でさえあるような覚悟を持って立ち尽くしたことがあるのではないか。その場所に「べき」はない。

 しかしそう思う俺は「ふつう」というものに対して、尊敬に近い感情も抱いている。この世界を継続させるのは「ふつうの人々」だ。自分と世界のあいだに巨大な断絶があることを、忘れている、受け入れている、自覚しない、気づかない、ような人々だ。自分が人間の特異点であることを知らない人々だ。

 俺もけっこー昔から自分のことを「普通じゃない」とかこっそり思っている人間で、それは決して「特別な人間」というような意味ではなくて「異常な人間」だと思えば正しいと思う。それはつまり、大多数の人たちと物事の考え方感じ方にズレが生じることが比較的多い、と言うような意味だ。
 今日あたり思いつくことで言えば「人前に出ることが恥ずかしくない」とかっていうことがあるかな。けっこー、特に小中学生男子とかだと、恥ずかしかったり、他人の目が気になってやりたくても躊躇しちゃったりする子の方が多いと思うんだけど、俺は別に平気だった。
 例えば、国語の本読みとか、率先してやりたかったし、合唱コンクールとかで男子パートの練習とかは、先頭になってというか、ほぼ一人でやっていた。学級委員とか、そういうのも、別に嫌じゃなかった。
 勘違いされたくないなって思うのは、「人前に出てなにかをやりたい」んじゃなくて「人前でなにかをやることを恥ずかしいとは思わない。」ということ。俺が恥ずかしいと思うのは、指名されてやったり、決まりごととしてやらなければならないことがあったりしたときに、恥ずかしがっていつまでも前に出てやろうとしなかったり、ふざけてだらだらとやってしまったりすることの方だ。そっちのほうがよっぽど恥ずかしいと思う。
 俺はそういう感覚を持っている。
 自ら進んでやりたいとは思わないが、誰かがやらなければならなくて自分にできることであれば引き受けるし、やれと命じられたことであれば、恥ずかしくない程度にはきっちり仕上げたいという、そういう意識を持ち合わせている。まあ、それが上手か下手かっていうことになると、また話は変わってしまうんだけどね。

 まあ、例に挙げるにはちとちっさすぎる事例だけどさー。
 そして、nakamurabashiさんのエントリは以下の分を導き出す。
 俺はけっこーそういう「異常」な属性を「斜に構えた」的な表現をしてきたんだけどなー。
 今回のエントリの中で俺が一番「やられた」と思った部分だ。
 ここについてはもうほんと、ほぼ完全に同意。前提になる条件は違うけれど、問いと答えについては、そのままをお借りしたい。いやほんとに、すごい。

 おまえはなんの権利を持って、それらを俯瞰する立場に自分を置くことができるのだ、という問いは当然あっていい。

 その問いに対する答えはこうだ。気がついたらその場所にいた。いまさら向こうには行けない。

生きることと死ぬこと

 先日どこかでぽっとつぶやいた。

 「すべての人間に例外なく平等に一度だけ訪れるものが、死。極論すると、人は死ぬために生きているという言い方もできる。どう死んだかってのは、どう生きたかっていうことだし、どう死ぬかってことは、どう生きるかってこと。」

 俺は信心深い家に産まれ育っておかげなのかせいなのか、25をすぎたあたりから死ぬことが恐怖ではなくなった。それは、自分が死ぬこともそうだし、だれかが死ぬと言うことも、恐怖と言う概念は当てはまらないと思う。頭の中では。

 自分が死ぬことに関しては、恐怖は無いが、まだ死にたくは無い。家族がいるからだ。少なくとも子供達がそこそこ大きくなるまでは、元気でいさせてもらいたいと思っている。まあ、それを家族が求めているかどうかはまた別問題として、俺は、やはり、貧乏でも何でも家族を守っていたい。それだけが俺の存在意義であるし、存在価値だと思うし。だから、非常に個人的な感覚として、自分がたとえば、植物状態のようになってしまったりしたら、いわゆる延命治療とかは一切しないでほしいと思っている。

 自分以外の誰かが死んでしまうことについても、怖さは無い。と思う。
 ただ、現実的な問題として、俺が死んでしまったり、家族の誰かが死んでしまったりすると、色々と大変なので、そういうことを考え始めると、やっぱりなるべく健康でみんな生きていてもらいたいし、年齢が高い順に無事に死んでいくのがいいと思っている。

 俺が死について考えると、どうしても生きていることの恐怖みたいなものを想像してしまうんだよね。
 生きていることというか、うーん、痛みみたいなものの恐怖。
 俺は、痛みに対して非常に臆病だ。注射の針を刺されるところを見られないし、テレビの衝撃映像とかで再現VTRとかでも、痛そうな映像は正視できない。鳥肌が立つと言うか、ちんちんの先がむずむずして爆発しそうになる。怖い。すごく怖い。
 生きている限り、痛みという可能性は常に付いて回る。たとえば事故や、事件に巻き込まれたときに、大きな怪我を負ってしまったりしたら、すごく痛いと思う。それが怖い。今でこそよほどの環境でなければ、警察や消防に連絡してもらって、病院で手当てをしてもらうことによって痛みから解放されるかもしれないけど、じゃあ、それが正常じゃない環境だったら?
 たとえば大規模災害時、狂気に満ちた人間の無差別な犯行、深夜の交通事故。。。 決してあり得ない話じゃない。そんな時、痛みを抱えたままそこで途方も無い時間を過ごさなければならないのか。死んでしまうかもしれない時間なのか。それは一体どんな。。。。
 とか考える。この恐怖が俺を支配する。
 さらに、家族がその状態だったら? 俺の家族が大規模災害に巻き込まれて、何者かに襲われて、血を流して倒れていたら。。。 そういう想像はものすごく怖い。怖いけどやめられない。なぜかと言えば、ばかげた想像かもしれないが、その想像が現実にならない保証など、どこにもないからだ。

 あ。かといって、死んでしまえばそんなこと心配しなくてすむや。みたいな楽観の仕方はしません。ご安心を。

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 ええと、まさかここまでとっちらかってまとまらないとは思っていなくて、もはや軌道修正不能です。
 なので、以上です。

 あ。あと、nakamurabashiさんが草生やしてるの初めて見た気がするwww です。気のせいかな