道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

大相撲八百長報道について・2

 大相撲で八百長はいけないことなのか(道ログ)の続編というか補足です。

 町村先生のところから
  sumo八百長騒動、何がいけないことなのか?(matimulog) より

今回、明らかになったことは、八百長が行われていた事実ではなく、これまで八百長疑惑で語られてきたことが事実だったということなのである。そしてそれは風評被害だというのは、言い訳にしてもよく分からない言い分ではないか。

ちなみに、裁判で八百長がなかったことが認められたというのは正しくない。裁判で認められたのは、八百長を報じたメディアが、真実または真実と信じるについて相当の理由があったことを証明できなかったというにすぎず、八百長がなかったことを積極的に認定したわけではないのである。

今回の騒動で、八百長そのものを問題とするのであれば、やるべき事は過去にさかのぼっての検討だし、それは確率論的な分析も考慮すべきだ。
例えば以下の本に示されているような、7勝7敗力士が千秋楽に異常に勝率が高く、しかもその千秋楽に対戦して勝った相手との翌場所の対戦成績はひどく悪いという事実とか。

 詳しくはリンク先全文を読んでもらいたいのだけれど、「裁判で八百長がなかったことが認められたというのは正しくない。裁判で認められたのは、八百長を報じたメディアが、真実または真実と信じるについて相当の理由があったことを証明できなかったというにすぎず、八百長がなかったことを積極的に認定したわけではない」という、過去の八百長疑惑の裁判についての言及が興味深い。

 まあ、今現在俺がどうしてこんなに八百長相撲のことを書いているかというと、朝からテレビがついていて、愛知の選挙よりどんな事件事故報道より、このことが長々しく取り上げられているからで、いい加減「うざい」から。
 今もフジテレビの番組が、相撲に詳しいというベテラン記者をスタジオに招いて、八百長の背景には「十両になると月給が103万円もらえて幕下は0円だから。」とか「十両になると付け人が付く。幕下に落ちれば後輩の付け人にならなくてはならない。」とか言っているから。
 で、ここでもやはり「そもそも八百長はいけないことなのか。」みたいなことは言われていないわけでもなく、石原都知事が「八百長あって当たり前じゃん。」と言ったとか、「金銭が絡んではいけないのでは。」とか「公益法人だから。」とか「プロだから。」とかなんとか言う。
 で、他局では識者と思われるおばさんが「そろそろ興行としてなのかプロスポーツとしてなのかの立ち位置をはっきりさせる時期なのかもしれない。」とか言う。

 まず、相撲がスポーツかどうかという点については、スポーツとしての一面はあると思う。鍛えられた肉体であったり、筋力であったりすると、相当なものであろうと思うし、力士をスポーツ選手と呼ぶことにあまり違和感は感じられない。
 が、相撲が格闘技であるかと問われれば、相当に違和感がある。他の格闘技と比べて、圧倒的に違う点があって、それはやはり階級制が敷かれていないことだと思う。「柔よく剛を制す」の柔道でさえ、国内の無差別級を除けば、細かな階級制の下、競技が行われている。しかも今や格闘技柔道というよりは、スポーツ「JUDO」であるのに、だ。また、ボクシングにしても、総合格闘技と呼ばれるものにしても、厳密に体重による階級制に管理されている。階級制によらないものといえば、存在そのものが台本通りな「ショウ」として認識されているプロレスが最も有名だと思う。大相撲は、世間で言う格闘技よりは、すでにルールからして「ショウ」寄りと言ってもいいわけだ。
 また、公益法人であって八百長けしからん、という意見が大きい。「公益法人」であることが批判の後ろ盾になっているわけだ。では、公益法人たる大相撲の取り組みは、真剣勝負でなければならないのか。
ちょっと財団法人日本相撲協会のホームページを見てみた。

■目的と運営
財団法人日本相撲協会は、公益法人として自らの寄附行為とその細則により運営されています。
我が国固有の国技である相撲道を研究し、相撲の技術を練磨、その指導普及を図るとともに、これに必要な施設を運営しながら、相撲道の維持発展と国民の心身の向上に寄与することを目的としています。なお、協会の運営は理事会の決議により決定いたします
(「組織概要」ページより)

 相撲道を研究、相撲の技術を練磨して、「相撲道の維持発展と国民の心身の向上に寄与」することが目的であるので、結果として国民の心身が向上するのであれば、真剣勝負である必要がないとも言えないことはないんじゃないか、とも思えるんだけどな。まあ、結局のところ「歌舞伎を見て感動して毎日が楽しくなって健康になった。」とかいうのと同じようなことで、「興行としての側面」が強く打ち出されればいいじゃない。
 相撲の勝敗って明確で、反則とかはぬきにすれば、土俵から出るか、倒れたら負け。見てわかり易いってのも、年配の方に支持されている理由のひとつでもあると思う。
 けれど、その番付の決定や、取組みの決め方などは、曖昧なような気がする。
 まず、横綱になれるかどうかは、諮問機関である横綱審議委員会によるところが大きいみたいだし、番付についても

日本相撲協会は現在、1年間に6回の本場所(一月場所、三月場所、五月場所、七月場所、九月場所、十一月場所)を挙行しており、力士の成績によって、その昇降を番附として発表しております。
番附編成会議は、本場所終了後3日以内に開催し、横綱大関新十両は直ちに発表しております。他は次回の本場所前に定められる新番附発表日に発表します。
(相撲協会HP)

 ということで、明確な規定というよりは、会議で決まるみたいだし、なにより取組についてが

「取組」が決まるのは。相撲を取る前日(相撲協会HP)によると、

 取組は、審判部が本場所の初日と2日目は前々日に、場所中は取組の前日に、番付の上位の力士から順に決めていく。昭和46年(1971)からは、平幕の力士でも大きく勝ち越している場合には、大関横綱とも対戦するようになった。
 その結果、平幕優勝がきわめてむずかしいものとなった。現在は、同じ部屋の力士は対戦しない。兄弟での取組もない。ただし、優勝決定戦は、たとえ兄弟、同部屋でも対戦する。

 だそうなので、少なくとも場所中に場所を面白く盛り上げるための決定がなされているわけで、場所全体の盛り上がりももちろん、一力士が勝ち越すか負け越すかをかけた取組も、あらかじめ決められた対戦ではなく、前日までの成績などによって、決められているわけである。

 そういうことが前提として行われているわけだから、意図的に勝ち負けが左右されていることがあったとしても、大きな問題ではないように思うのだ。
 もちろん、力士単位とか、部屋単位とか、もちろん協会ぐるみでの「八百長」があってはいけないと思うのだが、「相撲道を維持発展させ、国民の心身の向上に寄与すべく、場所全体を盛り上げるために勝敗も含めた興行を行う場合もある。」と言われてしまえば、返す言葉がない。

 今回問題になっている、いや、されているのは、いかにも力士による八百長問題のようなのだが、であるならば、話が大幅に戻って、町村先生の仰る「今回の騒動で、八百長そのものを問題とするのであれば、やるべき事は過去にさかのぼっての検討だし、それは確率論的な分析も考慮すべきだ」と思う。
 というか、テレビだって報道機関としての一面が少なくともあるのであれば、警察から漏れてきたメールとか、協会の記者会見とか、過去の週刊誌とか裁判の内容とかではなくて、ちゃんと自分で取材してこい。と言いたいのだ。自分たちだって、そういう八百長疑惑にまみれた大相撲の映像をNHKから借りてきて、ニュースでバンバン流して視聴率を稼いできたわけなのだから、当事者であることは明らかだろうに、どこかで被害者面、または第三者面をしているのが腹立たしい。

 重ねて町村先生の発言をお借りすると、「裁判で八百長がなかったことが認められたというのは正しくない。裁判で認められたのは、八百長を報じたメディアが、真実または真実と信じるについて相当の理由があったことを証明できなかったというにすぎず、八百長がなかったことを積極的に認定したわけではないのである。」というわけだから、八百長八百長と公共の電波で騒ぐのであれば、テレビという影響力の大きなメディアとして、過去のそういった週刊誌報道などが真実であったのではないかという視点も持った上で、追跡取材を行うべきだと思うのだ。司法の場においては「報道が真実であるとは認められない」と判断されたが、メディアの場では追求することが可能ではないか。
 八百長報道が裁判で認められなかったことを受け、毎日ニュースで相撲を取り上げ続けたテレビや新聞には「相撲には八百長はない」という主張が込められていたはずだし、それが八百長が明らかになるや掌を返して追求を始めるというのは自分たちの無能っぷりを露呈することでしかない。ということじゃないのか? 自分たちに反省材料がないと思っているのかね。

 なんだかまだまだ言い足りないのだけれど、長くなったので、最後に財団法人 全日本柔道連盟ホームページを紹介しておく。
 細かいことはわからないのだけれど、競技、スポーツとして確立されている柔道連盟を見てみると、相撲道と目指しているものが違うのではないかなあ、という気がしてくる。
 見えないなにかと闘っている相撲道とは違い、現実的に柔道をどう発展させていくか、が明確な目的であるように思える。

これからの柔道の全国的な普及発展を図るために、幼年期から老年期までの幅広い層における柔道の振興を目的として、「少年柔道」、「生涯柔道」、「障害者柔道」といった様々な面をとらえて、総合的な観点から諸事業を展開していく。
(柔道連盟HPより、総務委員会のページから引用)