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群馬県在住のおじさんがブログを書く

大相撲で八百長はいけないことなのか

 今日あたりから急に大相撲の八百長がどうのこうのってニュースでにぎわってます。
 それについて協会は日曜日にはなんらかの発表をするってことらしい。

 事の発端は、野球賭博に関して捜査をしていた警察が、携帯電話のデータの復元を試みたところ、どうやら複数の力士が八百長に関っていると思しきメールがわんさか出てきたと。
 それ自体非常にできすぎた話だと思わなくもないし、そんな、捜査途中に出てきた情報を捜査機関からどのような意図でどのようなルートで公表されてきたのかも気になる。
 相撲協会の皆さんは「申し訳ない」「由々しき事態」だと危機感が募り、「俺たちは関係ない。」という意思がありありと見て取れる。

 そう。今回明らかになりそうな八百長は、力士たちが勝手にやったことなのだ。星の貸し借りだなんだと、そういうことは、一部の力士がそれぞれの責任において相撲を穢したことなのだ。と言いたいようなんである。
 もちろん、携帯電話がなかった頃力士だった人たちが八百長をしていたかどうかは、現在証拠はない。だから昔力士だった人たちは高みの見物ができるとも言える。

 これは野球賭博の騒動の時も思ったんだけど、どうして「今現在やってた人たち」だけが悪くて、処罰の対象になるんだろう。普通に考えたら、根の深そうな問題だし、今回捕まった人たちがある日突然始めたというよりは、それ以前から行われていたと考える方が自然なように思う。だけど、それ以前はそんなことなかったということも含めて、その辺のことが大きく取り扱われないってのは疑問だ。

 さて。八百長なのだけれど、大相撲は八百長をしてはいけないのだろうか。
 俺は、単純に八百長=悪だとは思っていない。大相撲においてはね。
 ただ、今回はそれが賭博の対象になっているかもしれないから、それは悪いことだとか、公益法人としての認可を受けているのだから、真剣勝負をしないのは悪いことだというならなるほどと思う。

 しかし相撲というものの成り立ちに、すくなくとも神事としての一面があるのであれば、「ここはこちらが勝つべき」とか「そこではこちらが負けると良いことがある」というような取り組みがあっていいと思っている。そこにどんな意味合いが含まれているのかってのは相撲協会が考えればいいわけで、つまりそれは、奉納相撲として、神話を体現するような一面があってもいいんじゃないかと思うのだ。

 俺の個人的な意見はともかく、今回の問題は、八百長だから悪いのか、やっちゃいけない八百長だったから悪いのか、そのへんをはっきりさせた方がいいんじゃないのかな、と思ったんだよね。大相撲という世界として、どんな理由であれ勝敗を意図的に左右するようないわゆる「八百長」があることは、断じて許されるものではないというのであれば、それこそ大問題に発展するんだと思うけどな。

2/8追記 関連エントリ
 大相撲八百長報道について・2(道ログ)