道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

2/1、2/2のゲル閣下


  予算委員会質疑を終えて(石破しげるブログ・2/1)
  質疑の感想、続き。(石破しげるブログ・2/2)

 私は民主党内閣には全く賛同しませんが、今の内閣が続く限り、少しでもまともな政策を実行するならばこれを支援する責任があると思ってきました。
 しかし、何を指摘しても全くこれに応えようとしないのなら、もはやどうしようもありません。
 
 あらゆる手段を行使し、一日も早く総選挙に持ち込む、考えてみればこれが本来の野党の姿です。
 新政権を担う際の自民党の方針も、ほとんど固まりつつありますが、この作業を一層加速させてまいります。

 私が「何とも言いようのない徒労感」を感じたのは、総理をはじめとする政府の諸君が「とにかく何とか委員会を乗り切ればいい」としか考えていないことがありありと伝わってきたからです。
 わけの分からない答弁が目立つのは、時間を消化することばかり考えていて、熟議、というスローガンとは裏腹に、議論をしようという気が全くないからなのです。
 
 このようなやり方が罷り通るのは、衆議院予算委員会のルールに問題があるからだと考えます。
 衆議院予算委員会で「質問者の持ち時間一時間」というのは「質問と答弁を併せた時間が一時間」ということでこれを「往復一時間方式」と言います。
 不覚にも閣僚になって初めて知ったのですが、参議院で「持ち時間一時間」というのは「質問の時間だけで一時間」ということで、これを「片道一時間方式」と言います。つまり、衆議院では極端な話、答弁者がどうでもいい話を延々としていれば、質問者の時間はあっという間に無くなってしまうのに対し、参議院ではこのやり方が通用せず、いくら意味のない答弁を延々としても全体の質疑時間が延びるだけなのです。
 衆議院予算委員会で質問者が「総理はきちんと問いに答えろ!」と苛立ったり、「時間がありませんので次の質問に移ります」などと、なんとなく追及不十分の印象を与えてしまうのはこの所為です。

 国会の質疑で与えられた時間は政府のものでも質問者のものでもなく、主権者である国民のものなのに、今の政府の閣僚たちには全くその意識は無く、本来中立公平であらねばならない委員長はあの有様です。

 与謝野氏が直筆でサインし、花押を記されたこの誓約書を大きく拡大してパネルにして示さなかったこと(ご丁寧にも、この誓約書には「この誓約に反した場合はこの誓約書を公表されても構いません」と書かれています)、公認料に言及しなかったことは、自民党の良識、若しくは惻隠の情の発露というべきものでしょう。
 稲田朋美議員がいみじくも指摘した通り、「信なくば立たず。どんなに正しいことを言っても、信用の無い人が言うのなら意味がない」ということです。