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道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

Ipadについて語る。「小学校の授業にはIpad」

 今日ぼーっとIpadの存在意義について考えてた。発売時はすげえメディアに取り上げられてたけど、その後おとなしくなったIpad。大都会群馬でも実際に使ってる人を見たことがない。電気屋で見たぐらいだ。
 Ipadは終わったのか? それとも始まってないのか?

 それは、とあるレスを見たときに思った。
 「唖の人だと思うが、書店でIpadで文章を作成して店員に在庫の確認してもらってた。時代の最先端を感じた。」
 という内容だった。うろ覚えだけど。
 あと、
 「テレビの撮影現場で、ディレクターがカンペをスケッチブックではなくてIpadを利用してたのを見た。」
 というような内容のレスも見た。

 それを見たときに俺の身体をなんだか衝撃が走ったような気がした。そして思った。

 「Ipadとは、パソコンのような何かだと思ってたけど、そうじゃない。紙とペンの代わりになり得るものだ! これは歴史的大発明だったのだ!」

 と。
 それまでの俺のIpadの印象はというと、「やっぱりちょっと足りない」だった。ランニングコストをかけてまで、持つ価値が感じられなかった。なぜかといえば、やっぱりそれは、文字入力がネックだった。
 俺にとってネットにつなぐということは、色々なサイトを見るということと同等にかそれ以上にか、「文字を入力する。文章を書く。」ということでもある。
 18の頃から慣れ親しんだこのQWERTY配列のキーボードではないと、文字入力がスムーズにできない。テンキーではダメだ。となると、その時点でスマホは俺にとって選択肢から完全に外れる。考えながら文字を入力するためには、このキーボードでなければならないのだ。そういう意味では、Ipadは選択肢に含まれたが、電器店でちょっと触ってみただけの感覚ながら、やはりキーボードをたたくというほどの感覚にはならなかった。もちろんテンキーよりははるかにやりやすかったが、長文を入力するような気にはなれないと思った。
 また、スマホがまったく選択肢に入ってこない理由は、「画面が小さい。」ことが絶対的に影響している。画面が小さいということは一度に表示される情報量が圧倒的に少ない。ケータイの画面も同様のことが言えるのだが、あれではまったくネットにつないでいる意味がない。むしろ、子供たちがほいほいワンクリック詐欺とかに誘導される原因となっているのではないか。という、頑なな思いがそこにはあった。
 だからとにかく俺にはスマホという選択肢はない。スマホいらない。ガラケー万歳。でもIpadほしい。と思ったんだよー。思ったんだよー。

 なにがいいのかって、色々考えてみたんだけど、
 「いつでもどこでも、すぐに使える。」
 ってのがいい! なあと思った。家とかでパソコン起動してブラウザ開いてうんぬんかんぬんして・・・ っていうのっていちいちめんどい。それがIpadなら
 「あ。あれなんだっけ。ほいipadほい検索ほいほいほい」
 みたいな感じで使えるに違いない!
 ネックになってた長文入力はどうすんの? ってそんなん、落合弁護士がipad用のスタンドとワイヤレスキーボードがあるって言ってた。家ではスタンドに立ててキーボードで入力し、外ではやや不便だが画面のキーボードを使う。これなら完璧じゃないか。すごいぞipad! 
 嫁さんがIpad買ってくれたらケータイ通話専用にしていいわ。ezweb解約していいわ。ケータイって家族以外にほとんど使わないし、Eメールなんてマックのクーポンぐらいしかないしな。そしたら安心ケータイサポート付けててもプランSS、1295円でケータイ間に合うわ。ってぐらいにまで思ったのが今日一日。

 じゃあ、なんでそんなにIpadすげーって思ったのかってのは、「小学校の授業に使え」と思ったからだ。最初の方で「紙とペンにとって代わる大発明じゃないの?」って思ったのは、この小学校のおかげだ。

 つまり、教科書、ノート、テスト、宿題、プリント、その他諸々・・・ Ipadで全部こと足りるジャン! って思った。
 教科書はまあ、Ipadのウリそのものの電子書籍。ノートはまあ、ペンタブとかとして使え。宿題も、先生が教壇から宿題の内容とかを配信する。生徒のIpadに入る。次の日、やってきた宿題を先生に送信しておしまい。テストも先生がIpadで作って、テストの時間になったら教室で配信。生徒が解く。そしたら特に計算問題とか選択問題とかは自動で採点ができる。プリントだって、いちいち先生が印刷して教室で配るより、パソコンで作成したものをそのまま生徒のIpadに送信する。紙代、インク代も節約になる。手間も減る。
 音楽の時間になったらリコーダーの練習ということで、Ipadが模範演奏してくれたり、リズムをとりながら楽譜が画面を流れていく。

 Q? 問題はまず費用的なものだけど、毎年教科書を何千冊と買う経費を思ったら、一人に一台Ipadを持たせた方がきっと安い。保険に入れとけ。絶対壊したりするやついるから。
 
 Q? Ipad忘れたら一日授業受けられないの? いやいやいや。そんなん教科書とか全部クラウドしたらいいやん。学校にサーバーおいといて、教科書情報とか、なんなら個人個人でIDとパスでノートの内容もクラウドしておけるようにしたらいい。その方が自宅に持ち帰らなくていいからむしろ安心かもしれない。
 
 Q? 学校でIpadとか、ネットにつながるのは不安。 いやいやいや。「学校はSIM禁止」にしたらいいやん。学校での、いわゆる「校内LAN」専用。インターネットにはつながりません。

 Q? やっぱり書いたりとか、読んだりとか教育には必要。 読め。書け。漢字練習帳やれ。なにも今やってることを全部やめろとは言わない。


 これってすげえメリットの宝庫だよね。今の現状の無駄が相当排除できて、さらに余りあるメリットがある。
 こないだ授業参観に行ってきたんだけど、このご時世に小学校3年生は三角定規とか使ってるわけ。先生も巨大な三角定規つかって黒板に直角とか「角」とか書いてるわけ。すげえギャップを感じた。
 あえてネットとか情報から子供を遠ざける必要がどこにあるのか、と。
 時代は変わりました進化しました便利になりました。でも、小学生の教育は旧時代のままの方法で行いますってのは、ちょっと無理があるよな。DSとかPSPとかPS3とか普通に使ってる子供たちに、三角定規だのコンパスだのってのは、使い方を教えるだけならまだしも、それを前提にした問題はきつい。と思った。書道だって、確かに文化としては素晴らしいと思うし、字を綺麗に書くということについては必須だと思うけど、じゃあ大人になって筆で綺麗な字が書けることがどれほど大事なことなんですかって言われれば、正直今の子供たちが大人になった時点では、ほとんど必要がないわな。
 だったら、ほかのことを覚えた方がいいというのも一つの真理だと思うよ。

 
 今のところ俺が最大の問題だと思ってるのは「充電」ね。
 サスガに一日は持たないし、「教科書の代わりに使う」となればほぼ一日中使うわけだから、常に充電できるような状態が理想。最初は、教室の後ろにあるロッカースペースを充電スペースとして一人一ブース持てばいい。と思ったんだけど、それだと授業中使えないしな。そうなると、やっぱり各自の机に電力供給の設備が必要になる。それはかなりの大掛かりな工事が必要になりそうだと。

 まあ、以上が今日思った「小学校こそIpad」なんだけど、同時に「じゃあ、それ以外でもIpad使えるんじゃねえ?」 って考えてみたんだけど、それはそれで難しかった。せいぜい中学校まで。

 ってのは、小学校とか中学校って、義務教育だから、ある一定の人間がほぼ確実に6年間とか3年間とかを、ほぼ同じ設備を利用して過ごすという、特別な場所なんだよね。
 たとえばこれが市役所とか企業とかで使おうと思った場合、どうしても出入りする人が様々だし環境も様々だし、なにより外部との取引などの連絡が必要になって、システムやファイルやらを統一することが困難だよね。そうであると、やっぱり相変わらずのwindows形式でのなんかのやり取りとか、pdfがどうのこうのになって、なかなかシステムそのものを新しくすることができない。
 小学校とかであれば、児童たちは外部とのやり取りをすることは基本必要ないわけだから、新しいシステムだろうがなんだろうが、ぶっちゃけ関係ない。

 なにより、タッチ式なので、子供にも直感的な操作ができるというメリットもある。

 ということで、おそらく開発当初から散々言われているであろうことを、今更ながらに「ハッ!」と思ったので言ってみた。