道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

会社に忠誠心誓わないと就職できないということの本質

  就活に必要なのは譲歩−阪上 健生

皆が口をそろえて就職氷河期や不景気というので、学生達はなんとなく自分が就職できない理由を外に向いてしまっているようだが、一番の問題は内側にあると思った方がよいかもしれません。自分が卒業または卒業見込みの大学は一流大学なのか?もしそうでないのであるなら一流大学出身者しか参加できない大企業への就職はあきらめるべきでしょう。そして、自分がどれくらい企業に譲歩できるかを考えてみると良いかもしれません。

社会にでると「足下を見られた」と言うことが良くあります。足下を見られると、対等な交渉ができなくなり、見られた側は譲歩しなくてはならない。つまり、今の雇用状況で学生達は企業から足下を見られているのです。ですから、学生側から譲歩しないと簡単には就職できないのです。ただ、その譲歩というのは先進国日本では酷い雇用条件を受け入れるというところまでは行かないので安心してください。具体的には、「創造的な仕事をやりたい」「仕事上での決定権を持たせてほしい」といった今の学生達が面接などで当たり前にいう要望を言わず、「どんな仕事でも文句を言いません」「会社の命令に絶対従います」と言った自己を捨て会社への忠誠心を誓うことがこの交渉を成立に導きます。

つまり、なんとしても入れてもらおうという姿勢が学生の全てを変えるのです。
(阪上 健生 株式会社ウェブソースネクスト取締役)

ただ、その譲歩というのは先進国日本では酷い雇用条件を受け入れるというところまでは行かないので安心してください。具体的には、「創造的な仕事をやりたい」「仕事上での決定権を持たせてほしい」といった今の学生達が面接などで当たり前にいう要望を言わず、「どんな仕事でも文句を言いません」「会社の命令に絶対従います」と言った自己を捨て会社への忠誠心を誓うことがこの交渉を成立に導きます。


 まあ、いつもの社畜乙! な記事なんですけど、これ、学生さんたちに対する記事と読んでいいんだよな。何回読んでも意味がわからないのだが。。。
 若い人たちに対して「君たちの将来には夢も希望もない。だが安心しろ。奴隷になれとまでは言わないさ。」という記事なの?

 なんかこう、「労働基準法守れ」という記事があるとうようよ社畜たちがわいてきて社畜自慢するのが今の日本のネット恒例になってるんだけど、どこまでいっても平行線なんだよな。これなんでかな。と思ってた。んでちょっと今回思ったことがあったので書く。

 いや俺もさ、会社に所属して働くってことは、気を遣って頑張るとか、上司に認められるようにするとか、周りの人たちと合わせてやるとかってことは必要だと思ってるよ。やっぱり忙しくてみんな残業してたら「残業しなくちゃ悪いな。」とか思うだろうし、「別に俺自分の仕事終わったからとっとと帰るけどなにか?」的にまではなりきれない。
 また、上司がいればご機嫌伺うし、「やれ」と言われれば「はい」という返事以外には考えられない。

 その辺までは俺の中では「当然」もしくは「仕方ない」だな。
 かといって、じゃあお前がさび残休出当たり前の会社にいたとして、「残業代出ないなら残業なんかしませんよ。お疲れ様でした。」って言えるかっていえば「言えない。」言えなかった。でも、それが正しいかどうかと問われれば、正しくないとは言える。

 こないだも海外ニートさんの、

 「遅延証明書に見える、いかにも日本らしい非効率さと理不尽さ。」

 というエントリを読んでてもビシビシ思ったんだけど、とある記事で

 遅延証明書をもらうために行列に並んでさらに遅れて会社に出社するより、とにかく早く出社して、「電車が遅れたので遅刻しました。すみません。すぐ仕事にかかります。」って言った方がよくね?

 ってだけのことを言ってるのに、

>この記事書いた記者って、会社勤めしたことあるのかな?

>口頭報告だけで遅刻取消なんて、いい会社に勤めてんな。遅延証明もっていったって「1時間遅れるなら1時間前に起きろバカ」と怒鳴られる、素敵なブラック企業になんて勤めた事ないんだろうな。

>世の中の理不尽を知らない清い小学生みたいな指摘ですね…。

>社会勉強をされてから記事を書かれた方がいいと思います。問題定義以前の問題です。1分でも遅刻は遅刻です。時間とはお金で、命です。 

 とかっていう反論コメントがうっとりするほどずらりと並んだらしい。

 素敵すぎて突っ込むのもはばかられるが、自らを「ブラック企業」「世の中の理不尽」「なぜか時間が命」とか仰る。これは海外ニートさんでなくとも草生やしたくなるwwwww
 そこは「まったくその通り。なぜわれわれはそこまで管理されなければならないのか。電車が遅れたことなどちょっと調べればわかることなのに。」と憤りを見せないのはなんでなのか。
 せめて匿名ネット上では本音で言えよ社畜ども。

 これはきっとあれだな。今の自分を否定されたり馬鹿にされたりすることを極端に恐れてるな。ぎりぎりの綱渡りの上に経たされたいることを意識的にか無意識にか察知してるな。
 会社が、そこで働いていることがすべての自分のよりどころになってしまっていて、会社の従順な僕である自分が存在意義になっちゃってる。否定してしまったら、あっという間に足元からすべてが崩れ落ちてしまう。そういう、危機感の表れが、わけのわからん、どこかの誰かへの強い反論になってしまっているのだろう。

 「お前に何がわかる?」
 「俺は辛くない! なにも苦しくなどない! 余計なことを言うな!」

 みたいな、渡鬼ばりの台詞が頭の中をぐるぐるまわっていそうだなあ。

 んでね。なんでそうなんだろう。って思ったのよ。
 どうして日本人はそこまでかたくなに「ルールにない、古きよき日本人の良さを、そこまで苦労して受け継ぎたがるのか。」と。
 その、明らかに出所が不明な使命感は何だ。と。

 これって決して働いている人(働かされている人)の責任じゃないよね。それを暗黙のうちに強要している会社とか中間管理職とかがいるわけよね。
 なんでなんだ。と。
 大体、社畜側の人たちの言うことって「古きよき日本の労働者の勤勉な姿勢が今の日本の礎になった」みたいなところがあるんだよね。
 確かに昔ってそうだったんだろうなって思ったよ。お殿様に気に入られるとか、上の者に取り入るっていうの。そうやって、自分の仕事をもらって、それで、家族ごと守ってもらうことをしてたんじゃねえか。と。終身雇用(俺はそんなもん知らないけどね)とかがあった頃はそれもまだ通用したのかもしれない。家臣的な。
 でも、特に近代において日本は大きく発展した。企業は世界と闘うようになり、国内でもしのぎを削った。そこに何が起きたのか。
 詳しいことはわからないので結論だけ書くけど、そこで日本人は、大きな組織を作ることを選択したよね。企業を大きくするため、力をつけるため。より大きな敵と戦って勝つため。

 組織って、組織論とかあって、大本はやっぱり軍隊だと思うんだけど、指揮命令系統を明らかにして、目的を遂行するためのものだよな。
 だからこそ規律があるし、ルールを破ると罰を受けるような規則まである。
 元が軍隊だと思えば、一兵隊が自分の意思、判断で勝手な行動を取れば当然責められる。一人の勝手な行動のせいで、他の大勢が危険に晒されるだけでなく、組織(軍隊)そのものの敗北につながるからだ。

 組織というものはそういうものだ。そういうものだとわかっていて、企業という巨大組織を作り上げて成長してきて、それがいつの間にか、組織の中の、しかもたかが新卒の一社員が

具体的には、「創造的な仕事をやりたい」「仕事上での決定権を持たせてほしい」といった今の学生達が面接などで当たり前にいう要望を言わず、「どんな仕事でも文句を言いません」「会社の命令に絶対従います」と言った自己を捨て会社への忠誠心を誓うことがこの交渉を成立に導きます。

 なんて言われようだよ。いつのまに日本の組織はそこまで進化したんだ。
 なんで新卒の、新入隊前の一兵隊が「先制攻撃こそ戦争です!」とか「砲撃のタイミングは私に判断させてくれたら必ずやわが軍を勝利に導いて見せます!」的なこと言ってんの。そんなの危険分子だろ。
 まあ、景気のよかった頃の就活ではそんなんもありだったんだろうけどさ。そもそも組織というものを考えた時には、まず忠誠を誓うなど当たり前だということだ。だが、大きく勘違いしてはいけないのは、日本も大小の組織からなる企業という形をとって、就業規則に則って従業員を雇用する時代になって久しいのだから、そういう組織を作りました、規則を作りました、でも、組織員はその規則以上の仕事をすることは当然ですのでよろしくお願いします。みたいな風潮が許されていいわけは微塵もないということだ。

 なんで今の学生だけが忠誠を誓わなければならないのか。バブル期の学生は忠誠を誓ってないのか。だとすればそれはどんな規則だ。それはどのような組織だ。

 あー。長くなった。俺が言いたい結論はただ一つなんだけどなー。

 企業という組織をつくりながら、規則にないことまでやりますという忠誠心を誓うものを評価するというのは、企業自らがその組織、規則を頭ごなしに否定していることになぜ気付かないのだろうか。
 むしろ、規則に則って忠実に職務を遂行してくれるものであれば、それ以外は不問だ。とにかく実力重視だ。という企業が少ないと感じてしまうのはなぜなんだろう。

 今日現在の俺がそれに答えるとすると、組織を作る、または組織を運営することがもはや組織の目的になりさがってしまっている。「なにを成し遂げるための組織なのか」ということは最早問題ではなくなってしまった。それはつまり目的を見失ったトップが無能であるからだ。と答えるだろう。

 だからさ、組織を作って規則を定めたわけだから、その範囲内で仕事がきちんとできる人間を見極めるべきだろう? なんで「それ以上に」忠誠心とかっていう評価基準が登場するんだよ。記事元の雑誌だか記者だかわかんねえけど、そういう矛盾を批判してこそ記事だろうが。ボケ。おわり。