道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

バードカフェおせち騒動についてのなにか。

 年が明けて5日。先ほど嫁さんの実家から帰ってきました。休みすぎちゃって明日仕事行くの嫌です。あと、呑みすぎちゃって身体痛いです。
 で、行きの電車の中から滞在中ずっと気になっていた騒動で、ようやくPCで見る事ができました。2ちゃんにある画像辺りが本当なら、こりゃひでえってことがまずやっぱり一つ。そんで、バードカフェだかなんだかしらねえけど、やっぱり外食、特にフランチャイズしちゃったりする外食ひっでえ。経営者アホ。ほんとアホ。ってのが一つ。と、グルーポンが無関係かどうかってのが一つ。

 結局のところ、グルーポン系サイトはすでに終わっていたということ(novtan別館)

一つ目。おせち料理について。

 これについては、社長さんがテレビで

 (JCASTより引用)
 「朝ズバッ!」が販売会社の社長に取材したところでは、社長は誠意をもって顧客対応に
 当たっているとしたうえで、「お会いしてお詫びしてますが、頑張ってくださいという声も多い」
 「ネットに掲載された写真は、一番ひどい状態で撮られたのかもしれないと認識しています」
 などと話したそうな。

 と言ったらしく、写真そのものを否定してはいないことね。良い状態のものがどれくらいあったのかはともかく、ああいう状態であることについては肯定しちゃった。で、その「ひどい状態」のおせちの写真を見てみて思うのは、「うわこりゃひでえ。」としかない。フォローする気起きない。
 一万円出して買った人のがっかり感が想像すらできない。一万円出してまでおせちを用意したってことは、それなりにお正月気分を味わいたかったり、体裁として用意する必要があったりしたわけで、別にお正月におせちなんてなくていいと思ってる人は絶対そこで一万円は使わない。そこで一万円つかうくらいなら、きっと家族で外食すると思う。
 まあ、そもそもおせち料理ってなんで作るのかってことを考える人であれば一万円出して買ったりはしないだろうけど、そこは形式だけでもってことなんだろうから、かわいそうすぎる。まあ、「おせち=ご馳走(豪華な料理)」的な勘違いを生み出した百貨店やコンビニにもちょっとは反省してもらいたい気分もあるけれど。
 それにしてもあれはない。価値という点では、まったく一万円しない。お祭とかの「だまされちゃった。テヘ」的な贔屓を差し引いても、ないない。原価がどうとか人件費がどうとか配送料がどうとか、そういうことじゃなくて、一万円の魅力がそこにはない。1000円の特価おせちであれだったら、まあ、「さすがにだまされちゃったか。テヘ。」で済むかもしれない。

二つ目ね。外食産業というか、サービス業ってもうダメダメ。

 日本のサービス業ってだめだなーって思ってたんだけど、なんでダメなのかよくわからくてアレだったんだけど、最近それなりにわかってきた。
 要は、経営者が「サービス=タダ」だと勘違いしてるんだよね。または、わかってて確信的にタダだと思ってるふりをしてやがる。
 前にホスピタリティの研修で聞いたんだけど、サービスとホスピタリティの違いって、いわゆる「縦と横」だっていうんだよ。サービスってのは、隷属、明らかに身分や立場が下の人間が、上の人間に奉仕すること。「命令を聞くこと」が語源だっていうような話。対してホスピタリティは、対等な関係の中での「癒し」や「おもてなし」だというような話。
 実は何年か前から、日本のサービス現場って、「サービス」ではなく「ホスピタリティ」と言うようになってる。まあ、それは企業側が都合よく客のためにサービスマンが働くようにとお題目を掲げているだけであって、いくらホスピタリティを考えたり掲げたりしても、現実味を帯びたような変化はなにも生まれてない。
 そんでもって色々経て俺が思ったのは、やっぱり「サービスには原価がかかってない」と経営者が思ってるんだろうな。ってこと。物を売る、または食事などを提供するってことは、原価で仕入れたものを、価格で販売するってことで、その差額が利益になるわけなんだけど、そこに介在する販売員とかの費用は、ただの「人件費」だとしか思ってない。経費の中に組み込まれた「人件費」の枠の中で、無限にサービスが提供されると思っていやがる。
 だから何度も言ってるんだけど、「良いサービスを提供するためには金がかかる。」ってこと。提供するサービスが増えれば時間がかかる。一つ一つの作業に時間がかかれば一定時間内で対応できる客の数は減る。イコール「機会損失」だからそれはダメ。じゃあどうするかっていうと人を増やすしかない。でもそうすると人件費が増えるから、経営者は増やさない。究極のサービスって、「質を落とさずにスピードを上げる」ことなんだけど、そんなもんには限界がすぐそこにある。そして、「やらなきゃいけないことはやたら増える。でも人は増えない。客の要求は増える。対応できない。結果的にサービスの悪い店になる。」っていう負の連鎖がはじまる。
 だから、俺なんかだと「安い店」しか行かないから余計に思うんだけど、価格の安い店なんだから、客は色々求める方が間違ってると思ってる。そんで、バイトとかが丁寧に対応したりしてるのとか、「徹底したサービスを目指します」みたいなポスターとかを見ると虫唾が走る。
 低価格が売りの飲食店なのに、きちんとした(以上の)サービスを提供しようとしてるのは、明らかにどこかが間違ってる。時給700円とかで働いてるアルバイトの高校生に、きちんとした対応を求めるなんて、大人として恥ずかしいと思う。
 だから、経営者は、「ちゃんとしたサービスを提供できる従業員」に、ちゃんと報酬を払うべきなんだよね。サービスマンたちは、いくらいいサービスを提供しようと、お客様に喜ばれようと、結果として自分のためになるわけじゃない。車や家などの高額商品を扱うサービスマン、っていうかそれはもはや今ここで俺が言うサービスマンではなくて営業マンだと思うんだけど、そういう人たちはまだサービスが結果につながる機会は望めるかもしれない。「人のよさ」や「誠実さ」が客から評価されることもあるだろうからだ。だけど、1000円のランチは食べられないから680円のランチを食べようという人たちにとっては、接客スタッフがどれだけいいサービスをしてくれたかってことは、リピートにつながるわけではない。いいサービスを受けても、次に600円のランチがあればそっちの店に行ってしまうからだ。


 まあ、何が言いたいのかって言うと結局いつものサービス論になっちゃうんだけど、今日は「なんで日本のサービス業は終わってるか」という自問に対して「経営者がサービスそのものを評価していないからだ。」という結論を自答したという点ではちょっと進歩してると思ってくれると嬉しい。

三つ目はグルーポンについての感想

 グルーポンて知らなくて今回初めて知った。
 なぜかこのブログにも広告が出てたし、リンク先のnovtanさんのとこにもしっかりグルーポンで笑うに笑えないんだけど、なんだかわからないのでわざわざサイト見てきた。

 これ、共同購入みたいなのが前提になってるんだね。で、何人ていう購入者=クーポン発行枚数が確定して初めて発行されるみたいな。
 で、我らが大都会群馬のクーポンなんて、なにやらエステだの美容室だのそんなのばっかり。つまり、経費を最低限まで削ってもなんとか運営できる(経営に仕入れが直接的に関係しない時期があっても成り立ちそうな)業界ばっかりなんですよね。
 結局利益はどうであれ、「ある一定以上の売り上げをどうにかしてでも確保したい」という、企業たちの集まる場所みたいになってる。経営ってことになれば売り上げが重要なのもわかるんだけど、それにしても、グルーポンが成り立ってるのが、瀬戸際企業の集合体であるという事実には利用者は気付かないんだろうか。と思った。まあ、お店やったりしたことないとわかんないかもしれないけど。
 クーポンで広告効果を狙うというお題目や、集客アップを云々かんぬんではなくて、「明日不渡りを出さないための目先の現金収入をここで!」みたいに見えてしまう。

 そもそもにして大体、広告を打てるって、それなりに体力のある企業だと思う。今まではやっぱり「新聞折込広告」がやっぱりメインだった。あ。もちろんテレビCMもね。で、最近は企業も広告宣伝費をweb広告にシフトしてきたってのは周知の事実。だからこそテレビ局収益が減って、テレビの番組制作費がなくて、なんかweb映像垂れ流すだけの特番とかばっかりやってる。と。
 だからと言って、「web広告に長けてる企業はナウい。伸びる」ということにはまったくつながらないわけで、「私は便利便利なwebを使って買い物しちゃってるのよね〜」とか思うなら、まずはその会社を検索してから買えよと言いたくないわけでもない。
 テレビCMはもちろん、新聞折込(大体折込代だけで3,5円/枚かかるんですよ)を打つこともできないんですよ。というのは、相当経営が切迫していると考えることもできるわけだ。

 だから、リンク先のnovtanさんもおっしゃってるように「すでに終わっていた」と、俺も思ったわけ。