道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

尖閣事件ビデオ公開についての覚書

 去る11月4日深夜、マイミクさんの情報により、夜勤明けにビデオ映像流出を知った。全部とはいかないが、すぐに見た。夜勤明けに保育園の親子遠足が控えていたが、そんなことは言っていられなかった。

そこには、ビデオ4で「よなくに」ビデオ5で「みずき」に体当たりする中国漁船の姿がありありと映っていた。
 怒りがふつふつと沸いてきた。抑えられないかと思うような怒り。

 今、仙谷官房長官は「国家公務員法違反」ということで厳罰を処すべきと動いている。また、「そもそも海保のビデオ映像は慣例として公開されており(以前にも北朝鮮工作船と銃撃戦の映像が生々しくテレビで公開されていたのを覚えている方も多いだろう)、限定的とはいえ国会議員などへも公開されており、機密情報とは言えない。」と、公開した人を擁護する声も多い。

 この問題には少なくとも二つの論点が存在する。それを混同すると「論点のすり替えだ!」ということに陥るで落ち着きたい。

 まず、これが機密情報であるのかないのかは今後の経緯を見守るとして、少なくとも国際的にナイーブな問題の映像を個人が無断でインターネット上に公開したことは褒められる出来事ではない。違法とまではいかなくとも、組織内でなんらかの処罰が下されても文句は言えまい。と思う。民間企業において、社内文書をネットに公開するようなものだし、今回に至ってはそれよりも重大な問題だ。
 その点を無視して、擁護側の人々は「そもそも政府の対応に問題があったからこそだ!」と論調を強めてもそれは、論点のすり替えになってしまう。だからこそ、公開主は、自分の非を認め、「罰を与えられるなら受ける。家族をも犠牲にする覚悟だ。」と言っているのだと思う。もちろんこれは、日本のマスコミさんたちが「真実を報道してくれる機関」だという前提の下でだ。

 同時に、逆もまたありなのだ。いくら政府が「国家公務員として甚だいかがわしい行為であり、厳罰を処されても仕方なし。」としたとしても、それによって自分たちが下した判断が、決断が是とされるものではない、ということである。

 「尖閣諸島は日本固有の領土である」
 「そこで違法な操業が行われていた」
 「その中国船は警告を無視し、明らかに意図的に海保の巡視船に体当たりをした」
 中国「尖閣諸島は中国のもの」
 前原「国内法に基づいて逮捕した」
 前原「国内法に基づいて粛々と処理する」
 日本人4人が中国で拘束される
 中国船船長釈放
 那覇地検「中国との関係に配慮して釈放した」
 政府「地検の判断だ」
 野党「ビデオ公開せよ」
 与党「一部の国会議員にのみ6分に編集したビデオ公開」
 田中「コツンとあたった程度」

 ビデオ公開:国民「なんじゃこりゃああああああああ!」「明らかにわざと!」「違法操業ではなく、傷害罪? 公務執行妨害? 殺人未遂? 明らかな現行犯逮捕なのになぜ釈放?」「責任者でてこい!」「海保乙!」「海保に敬礼! 現場の皆さんの悔しさがにじみ出てる」

 仙谷「国家公務員法違反。流出元を支持するのは非健全な国民」

 この辺で感情が入り乱れていて、お互いに論点のすり替えが逃げ道になってる。
 だからこそ、主は「罰は受ける」と言っている。公開した是非は問わない。だからもう一度、政府の対応の是非について国民的議論をしてくれ。と言いたいのではないか。だからこそ、一部で「英雄視」されているのではないだろうか。
 動画主については支持する人々で助けられるような手を考えよう。だから、仮に罰せられるようなことがあればきちんと受けていただこう。
 そして、それとは別問題として、事実(映像)を元に、政府のこの事件への一連の対応の不適切さを追求しよう。声を上げよう。なぜ、船長を釈放したのか。なぜ、那覇地検が「中国との関係に配慮して」などと発言したのか。それについて追求しよう。そこについて国民が納得できるだけの答えを出してくれない限りは、反民主、反菅を訴え続けよう。
 ほんとにほんとに、怒りが収まらない。
 民主党政権一年と3ヶ月ほど経過したが、これほどまでにひどいとは想像のはるか斜め上をマッハで飛び去ってくれたようで、虚しい。早く解散総選挙の日が来ますように。お祈りします。