道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

小六女児自殺が話題になってしまいました。

 特に記事は貼りませんが、2010年10月24日に、群馬県桐生市にて、小学校6年生女児が自宅にて自殺したと報道され、ネットを中心に話題になりました。
 事実関係が明らかになっていませんのでそれについてのコメントはいたしませんが、まず「騒ぎすぎ」だと思いました。時系列に沿って事実関係を明らかにすることからはじめるべきだと思います。その上で、家庭だ、学校だ、友人だ、本人だ、と考えを馳せるべきだと思っています。

 ともあれ、身近な場所で、痛ましい事件が起きたことには違いありません。小学生の子供を持つ親として、きちんと考えたい問題だと思います。
 報道の通り、いじめを苦に自殺を図ったということであれば、いじめについて考える必要があります。子供時代を思い返しても、私自身、いじめられたこともありますし、いじめをしたこともあります。「いじめのない社会に」というのは、無理な話です。仮に今回問題視されるような「いじめ」があったとして、それに対する策を講じることができたとしても、結局は形を変えた「攻撃」が発生するだけだと思います。なにをもっていじめとするかは、時と場合により千差万別だからです。

 また、これも仮にいじめを肯定してのことですが、学校にのみ矛先を向けるのは的外れだと思います。学校の職員は、現状授業時間以外の児童への配慮というのは難しいというより物理的に無理でしょう。
 さらには、PTA会員への働きかけも重要だと思います。

 勘違いされがちですが、PTA会員というのは、該当小学校児童の保護者も会員に含まれます。「父兄、保護者の一部の人たちの怪しい集まり」ではありません。少なくとも私の子供の通う学校のPTA会則には、「教職員、児童保護者」が会員であると明記されています。
 つまり、子供には義務教育を受ける義務があり、その保護者には、子供がゆたかな教育を受けるために学校や他の保護者と協力し合う義務があるのです。

 以前にも少し述べましたが、私たちの小学校は小規模校で、適正配置をすべく議論されています。小規模校には小規模校なりのメリットがあり、それを失うことを嫌う保護者が多いのも事実です。ですが、適正規模校にもそれなりのメリットがあり、なにより子供たちが豊かに教育を受けることができる環境であるという、大儀があります。
 よもや今回の事件を受け、「小規模校であれば」などという論調を振りかざす人がいれば、私はその人の資質を疑います。
 片や「モンスターペアレンツ」などと保護者の異常をたたき、もう一方で「教員の適正なし。」などと教員たたきをするというのはご都合主義のダブルスタンダードに他なりません。

 繰り返しになりますが、いじめはなくなることはないでしょう。ですが、その時、親が、また、親同士がどのように対処できるのか、またはできないのか、ということを、自身に置き換えて議論できるような環境が必要なのではないか、と感じました。

 たまに、「死ぬ気があるならなんでもできる。」というような論調に出会いますが、おそらくそれは的外れです。自殺を考えている人は、基本は「逃避」です。そんな人が「死ぬ気になってなにかをする」などという、前向きな発想に至ることはないと思います。「なにをどうやってもだめ。逃げたい。でも逃げられない。もう、選択肢がない。。。。。 そうだ。死んじゃえばいいんだ。」というような、そんなおかしな思想です。だから、死んじゃうんですよ。

 ええと。まとまりませんが、そういうことを考えてみました。

 小学生たちを見ていると、とてもアンバランスな感じがして、時にひやひやすることがあります。特に、6年生などは。
 これはサッカークラブの6年生と話した時の感想なんですけど、ものすごいしっかりしている。でも、子供たちだけで遊んでいる時はやっぱり子供。かと思えば、子供同士喧嘩をして、大きな身体で涙を流して泣きながら訴えてくる。すごく儚い。
 精神と肉体のアンバランスだけではなく、精神的なアンバランスもあると思った。知りたがりな顔と、知っていることと、ネットなどで耳年増だったりしたり、それでも小学生だったりして、非常にあやういなー。と思った。それでいて、大人たちは、古き大人たちのまま。いや、その年代の親たちって、俺たち同年代とかちょっと上とかだから、小学生に対して細やかな配慮しない。これは怖いことだな。と思いました。

 うん。なんか以上。眠くなったよ。