道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

吉田美和が好きだ。とてもとても。

 先述したように今日から数日間一人の時間を楽しんでます。ご飯はめんどいのでコンビニでサンドイッチ買って食いましたし、初めてレンタルコミックってのをしてみてはじめの一歩を読んだりしてます。んで、お約束に、ドリカムのビデオを観てます。ヘッドフォンして、昔の、VHSのビデオを、観てます。すると、色々と色々と言いたい事があって、でもまとまらないので、垂れ流すことにします。
 なお、なにも調べずググらず書きますので、間違いとかたくさんあります。しかも俺の観るビデオは95年、99年のワンダーランドと、sing or dieのライブのビデオでしかありません。あと、生で観たライブは99年のワンダーランド大阪初日だけです。ご承知おきを。
 読者を意識したものなんて書かないが、100の反発を喰らってでもここは1の同調がどなたかの奥底に芽生えたら嬉しい。

 惜しむらくは99年のビデオはおそらく美和さんが体調がベストではないことなんだけど、それでもすげえので圧巻なんだわ。

 嬉しいのはドリ(ドリカムのことです)のコンセプトが崩れずに今日まで活動を続けてくださっていることだ。「吉田美和の唄を聴かせたい」そこに必ず帰結するからこそ、スタイルが変わっても、ドリがドリたるゆえんであるし、なによりも、美和さんが、常にピークなのだ。
 たとえば今95年のビデオを観よう。もう15年も前だから、美和さんも若いし、みんな若い。どっちかっつーとやっぱりいけいけで、自己顕示欲もそれなりにあるんじゃないかな、なんて思う。ダンサーは元zooの皆さんだ。ちなみにこの時のダンサーのSAEさんが俺は大好きだ。ぶっちゃけ、美和さんと同じくらいに好きだ。
 まあ、それはともかく、この頃の美和さんは元気よく、勢いが勝ってると、年取った今になると見える。平たく言うと艶っぽさが足らない。だが、それがいい
 たとえば前半のメドレーなんかはダンサーさんたちと同じステップを踏みながら唄う。唄ってのは身体を楽器にして声を聞かせるものなので、発射台たる下半身がしっかりしてないといい唄は唄えない。トランペット吹いてる人間にツーステップ踏みながら上等な音を出せと言ってるようなものだ。だから、美和さんは基本的にはダンサーと同じステップを踏みながらも、下半身からお腹にかけてはしっかりと地面をつかんでいる。それでもあれだけステップが踏めるのは脅威なんだけどな。この辺は素人の想像力が追いつかない。

 これが99年のワンダーランドとかになると、踊る時は踊る、唄う時は唄うと、綺麗にわけているのかな、とも見える。無理をしないというか、緩急がつけられてる。そこは体調があったのかもしれないけど、「このライブね、長いんだ。」と言うくらいのものはあって、しかもあのバンドメンバーを従えてのステージだから、ダンスはダンサーに、という役割を明確にした感はあるし、そもそもあの時点では吉田美和が艶っぽく変化を遂げた後なので比較することが愚問か。

 これは勝手な推測で、根拠もなく、希望すら入っているのかもしれないが、2010年にもなった今、それでもドリファンだと言う人たちには、結局のところ「LOVEGOESON」あたりがベストアルバムだと認識している人が強いのかな、とも思えてくる。こうして昔を見ていると。
せいぜい、「WONDER3」や「MILLIONKISSIES」「THESWINGINGSTAR」あたりまでなのか? それは俺だけなのか? 個人的には「MAGIC」までは好きだ。
 そこから「LOVELOVELOVE」という曲で最大の低迷期を迎えたと認識する。そして、日本を飛び出して出来上がったアルバムが「SINGORDIE」だったはずだ。その出来や、スバラシかった。いや。今でもまったく色あせない。生きるか死ぬか、それを求めてアメリカでレーベルを立ち上げた3人だったわけだ。つまり、「このまま日本にいては死んでしまう。」というメッセージに聞こえた。
 日本では、ドリのやりたい音楽ができない。吉田美和が聴かせたい音楽ができない。なら、死ぬ覚悟で、日本を飛び出そう。そんでもって、好きな音楽をとことんやろう。これでダメだったら仕方ない。
 そんな、メッセージだ。
 結果は、大成功だった。
 ドリのしたかったことは、きっと、アメリカで成功することじゃなく、ドリの奏でたい音楽を奏でる場所を求めていただけにすぎない。

 確かにその後、昔のように大ヒットすることはなくなった。当然だ。もうすでに、彼女たちは相応な年齢になっている。音楽がヒットするというのは、流行に敏感な10代20代の若者に支持されなければならない。今更美和さんや中村さんが、そのターゲットに曲を書くことはないだろう。基本、美和さんは等身大の唄を唄ってきた。
 今や、俺たちの世代が聞いても生々しい曲もあれば、身が削られるような曲もあるだろう。当然だ。もう、それなりの年齢なのだ。お互いに。

 話を少しそらして、演者という観点にしてみよう。それなら俺も少し参加できる。
 20代の元気はつらつな演者と、30代の、元気は足りないが経験はそこそこある演者だ。
 20代の演者は若さと、覚えたての技術でがんがんいくだろう。そして客席を巻き込んで、空気を捻じ曲げていくことだろう。持てる力をすべて吐き出して、限界までのパフォーマンスを見せ付けるだろう。そしてその、空っぽになった自分をさらけ出すことだろう。観ていてハツラツとするだろう。
 大して30代の演者はどうか。若いといえば若いが、上記の彼に比べれば経験豊富。そんな彼が演じるのは、場の空気に沿った演技だろう。客席はどこか安心感につつまれ、いつの間にか演者のリズムに支配されていく。そして演者は、余力をたっぷり残しつつも、しんどそうな表情を客席に見せる。客席はそれで満足し、演者は演者で含み笑いを腹の中で浮かべる。
 たとえ話にすぎないが、そういう、時間の流れが演者にはある。というか、そういう時間の流れ、経験の上に身を置いて皆生きているだろう。

 そういう意味において言えば、俺は、いつまでたっても、美和さんが歌手でいてくれる限り、「吉田美和の唄を生で聴きたい」と思い続けるだろう。
 99年のワンダーランドでの変貌ぶりに心のそこから感動した人間としては、仮に小さな小屋でのライブであっていい。というか、むしろその方がいい。大きな舞台は、もういい。より小さな舞台を支配することが、吉田美和の才能の無駄のない使い方だと思っている。
 うわあ。すげえ上からだわ。俺の言いぐさったら。

 そうか。ビデオ観てて思い出した。7枚目のアルバムは「DELICIOUS」で、8枚目が「LOVEUNLIMITED」だったかな。

 まとまるわけもないが、これ以上は語れない。