道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

小学校がなくなることについての何か。

 ここ最近の俺の中できわめて忘れられない大きな恐怖があって、それはインターネット上の巨大掲示板に書き込まれていたたった一行のレスであって、別に俺に向けられたものでもないし、攻撃的なものでもなんでもなくて、でも地味に俺に日々ダメージを与え続けているし、忘れることができない。怖いし、痛いし、やるせなくて、やっぱり怖い。

ちんちんの先にふつふつと穴が開く病の刑

 このたった一文が俺を恐怖のどん底に陥れている。今まさに自分で書いておぞましい。指の先から背中にまでぞわぞわとする。これをあえて自分のブログに書き残した俺カッケー。ともなんとも思わないのだが、とにかくこの一文は恐ろしい。

 さて。7月に入りPTA役員の仕事というか飲み会なんかも増えてきたりして、いよいよ子供の通う小学校の適正配置問題についても真剣に考え始めている。俺が25年以上前に通っていた小学校が、あと数年でなくなりそうだという局面にあり、今まさに俺はその学校のPTA本部役員なわけで、もしかすると来年度にはその適正配置推進委員会の委員になってしまうかもしれないという、そういうスタンスにある。
 で、それについて色々と考えているのだが、自分の中でなかなか考えがまとまらないのでいっちょ書いてみることにした。そうだ。俺は昔から書くことによって自分を少し客観的に眺めて、それで自分の意見をまとめたりしていたじゃないか。っつーことで。
 そういえばここ何年かは直球勝負だったなあ。というか直感か。自分の意見をコンパクトにまとめたりすることはしなかった。というかしても無駄だった。なぜかって、社畜だったから。脱サラというか脱社畜をしてようやくこうしてPTAの活動やら子供のサッカークラブやらに顔を出すことができるようになったと、こういうわけなんですが、ここまではおそらく無駄話ですね。

 簡単に言うと、うちのS小学校は子供が少ない。長男のいる3年生だけは2クラスあるものの、他の学年はみんな1クラス。大体20人前後しかいない。なので、ぶっちゃけ廃校にして、近くの西小学校、南小学校と再編しましょうよ。という話。で、それについての検討委員会が開かれ、約2年間議論し、「S小学校を含む3小学校で適正配置すべき」という結論に至った。なぜならば、西小学校も南小学校も同じように児童が少ない。
 その検討委員会の結論を受け、教育委員会が「S、西、南小学校適正配置実施計画」を市議会に提出し、承認を受けた。そして具体的な適正配置の方法を議論すべく推進委員会がこの6月に立ち上がったというような、流れにある。
 検討委員会での結論は「S小学校を2分割して西、南小学校へ再編すべき。」という論と、「3校を1校に統合すべき。」という二つの案が併記されたものとなった。これについてはS小学校が猛反発。「3校統合が叶わないのであれば断固として現状維持」という姿勢を打ち出した。これについては意見の食い違いや言った言わないの論が大きく、話を広げるとこの3校区の中学校が過去1つの中学校に統合したりした過去があり、その時の恨みつらみも背景にあるらしい。

 さて。そういう中で推進委員会なんていったってなかなか話が進むはずもなく、「つーかそもそも検討委員会の結論を尊重すべきなんだから、S小学校2分割の方向で議論すべき。」という多数派と、「そりゃおかしい。どこかで結論が摩り替わっている。分割ありきでは断固反対する。」という人たちと、「断固としてS小学校は存続させるべきだ。」というような人たちが好き勝手のたまっている。

 と、ここで俺が思うことを以下に述べていく。というかこれ、自分用ですね。完全に。

 まず俺が必要だと思っているのは、適正配置をすることに必要な予算と、それによって削減できるであろう予算の試算だ。
 俺の認識として、教育委員会が実施計画を議会に提出したということは、行政としてそれなりの予算を組んでいるはず、もしくは試算をはじいているはずだ。つまり、S小学校をなくすことで年間いくら支出を削減することができるようになります。が、当初のイニシャルコストとしては何百万円必要になるので、その償却には10年間はかかります。とか、3校を1校に統合する際には新しい学校を建設する必要があり、それに何億円、が、年間の削減コストが何百万円なので、20年で償却できます。逆に、3校をこのまま存続する際に必要な予算は、適正配置をした場合に比べて年間何百万円必要になります。
 とかそういうの。おそらく試算はしていると思うのだが、それが公表されていない。それには理由があるらしく、中学校の適正配置をした際に「年間5000万円とかの予算が削減できます。」と発表したら「子供の教育をお金ではかるとは何事か!」とかいう批判が市民から噴出したらしい。だから、今回は好評しないらしい。
 これはある席で某市議会議員にも確認したんだけど、その人曰く、議会にも提出されていないらしい。

 俺はまず、ここが最大の問題点だと思ってる。そりゃ、なんとなく「子供の教育をお金で判断するなんてけしからん!」的な意見もわからなくもない、と言ってしまいそうになるが、とんでもない。お金は無限にあるわけじゃない。子供も無限にいるわけじゃないし、市民は小学生を抱える家庭ばかりじゃない。限られた予算の中で、教育、医療、福祉、その他もろもろの行政サービスを行わなければならないわけで、優先順位をつけるための最大の判断基準である予算がわからないでは、やはり結論を導く材料が決定的に不足していると言わざるを得ない。
 逆に、S小学校存続派の皆さんは、「それによって年間1000万円の追加予算が必要になる。」とかの試算があっても強硬に存続を訴えるのだろうか。という話。
 なので、俺としてはまず、教育委員会だか市議会だか県議会だかわからんが、試算の公開を求める。と同時に、この適正配置に関しての最終的な決定権を持つのはどこなのかを明らかにする。
 推進委員会でいくら話あったとしてもだれかが「NO」と言えばそれまで、という事態があるのか、それともないのか。あるのであればそれは誰なのか、を明らかにさせる。
 そうでなければ、落としどころすら見当たらないだろうて。

 次に、議論の方向性を今一度問う。
 どうしても消去法の連続と妥協点のすり合わせになっている今の議論を、極力建設的なものに導けないかと提案したい。
 結論が仮にS小学校2分割、西と南小学校に再編、となったとする。今のS小の保護者は「S小ばっかり負担になってずるい。」とか、「S小という小規模校ならではのメリットが失われてしまう。」と反対を述べる。
 だが待ってほしい。2分割されたとして、それで負担があるのは本当にS小の児童だけなのだろうか。西にしても南にしても、それまでの学校生活にある日突然、10人とか児童が増えるのだ。それだってかなりのストレスになるだろうに。平穏に暮らしていた子供は、もしかしたら「いじめっ子がいないか。」とか、「お友達になれるかな。」とか不安を抱くかもしれない。なにも、S小の児童だけに負担をお願いするわけではないのだ。

 が、その逆もある。たとえば、ちょっとクラスの友達とうまくいってない子や、なかなか友達のできなかった子達は、「読書が好きな子、いるかな。」とか、「サッカー上手なやついるかな。」とか、「来年はクラス替えがあるかな。」とか、色々な希望を抱くかもしれない。運動会は賑やかにできるかな。とか。そういうことも。だ。

 だから、俺はそう考えた時に、「夢と希望にあふれた適正配置」をしたいと思った。不安はたくさんあるけれど、大人も、子供も、本当の意味で「子供たちのための」適正配置を、前向きに、建設的に議論できないだろうか。そう考え始めた。そうしたら、いくつかの前向きな考えに思いが至った。

 「子供たちのための適正配置」とは言われて久しい。が、いざ公聴会を開くと「なぜ素晴らしいS小をなくさなくちゃいけないのか。」とか「S小の素晴らしさをもっとアピールするような方法はないのか。」とか「うちの子はおとなしいから、小規模校で先生や親やみんなに見守られるS小で本当によかったと中学校に入った今思っている。そういう意見を切り捨てないでくれ。」とかいう意見が幅をきかせ、誰も反論しようとせず、「いやでも、友達は多いほうがいいよね。」とか「運動会も人数少なくてつまんない。」とか、「うちのはいじめられやすいから、クラス替えのある学校に行かせてやりたいよ。」とかいう意見がスポイルされていたりする。
 子供たちのために、ということは、子供たちに負担のない、ということではない。子供たちにも、親にも、教員にも、地域の方々には、負担をお願いしながら、それでも、「子供たちへのより豊かな教育のために」適正配置を推し進めることだ。そのためにはまず、親が、この問題を前向きにとらえ、各家庭で語りあう必要がある。
 よもやS小の児童の親が「西小や南小の人たちが一緒になってS小をなくそうとしているんだよ。」などと子供に話したりはしていないだろうが、一番の負担を強いることになる子供たちに、真剣になって、なぜ、今、適正配置をしなければいけないのか、それによってなにがどう、楽しくなるのか、ということを、納得してもらえるまで話さなければならない。これは、学校においては先生方にもお願いしなければならないことだと思う。そのために、まずは大人たちが、この問題を前向きに、建設的に議論し、それについて納得しなければならない。ということは、推進委員会の議論の内容が、親、地域、教員、それぞれをどきどきさせるようなものである必要があるのだ。
 くどくなった。悪い癖なので気にしないように。

 たとえば「学校が遠くなったり、今まで一緒に遊んでたお友達と離れ離れになってしまったり、とても大変だけれど、これは、これから先の子供たち、みんなのために必要なことなんだよ。だったら、今、私たちががんばって、未来の子供たち、未来のこの町のために、新しい学校をつくるお手伝いをしよう。そうすると、新しいお友達もたくさんできるし、体育の時間も、大勢でサッカーできるようになるよ。」とか、そんなレベルの話でいい。
 「犠牲になる」なんていう精神はいらない。「よりよい物を作るためのお手伝いをしよう。」というくらいでいいんじゃないかと思う。

 俺はそういう、親、教員、地域、子供、一体となった議論が必要だと思っている。具体的な事は実務のプロに任せるべきなのだ。
 地域の方々には小学校がなくなるということは非常に大きな事態であるという危機感がある。が、それが「子供たちのため」であり、この町の未来のためであり、自分たちの孫たちのため、であるならば、地域としてできることを協力してもらえるような提案ができないだろうか。
 登下校時のパトロールや、二つになった学校へのより決めの細かい協力体制、また、使わなくなった学校施設の有効活用など、考えられることは色々あるような気がする。
 「地域から小学校をなくしてはならない。」というロジックは、「子供たちのため」という出発点を無視したものとならないだろうか。地域のために小学校があるのではなく、子供たちのために必要なだけの小学校を運営するというのがあるべき姿だろう。つまり、今活発な「S小学校を存続させる会」の活動は、悪いが俺から見ると、「反対のための反対」にしか見えないし、悪い見方をすると「ゴネてる」とも見えてしまうのだ。

 次に、先ほどの予算の話にも大いに関連するのだが、仮に3校を2校、または1校に適正配置をしたとして、予算は削減されるとしよう。それがいくらなのかは想像もつかないが、たとえば、その削減された予算を
 「適正配置後6年間は、その学校の運営費用に限定して活用する。」
 などの限定条件を適正配置の条件に盛り込むことなども議論の余地があるのではなかろうか。
 これまでの検討委員会などでも、子供たちの精神的な部分や、特に通学の際の不安もかなり指摘されていたように見えるのだが、子供たちや学校、親、地域も慣れるまで、たとえばだが、年間の浮いた予算で登校時1時間下校時2時間ほど警備会社の人間を通学路に配置する、とか、スクールカウンセラーを配置する、とか、学校事務員を増強し、教員が教育と児童のサポートにより力を注げるような体制を作る、とか、そういうことだって言っていいんじゃないだろうか。とも思った。

 できるかできないかはわからんが、「夢と希望にあふれた適正配置。」
 そういう視点が必要なんじゃなかろうか、と思った今日この頃。

 あ。あと、3小学校と1中学校の校長が顧問として推進委員会に入っているので、ぜひ「教育のプロ」としての意見を求めたいと思う。個人的な意見として伺えたら最高なのだが。それもこれも、泥沼化している議論の判断材料にできればいいなあ、という、そういう狙いであって、「俺の言うことが正しいのでそのための裏づけを集めたい。」という方面ではないことは最後に付しておきますね。