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群馬県在住のおじさんがブログを書く

胆石入院日記2〜 内科病棟入院そして胃カメラ

  
     胆石日記


 四月はじめの金曜日の夕方、突然入院することになった。入院初日の午後8時までは水分を摂取することは許されていたが、翌日まで食べ物を口にすることは禁止されていた。「禁食」状態である。もちろん点滴は刺されたままだ。
 一度家に帰った嫁さんがパジャマ替わりのスエットや、下着やタオル、歯ブラシなどを改めて持ってきてくれた。水分は許されていたので、ペットボトルのお茶をコンビニで買ってきてくれていた。

 T病院の中央病棟6階が内科病棟だった。近くに住んでいる病院だが、受診したのも初めてだし、もちろん入院なんて初めてだった。何年か前、親戚のおばあさんのお見舞いに一度訪れただけだった。

 案内された病室は大部屋だった。
 「6人部屋かな」と思ったが、4人部屋だった。後から気づいたのだが、その病棟の大部屋は6人部屋の造りだったが、どこも4人部屋として使われていた。昨今の個人情報保護の観点なのか、「医療サービス」の観点なのかはわからなかった。が、6人部屋よりもかなり広くスペースを使えるので助かった。

 実は入院するのは約15年ぶりだ。前回入院したのは学生時代、上の姉の最初の結婚式の当日、急性胃腸炎で入院した。二十歳そこそこだったし、そんないきさつだったので、どんな入院生活だったかはあまり覚えていない。
 いまや二児の親として、はたまたPTA本部役員としての立場もある。
 そういった公共の場にては、しかも少なくとも一週間ほど寝食を同じ部屋で過ごす新人としてきちんとご挨拶申し上げなければならない。そう思っていた。
 どきどきしながら部屋への第一歩を踏み入れたことは間違いない感想だった。
 いや。こんなことを長々引っ張っても仕方ない。結論として、一週間入院したが、一度たりとも部屋人に挨拶することはできなかったし、しなかった。挨拶をされることもなかった。
 内科病棟の415号室は、俺を除いて皆寝たきりのご老齢の患者さんだったし、きちんと会話をできる人も0.5人くらいしかおられなかったのだ。

 その日から一週間、俺は内科病棟に入院した。

 初日。
 言うまでもない、金曜日の夕方だった。禁食であるし、水分も夜8時まで。点滴も刺しっぱなし。
 寝る以外にないが、カバンの中に入れていた本を読み、携帯だけが頼りだった。時間をつぶす術が見当たらない。「携帯の充電器持ってきて」というメールは軽く嫁さんに忘れられていた。
 病院の大部屋のベッドサイドにはテレビが置かれている。無料ではない。25時間1000円のテレビカードを購入し、テレビを観ることができる。退院時余ったテレビカードは50円の手数料を支払うと換金してくれる仕組みだ。悪くはない。だが、入院という事態において、さらにPCでのネット接続も叶わない中、テレビを観るという選択肢は俺の中には芽生えなかった。むしろ、AMラジオ、TBSラジオを聴きたいとは思っていた。
 その日カバンに入っていたのは石破茂著「国防」だけだった。過去何度か読み上げた本だ。
 読む気も起こらず携帯を眺めていたらあっという間に電池目盛りが減った。俺にはもう、眠れない夜を過ごすしかなかった。つまりそれは、その病室の、いや、病棟の現実を知る夜だった。

 その病棟は、夜中中賑やかだった。いや、賑やかと言うには大げさか。違う言い方をあてはめるならば、静かな時間が過ぎることはなかった。
 あの人がうわ言を延々と述べていたかと思うと、遠くの部屋から叫び声が聞こえてくる。かと思うと隣のベッドから明らかな寝言が聞こえてくるわ、意味のないナースコールが鳴らされる。
 さらに、皆寝たきりがほとんどであるので、よなかの11時や12時、2時や3時におむつ交換の看護士さんたちが忍びを省みずにズカズカやってくる。
 「おとなしく寝ろ」ということがすでに無理難題だった。
 初日こそ、安定剤が処方された。看護士さんは「効きすぎちゃうので、遅くとも今日中には飲んでください。」と断った。夜11時になる頃「眠れそうにないな」と、点滴を刺したままの腕を伸ばして錠剤を呑んだ。そのまま横になり、目覚めたのは朝6時だった。おそるべし。である。

 2日目。その日は、土曜日ながら、内視鏡検査、胃カメラの日だった。11時の予定で、看護士さんが30分ほど前に迎えに来た。
 歩いて検査室に向かう。何年ぶりだろう。もうかなり内視鏡も細くなっていたり麻酔も進化していたりと、負担が少なくて済むんじゃないかという勝手な妄想を抱きつつ検査室に向かった。
 検査室に入ると前室で肩に注射を打たれる。胃の動きを抑えるとかなんとかいう薬を筋肉注射される。痛くはないが、相変わらず「針を刺される」という恐怖に襲われる。次にのどの麻酔ということで、どろっとした液体を口の中に注入される。飲み込まないように、約5分間、のどに留めておく。じんわりと咽もとの感覚が薄れていくような感覚。
 5分ほどすると検査室の看護士さんがその薬を吐き出させてくれ、実際の検査室に通される。
 検査室には担当医の先生がいらした。相変わらない笑顔で迎えてくれるが、こちら側の不安を解さないかのように淡々とベッドに案内され、体位を指定され、マウスピースをはめられる。横目で内視鏡を見ると、どうにも昔飲んだものとあまり変わらない太さだ。いまのは冷麦くらいに細く改良されているかとおもいきいや、いまだにうどんの一回り太いくらいの、黒光りする「長いアイツ」だった。おそるべし。
 20歳の頃飲んだときに「腹式呼吸すると苦しくないよ」と医師に言われてその通りにしたら、本当に嗚咽感は抑えられて医師からも「そうそう。うまいうまい」とほめられたものだが、今や腹式呼吸も下手になっているのか、とにかく苦しかったし、おえおえおえおえおえおえおえした。先生は「あー。力はいっちゃってるんで。楽にしてくださいねー。目開けたほうがいいかなー。」などと困った感じだった。こちらとしても腹式呼吸だろうがなんだろうが、協力したいものなのだが、なにせ苦しいものは苦しいしおえっとくるものは抑えられん。お互いに我慢の連続となってしまった。
 先生は涼しい顔で「ピロリ菌とか感染したことはないですか?」とか聞いてくるのだが、こっちは首を振るどころか手のひらをぷるぷるするぐらいのことしかできない。先生はそれを見て看護士さんに「ナントカできます? あ。これか。 えと、どこから・・・ あ。わかった。はいはい。」といって胃の中の粘膜を切り出す。そして画面を見ながら「あー。あれ。過去に胃潰瘍とかなったころあります?」とか聞いてくる。確かに胃炎とか急性胃腸炎とかなったことはあるのだが、胃潰瘍と診断されたことはない。が、それを伝えることはできない。先生はそんな俺の意思を知ってか知らずか、「ここが胃の出口なんですけど、その手前でここ、ひきつれ起こしてますね。治ってますし影響はないと思いますけど、そういう跡ですね。これ。」と語っていた。
 そういうことがあったからだろうし、病院に戻ってきて最初の専門の患者であるということもあるのか、やけに詳しく診てくれたように思う。「長くなっちゃってごめんなさい。」と言いながら、腹の底にねじ込まれた内視鏡を抜いてくれた。


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