道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

胆石入院日記1〜 検査そして即日入院


     胆石日記


 一年ほど前から夜中におなかが痛くなることがたまにあった。
 肋骨と肋骨の間ぐらいといえばいいのか、中央やや右側に、肋骨に沿ってじんじんとした痛みがはしる。痛み始めるととまらない。おなかが痛くて目が覚め、ごろごろしながら明け方を迎える羽目になる。
 はじめは「胃が痛いなあ」と言っていた。学生時代からよく胃炎とかになっていたから、そういうものだと思っていた。酒もよく飲む方だし。だが、胃薬を飲んでもよくならなかった。准看護士になりたての姉に聞いてみると「胆石でもできたんじゃね?」とのことだった。そんな馬鹿な。姉は「だとしたら胃薬飲んでも意味ないかもね。痛み止め飲めば。」と言った。それから、月に何度か痛み止めの薬を夜中に飲む生活が始まった。
 病院に行くのは嫌いだ。検査されたら直ちに異常が見つかって入院とかになりそうだったし、少なくともお酒をやめなさいっていう話になると頑なに思い込んでいた。事実去年の健康診断の数字も驚くべきものだったし「要精密検査」というような紙をもらった覚えがある。

 たまたまだった。嫁さんと子供たちが春休みで帰省していたので、俺は実家に泊まっていた。姉が子供を連れて来ていて、甥っ子たちと一緒に寝た。その晩は、おなかの調子もよくなく、8時半ごろ布団に入って寝たのだったが、案の定夜中11時頃、腹痛に見舞われた。いつもと少し違うような痛みで、腹が痛いというよりも、体全体がおかしい感じで、力が入らない、なったことはないが貧血っぽい感じだったかな、と今になっては思う。
 嫁さんなら「まったくうるさいなあ」で済むのだが、下の姉はめっぽう心配性で口うるさい奴なので、翌日「サザエに耳を引っ張られるカツオ」のように上の姉のいる病院に連れて行かれた。「とりあえずお薬だけでももらってくればいいから。」と。反論しても聞き入れないことを知っているので、上の姉の次男と、下の姉を伴って上の姉の勤める病院(街の小児科)へ行くことになった。
 診察室に入ると下の姉が一方的に症状を語り始めた。事実と反することもあったが、「薬をもらう」という目的のため、黙って相槌を打っていた。すると医者は血液と便の検査をするというと言い出した。血と便を採られ、整腸剤などの薬をもらって帰った。

 その段になって気づいたのだが、会社を替わるにあたって今現在保険証がないことを思い出した。3月20日までは社会保険だったのだが、以後は国保にする予定だった。だが、まだ会社から必要な書類が送られておらず、どうやら無保険状態だった。なのでとりあえず自費で全額を払い、保険証ができたら差額分を返金してもらうことにした。

 その日の午後は新しい仕事場の現場を見に行くことになっていたので、車で一時間ほど走り、新しい職場を見学した。契約を交わせば新しい仕事が始められる。そういう段だった。

 その帰り、上の姉から電話があった。なんとなく想像できたが、電話に出ると
 「検査結果出たよ。・・・ 病院行って。大きな病院。先生が紹介状書いてくれるって。うん。できれば、今から。」
 やっぱりな。つまり血液検査の結果が何らかの異常をそれなりに激しく示していたということで、小児科の医院としては対応できないということだ。それにしてもそれほどまでに「すぐ」に行けと言われるのは少し意外だった。その日は金曜日で、もう午後3時をまわっていた。明らかに時間外だし、病院に行ったところで検査なんかもできないだろうに。だったら来週の月曜日でもいいはずだ。
 姉は「とりあえずじゃあ一度こっち来て。何時ごろになるの? 紹介状渡すから取りに来て。」と続けた。
 午後4時ごろには到着できると告げ、車を走らせた。ぼうっと車を運転しながら、月曜日に改めて病院に行こうと決めた。金曜日の夕方に行ったところでどうにもならないだろう。それなりに診察したりして、月曜日の外来に改めて誘導されるのがおちだろう。だったら無理して今日行かずに、嫁さんと相談しながら月曜日でいいだろうと考えていた。するとまた上の姉から電話が鳴った。車を停めて電話に出る「今どこ?」「んーと、隣駅の近くかな。」「あ、そうなん? じゃあ、ちょうどいいや。そのままT病院行って。」「は?」
 当初は市の総合K病院と言っていたのだが、違う病院を指定してきた。どうやら姉の勤める医院の先生が問い合わせたところ、K病院には担当の医師が不在で今日は無理だったが、隣のT病院なら丁度専門の医師がいて、今から診てくれるということだった。なんというありがた迷惑。嫁さんはこちらに帰ってくる途中で、運転中だった。やれやれ、仕方ないと覚悟を決めて「わかったよ。T病院ね。って、俺だから今保険証ないんだけど。現金もってねえし、だいじょぶかな。」
 大丈夫なはずはない。エコー撮りたいと言っていたということは、やはりそれなりにお金がかかるだろうに。何せ保険が利かないのだ。「ああそっか。どうしよう。」と姉が口ごもる。「後でもってくよ。だから・・・」
 俺はもう、これ以上俺にかまわないでくれと思いながら「ああ。いいやいいや。下ろしていく。いい。だいじょぶ。わかったわかった。」と言って、電話を切った。いくら持っていけばいいのかわからないが、3割負担で初診料込みでも一万円を超えることはないだろうと勝手に考え、3万円持って病院に向かった。
 夕方の外来はしんとしていて、何人かの患者さんと少ない人数の事務員さんがいるだけだった。おそるおそる受付に「H医院から紹介できた者です。先ほど先方から紹介状がFAXで送られてきているということなのですが・・・」と告げる。
 少し待たされて、保険証の話とかもしながら、内科の診察室の前で待つように指示され、待った。

 程なく診察室に呼ばれた。時間外にのこのこお邪魔して申し訳ないという思いが強く、常に恐縮してしまう。しかし姉の病院の先生曰く「救急車呼んでもいいレベル」だそうなので、仕方ないと言い聞かせる。
 診察室に案内されて驚いた。若い女性の医師だったのだ。いや。勝手に中年以上の男性医師を想像していたからだ。はきはきとまっすぐに、明るくよどみなく話すその先生の話を聞きながら、勝手に「なな先生」を思い出していた。
 
 それにしてもどうも医者のテンションと自分のテンションに温度差があるようで困っていた。
 時間外にわざわざ紹介状を携えてやってきた患者。紹介もとのH先生はどのような紹介の仕方をしてくれたのだろうか。どうにも「よほどの重症患者」の扱いなのだ。先生は
 「H医院さんの血液検査結果だけ見てもよく検査してみる必要がありそうなんですね。だから、改めて血液検査させてもらって、あと、CT、あ。CTってわかりますか? ええ。それ撮らせてもらって、その結果を見て判断したいと思うんです。で、ご家族の方って来ていただけますか? それであれば一緒に説明させていただきたいんですが・・・」
 家族? 嫁は子供と共にこちらに向かっている最中だ。後一時間もしないうちには到着するが、3時間以上も運転してきているから来てくれというのも悪い気がしたし、子供を実家に預けたりなんだりということの段取りも面倒だろうと思った。だから、家族はちょっと難しいかもしれませんと言った。でもそれはそれで困ったなという顔を先生がしたので、聞いてみますと言った。それよりも気になることがあったのだ。病状とかそういうことじゃなくて、お金のことだ。
 「先生あの、実は保険が今切れているんですね。手続き中なんですが、今日のところは自費で払うようになるって言われたんです。で、あのう、CTとかって結構お金かかりますよね・・・」
 やっかいな患者だ。時間外にのこのこやってきて、なんとなく話はかみ合わないし、おなかが痛い素振りもない。しかも保険が切れていて一つ一つの診察やら検査やらの金額を気にしている。
 すぐに看護士さんが電話をとり、どこかに聞いていた。「自費でCTっていくらぐらいになりますか。」しばらくの沈黙の後「え。ええ。そうです。はい。3〜4万ですか。。。わかりました」

 先生が「ですって。」と少し呆れながら言った。俺は「あわてて出てきたので3万しか持ってきてないんですけど・・・」と体を小さくして、小さな声で言った。先生と看護士さんは顔を見合わせて
 「ま、まあ、お支払いは今日難しいということであれば事務のほうで相談させてもらえますので・・・」と言ってくださったので、なんとも情けない気分になりながら「すみません。じゃあ、お願いします。というかお任せします。」と言った。

 じゃあ、点滴して血液を採りましょう、と看護士さんにベッドが幾つか並ぶ部屋へ案内された。その途中、嫁さんに電話をした。丁度実家に着いたところで、子供たちの声が電話の向こうから聞こえた。下の姉から一連の話を聞いていたらしく、間違った認識は訂正し、その後の流れを話した。「T病院にいるんだ。これから改めて血液検査とCT。来てほしいって言ってるんだけど、子供預かってもらえそう? 疲れてるならいいよ?」 などと話した。子供は、下の姉とその子供もいるので大丈夫ということだったし、疲れてないということだったので、来てもらうことにした。同時に、現金を多めに持ってきてくれと頼んだ。
 点滴を刺され、血液を抜かれ、車椅子に乗るように言われた。歩けますと言ったが、ゆっくり歩かれるくらいなら車椅子で移動したほうが速いからなのか、あれこれ言われて車椅子に座ることになった。そして、CTの部屋に行った。それまでに造影剤を使ったことはあるか、とか、映りをよくする薬なんだけど、一時的に体がポカポカするような感じがすることがありますよ、とかなんとかという症状が出ることがありますけどだいじょぶですか? などと言われ、同意書にサインをした。インフォームドコンセントというやつだろう。CTの部屋にもまた医師や職員がいた。まったくご迷惑をおかけして申し訳ない次第だ。
 点滴をしたままCTの撮影ができるとは思っていなくて、いろいろと戸惑いながら撮影が済んだ。撮影そのものはすぐに終わった。
 また車椅子で部屋に戻ると嫁さんと父親が来ていた。「すみません」と謝りながらベッドに横になった。嫁さんは笑っていた。「ついに(笑)・・・ お姉ちゃんに感謝だね。」
 ベッドに横になりながら、嫁さんの実家の両親の様子や、子供たちのことをつらつらと話をした。結果が出るまでには一時間くらいかかると言われていた。不安感はない。どれくらい重症なのか、それだけが気になっていた。肝臓がもうだめですって言われるのかどうか。それだけだった。

 「まだかな・・・」と何回か言った時、先生の声が聞こえた。「でました?」明るい、よく通る声だった。ほどなくして診察室に呼ばれた。俺と、嫁さんと、父で入った。父は神妙な顔をしていた。

 血液検査の結果と、CTの結果を見ると、やっぱり胆石がありますね。って。で、胆石が十二指腸の入り口を少し塞いでいるみたいなので、それを取り除かないといけないでしょう。お口から入れる、胃カメラみたいな、「側視鏡」と先生は言ったかな。そういうもので取り除きますって。
 「なので」と先生は一息ついてから「このまま入院してっていうのが、一番いいかなって思うんです。いかがですか?」とこちらの反応を伺った。
 俺は「このまま入院になると今日の分の支払いも退院の時でいいのかな。それまでには保険証ができるだろうから助かるか。あ。でも仕事できないとなると結局辛いよな。。。」などと考えて、嫁さんの顔を見た。嫁さんは先生の方を見ながら小さくコクコクと頷いていた。そしてこちらを見て「いんじゃない? 治せるときに治したほうがいいよ。どうせこんなことでもなきゃ病院来ないんでしょ?」といつもと変わらないテンションで言ってのけた。父は置物のように固まって、俺の腹の中の映像を見ていた。父にも心配ばかりかけているなあ、と思った。

 俺は、嫁さんがそう言ってくれるなら入院してもいいと思った。なにせ肝臓そのものへは先生がほとんど言及しなかったからだ。数値的には肝機能障害がでているのだが、その原因は胆石であって、胆汁がなんとかかんとかで・・・ だったからだ。だから「先生それで、仮に入院となった場合は期間的にはどれくらいになりますか?」 と聞いた。先生は、経過が順調なら一週間から二週間程度だと答えた。

 そんな話をしながら、先生がこの4月にこのT病院に戻ってきたばかりだということも聞いた。昨日から勤務だということだ。なんという偶然。しかもその検査(ERCPとか言った)も先生の専門で、施術そのものも「私がやりますから」ということだった。はあ。なんという偶然。実家に泊まっていなければ、姉がいなければ、病院に行っていなければ。血液検査をしていなければ。先生が詳しく紹介先を調べなければ。T病院が近所でなかったら。その先生がたまたま戻ってきていなければ。今日外来をうけてくれなければ。ああ。これはもう、入院せざるを得ない条件が揃っている。俺たちはそうやって物事を判断する。遅すぎるのだが、最後の最後でようやく気づく。ここで意地を張って入院しない決断をすると、取り返しのつかない状況になる。俺も父も嫁さんも、ふうっとため息をついて、肩の荷が下りたように入院の決断を下した。心配事はなくなっていた。少なくとも俺の身体については心配する必要はないと思われた。
 病棟に案内されながら俺は
 「会社に連絡しないといけないのか。」と、心が重くなった。


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