道ログ2

群馬県在住のおじさんがブログを書く

予言について思う

過去、予言について考えていたことをだらだらとまとめたことがあったので置いておきます。
2012年がなんとかって騒がれてたから。
では以下、2007年のエントリからの転載です。


先日テレビで何気に見た現代の予言者(預言者ではない)ブラジルのジョセリーノさん。
いやいやいまさらはじめて知りました。結構以前から話題に取り上げられ、物議もかもし出すほどの渦中の人。
ご存じない方は検索してみてください。ジョセリーノさんのお名前で数々ヒットしますので。

とにかくこのお方、的中率90%を超えるわ、夢で未来を見るそうなのですが、それをいちいち手紙にしそれぞれの政府やマスコミなど関係部署に送り、なおかつそれを公証役場に登録するほどの念の入れようだ。

日本で大きく取り上げられたのは昨年末くらいからなのかな。ちょっと今検索していたらそのころからのものが多い。

この方、きっとほんとに未来が見えてるんじゃない? って、テレビを見ている限り思います。テレビがそうさせてるのならそうでしょうけれども、少なくとも今の私的には、この人きっとほんとに未来が夢で見えるんじゃね? 的なノリです。

なぜならば、その予言が的中しているからです。90%も。
いや。その数字の検証は私にはできませんから、90%も当たってるのならそれはほんとに予言者だよ。というのが根拠です。
彼は言います「私の行動によって一人でも多く、犠牲になる人を救いたいのです」と。
しかしながら私は勝手にそこで疑問符が浮かびます。
未来が見えることと、未来を変えられることは違う。

たとえば自然災害ならばその日その場所にいないだけでその人の命は救われるかもしれません。しかし、未来ということを意識するならば、過去、現在、未来という、一連の流れを無視できません。未来だけを変えることは、過去を変えられるほどの能力かなにかが必要になるはずです。
極端な話、未来のその時間に地震で死んでしまう人をその場所にいないようにできたとしても、その人はそう遠くない時間に死んでしまうかもしれないということです。
自然災害とは防ぎようがないかもしれませんが、そこから逃げることができそうですが、未来が見えるというならば、その日その場所にその人がいてしまう時間の流れを、変えなければいけないのです。

たとえば人的災害ならば。その日その時間その場所で起こるであろう事件事故を予言したとしましょう。予言は予言ですので、世の中をかけめぐるのでしょうか。であるならば、犯人側に知られることはないのでしょうか。また、いくら「その時間その場所で事件が起こる」という予言を信じ警備を万全にしたところで、その警備はいつ解除したらよいのでしょうか。その犯人はその場所でなんらかの事件を起こす未来を抱いていたはずです。計画の当日、やたら警備が厳重なため計画を練り直したとして、いつになったらその場所は安全だといえるのでしょうか。予言者は、危険であると予言すると同時に、もうそこは安全であるという宣言もしてくれるのでしょうか。

かねてより感じていますが予言はすべて結果論です。
あたったか、外れたかでしか、議論できません。
未来が見える人は、その惨劇から人々を救いたいと願って「私の予言は正しい」もしくは支持する人々が「彼の予言は的中するから、どうかその時間その場所にいないでほしい」と訴えます。
その論理でいきますと、結果、予言は外れてしまうのです。
それこそ、大地震が来た、4000人の命が助かった。津波が来たけれど全員非難していたので無事だったとなれば、そりゃすごいになりますが、
予言というものは重ねて言いますが、結果として当たっていたからこそ信憑性があるのです。
いくら「あぶないあぶない」といったところで、予言にしたがってみな行動してしまっては結果として予言ははずれになります。
それはそれでよいのですが、予言者としてはジレンマにしかなりません。

悲しいかな、予言=結果がすべてなのです。
そして、単純に思うことながら、どうしてよい方向での予言が取り上げられないのでしょう。
予言=悪い出来事のような構図ができあがっていることが、何よりの疑問でなりません。

警鐘を鳴らすことはもちろん大切なことながら、未来が見えるならばなおさら、明るいよい未来を、「的中率90%」だからこそ、公表してください。

あらためて言います。
未来が見えることと、未来を変えられることは、違う力だと思います。

有能な予言者であればあるほど、未来を変えることができないことは分かっていることのように思いますが…

誤解を恐れずにたとえば、という話をするなら。
かの偉大な予言者ノストラダムス氏。私は彼についての知識は皆無に等しいですが、1999年のくだりくらいは知っていますし、当時話題になったことも記憶に新しいです。
その1999年の予言は、外れたと思っていますが、ではそれが本当に予言が外れたと認識するか、予言が地球を救ったと認識するかは、それぞれに委ねられるのではないかと思うのでした。
予言とは現在非科学的と思われて然るべきと認識しますが、その非科学的な何か大きな力が働いて1999年7の月に本来来るべき災害をたとえば人々の「こないで」と願う力が阻止した、との解釈もありなのではないかと思うのです。
ノストラダムスという予言者が偉大であったからこそ、人々がその予言を恐れ、信じ、「それは困る」と念じたからこそ、人々の力により未来が変えられたとも、言えなくもないのではないかと思うのです。
予言者が偉大であればあるほど、その予言は外れて然るべき。なのではないでしょうか。
その観点から、私は今回、未来を見る能力と、未来を変える能力は違うと感じると同時に、予言といわれる予知夢が、正確であればあるほど変えることのできない未来なのではなかろうかと。思ったのです。

まったくの個人的な見解からすれば、「ジョセリーノ氏を報道した通りとし、信じれば信じるほど、彼の願いとは程遠くその未来は確実に執行されるであろう」という、番組の意図とはまったく逆の結論に達してしまう私がそこにいるのでした。

ジョセリーノ氏に対して疑問符をつけるつもりは毛頭ありませんし、むしろ(報道の通りであれば)彼は本当に未来が見えているのだと思います。
ここからはあの番組を作った会社に対してちょっぴりえらそうなことを言います。

未来はそんな簡単なものじゃない。


<ソース 過去ログ2007年9月28日のエントリ